来年も、再来年も、ずっと……

赤味噌餅

来年も、再来年も、ずっと……

 ――ダレカ、ダレカ、ありのままの私を愛してほしい。こんな私だけど、愛して、愛して……。

「……澪、澪!」

 友達の唯菜の呼び声で、私の意識は現実世界に連れ戻された。

「もう! なにぼーっとしてんの! せっかくの夏祭りなのに!」

「あ、ごめん」

 もー、と唯菜は顔をぷくっと膨らませて、可愛く不満を露わにした。……相変わらず、仕草から可愛さが存分にあふれ出ている。

 ……きっと、唯菜には私の苦悩がわからないんだろうな。唯菜の、毛がまったく見当たらないツルツルスベスベの肌がチラッと視界に入り、私は軽くため息をついた。私は毎朝毛を剃ったり抜いたりしているのにもかかわらず、夕方には毛が生えてしまうほど剛毛だ。はあ、同じホモサピエンスなのに、どうしてここまで差が出てしまうのか。毛だけじゃない。私はアトピー治療を頑張っているのにも関わらず肌がボロボロなのに対し、唯菜の肌は傷一つないガラス細工のような美しさを誇っていた。

「ねね、澪は何食べる? 私はとりあえずかき氷! その後はたません、トルネードポテト……あとベビーカステラも食べたい!」

 暗いことをひたすら考えていた私と対照的に、唯菜は目をキラキラと輝かせ、屋台を次々と指さしていた。そんなに食べたら太るぞ、と私は言いかけて、やめた。まあ、唯菜がそのくらいで太るとは思えないな。

「ん―、私もかき氷を食べよっかな」

 もう夏が終わる、八月三十一日なのにも関わらず、空気はムシムシしていた。そのため、かき氷を食べてクールダウンしたいと思った。

「よし、行こ!」

 唯菜はすっと私の手を取り、握った。

「握る必要ある?」

 すでに手遅れだが、握りたくなかった。……私の手は、「女の子らしく」ないから。

「あるある! 迷子になるかもだし! あと、今日はせっかくのデートだからね!」

 唯菜はデート、デートと嬉しそうに連呼していた。

「いや、デートじゃないでしょ?」

「ちっちっち。澪たんはわかってないなー」

「澪たん……?」

 聞きなれない呼び方に思わず反応してしまった。

「夏休み最終日! 夏祭り! 可愛い女の子と二人っきり! ふ、これをデートと言わないでいられるか? いや、いられない!」

 意味不明な理由に思わず困惑してしまった。暴論過ぎる。それに……。

「たまたま夏祭りがやってたから来ただけじゃん。……どっかの誰かさんが最終日なのにもかかわらず宿題が終わってなくて『助けて、澪エモン』とかほざくから。しぶしぶ手伝いに来てあげただけなのに、マジで何で夏祭りまで来てるんだろう、私……」

 そう。本当に意味が分からない。宿題が終わった途端、「夏祭り行こうよ」と唯菜の奴が誘ってきたのだ。まあ、断るのが面倒でうっかり了承してしまった私が悪いんだが。

「まあ、とにかく行こ!」

「あ、ちょっ!」

 唯菜は意気揚々と歩き始めた。私は慌てながら後を歩き始めた。

 ……唯菜の透き通るような白い手はツルツルスベスベだったが、硬かった。今まで唯菜の手を握ったことがなかったから気が付かなったが、よく見ると豆がいくつもあった。私は鋭利なもので貫かれたかのような衝撃を覚えた。

「あ……」

 私は衝動的に開いた口を慌てて閉じた。誰にだって、知られたくないことはある。これは、言わない方がいい。

「あ―、私の手、豆が多いでしょ? 器械体操をやってるからね―。どうしてもできちゃうんだ」

 私の態度を見て、唯菜は私が何を言いかけてしまったのかを気が付いてしまったらしい。

「あ、ご、ごめん……本当に……」

 自分がこういうことを言われるのが嫌だって、一番知っているはずなのに。それなのに、それなのに……。

「いや、全然大丈夫だよ! 豆ができることなんて、もちろん想定済みでやってるし! 私が、器械体操好きだからさ。だから、大げさだよ」

 唯菜はドンっ、と胸に手を当て、えへへと笑顔を浮かべていた。

「でも、でも! ……嫌じゃない? 自分の外見を、悪く言われるの、つらくないの……? 外見だって、私の、大事な一部分なのに」

 脳裏によぎるのは「もっと自分磨きした方がいいよ」と鼻で笑われた記憶。あの時、平然を装って何とか口角を上げたが、本当はつらかった。あの時、冷たい冷たい氷の刃で刺された感じがした。それぐらい、私の心に深く、深く、深く刻まれている……今もなお。

「うーん、まあ、外見を悪く言われるのは、嫌だけど……」

 唯菜はラムネのような爽やかな笑顔を浮かべ、高らかに口を開いた。

「けど、そこまで気にならないかな! だって、私のことは私が一番よくわかってるし、何より……どんな私でも愛してくれる人がいるから!」

「……唯菜って彼氏いたっけ?」

「いや、いないよ。悲しいことにね、私は非リアです……。だけど、どんな私でも、私が一番愛しているから。まったくつらくないよ!」

 自分が、自分を一番愛してる……。私には、まったく理解できないことだった。

 私は、こんなキタナイ自分を愛せる気が、しない。

「もちろん、ダレカに愛してもらいたいな、って思うこともあるよ? だけどさ「ダレカ」みたいな抽象的なものに、私は期待できないんだよね。自己中で、傲慢で、強欲だからさ。不確定要素は信頼できないの。……こんなんだから、私は友達ができないんだよね……」

 友達ができない……。その言葉には、私たちの関係も含まれているのだろう。私たちは、ただのぼっち同盟。一見仲良さげに見えるのは、唯菜の明るく人懐っこい性格のおかげなだけ。宿題も、唯菜の気まぐれで呼ばれただけ。しょせん、私たちは友達じゃ、ない。

「……かき氷、並ぼっか」

「うん……」

 かき氷の屋台は人気で、そこそこ長い列を作っていた。

「……すごい、ね」

「うん」

 お通夜のような重苦しく息苦しい空気が、二人の間によどむ。何か言わなくては、と思い私は口を開くが、焦りによって頭が真っ白になり、また口を閉ざした。

 結局、かき氷を買い、シロップをテキトーにかけるまでに二人の間に会話は生まれなかった。

 シャリ。シャリ。私はかき氷をほぐしながらチラッと唯菜を見た。唯菜は、何かを迷っているような沈んだ顔で、かき氷を混ぜていた。

 私は恐る恐るかき氷を口に運んだ。冷気が、口いっぱいに広がる。やはり、暑い夏に屋外で食べるかき氷は格別だ。

 もう一度チラッと唯菜を見た時、私の視界にこの世の終わりみたいな色のかき氷が映った。

「え、唯菜? それ、何でそんな色なの……?」

「……ふぇ? 別に……六個のシロップを混ぜただけだよ?」

「え、混ぜただけって……。普通、混ぜるとしても二個ぐらいじゃない? そんなに混ぜたら味がおかしくなるでしょ?」

「知らないの? かき氷のシロップって香料と着色料が違うだけで、全部同じだよ」

 当たり前のことのように淡々と唯菜は語っているが、普通に私は初耳なんだが。じゃあ、ブルーハワイにしようかラムネにしようか迷っていたあの時間は無駄だったということか……。

 静かにショックを受けていた時、唯菜がぽつりとつぶやいた。

「……私の趣味は器械体操とメイクとFPSゲーム。好きな食べ物はシャインマスカット。たぬきが好き。ゴキブリとカブトムシが苦手」

 唐突な唯菜の自己紹介に私は戸惑った。

「私、唯菜はこういう人間だよ、澪。自己中で、傲慢で、絶望的に空気が読めない。中学の頃、あまりの社不っぷりに、生徒どころか先生、保護者にまで嫌われていたの。……さて、私はこんな人間だよ。今さらだけどさ、私たち、お互いのことあんまり知らないと思ったから自己紹介してみたの」

 唯菜の目には悲しみの色があった。そして、唯菜は人を寄せ付けないような寂しい表情を浮かべ、言葉を続けた。

「……こんな私だけど、私たちの間に友情がないことはちゃんとわかっているから安心してね。……わかっているよ。私たちはしょせん、ただのぼっち仲間。クラスで孤立している者同士の傷のなめあい」

 唯菜の言うとおりだ。かっこよく言えば、お互いの利益のために利用しあうだけの関係。わかっていた。わかっていたはずなのに、胸を締め付けられるような寂寥感に襲われてしまうのはなぜだろうか。

 私は中学以来、常に他人と壁を作り、距離を置いている。悪口を言われたり、無視されたりしても平気でいられるように。……それなのにもかかわらず、私は心のどこかで唯菜に気を許していた。だから、今、こんなにも苦しいのだ。

 原因がわかり、一瞬安堵したが、何も問題が解決していないことに気が付いた。おそらく、ここまでぶっちゃけてしまったからには元の関係には戻ることはできない。……なら、勇気を出すしかない。

「……私の趣味は、FPSゲームと詩を書くこと。好きな食べ物はスイカ。コモドオオトカゲが好き。猫が苦手」

 唯菜が大きく大きく目を見開いた。

 手足と口が震える。鼓動が、異様に大きく速く聞こえる。それでも、言葉を続けなくては。

「あと……女であることに固執している。周りの人間によく嫉妬している。嫉妬深い。愛されたがり。寂しがり屋。……私、澪はこんな人間です」

 胸を張り、堂々と誰にも言ってこなかった秘密を打ち明けた。

「こんな、こんな人間だけど、あの、その……」

 一番言いたい言葉が震えて上手く出てこない。私は一回冷静さを取る戻すために大きく息を吸い込んだ。

「友達になってくれませんか!」

 言えた。ようやく、言えた。私はこぶしをギュッと握りこみ、返事を待った。

「嬉しい……。もちろん!」

 唯菜が嬉しそうに顔を輝かせ息を弾ませている様子を見て、私はホッと息を吐いた。

 深い安堵感に浸っていた時、花火の打ち上げが始まった。

 ひゅー、ばーん。ひゅー、どーん。

 暗い夜空にたくさんの花火が次々と上がっている。不思議と、花火そのものだけでなく、花火の音も心地よかった。

「……来年も、再来年も、ずっと……友達としてそばにいてもいい?」

 先ほどからソワソワと落ち着きがなかった唯菜が、もじもじしながら呟いた。

「もちろん! 来年も、再来年も、ずっと、ずっと……しわくちゃになってもずっと、友達でいよう!」

 私は満面の笑みを浮かべた。

 ダレカに愛されなくてもいい。自分で自分を一番愛すから。それに、もしつらくなっても一人じゃない。友達がいる。友達と、来年も、再来年も、ずっと……笑顔でいたい。

 私は満天に咲き乱れる大輪の花火にこっそり誓った。


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来年も、再来年も、ずっと…… 赤味噌餅 @akamisokintsuba

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