所在不明のヒロイン

水野沙紀

序章

序章 八月十九日

 鬱蒼うっそうと茂る山間やまあいの中にひっそりと続く廃線。周囲の木々を縫ってわんわんと木霊する野鳥の声や虫の音。湿った地面を踏む二人の足音と、断続的にシャッターの音が響く。

 あらゆる角度からひとしきり撮影し、お互いの液晶を見せ合った後、二人は背を伸ばして澄んだ空気を吸った。


 大柄な男がじっとひとつの看板を見つめ、おもむろに近づいて行く。


「おい。そっちは立ち入り禁止ってなってるだろ」

「見るだけ見るだけ。撮った写真アップしなきゃいいだろ」


 言いながら、ガサガサと獣道を掻き分け、背の高い男は歩を進めた。柔らかい土の上で靴が生乾きの枝を踏む。


 もう一人の小柄な男は首に巻いたタオルで顔の汗を拭った。


 付き合っていられないとばかりに、背負ったままリュックを下ろして本日三本目のペットボトルを開ける。空を仰ぐと、木々のあいまから青いキャンバスを背に、覆いかぶさるような雲が何段にも重なっていた。


 温い風が枝葉を揺らし、緑の香りをはらんだ風が襟足を冷やす。

 顔の周りに玉のように集団になった羽虫が飛んできて、思わず手で払った。


 生気あふれる夏の山を絵に描いたような風景だというのに、廃墟という失われた遺物巡りは、心に興奮と淋しさを断続的に連れてきた。

 ひと雨来るかもしれない。

 そう思って雨合羽とカメラ用のレインカバーも取り出しておく。



 バサバサと鳥が飛び立ったのと、連れの悲鳴が茂みの中に反響したのはどちらが先だっただろうか。



 静観していたのも忘れて、レールの続く獣道へと地面を蹴った。ペットボトルが、ポイ捨て禁止の土の上に転がる。

「どうし――!?」

 背の高い男は、廃線の側に捨て置かれた手押し車の前で腰を抜かしていた。

「あ、あ……」

 蒼白。いや、血の気が上ったり下がったりと、紫色のまだら模様な顔色で、背の高い男は小刻みに振り返った。


 小柄な男も息を呑む。


 刻が止まった廃墟巡りは、電子機器とネットに囲まれて育った彼らにとって新鮮で、却って命を感じられるはずだった。


 しかし、そこにあるのは紛れもなく命だったもの。

 興奮も淋しさもなく、ただ恐怖と戸惑いだけが湿った地面から体を這い上がってくる。


 手押し車を棺にして、人間だった骨格が、胸に手を当てて眠っていた。


 つる植物に抱かれるように。そして周りにはそれを悼むように、小動物や鳥の骨が、点々と連なっていて――

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