第3章 崩壊

――それは、思ったよりも早く訪れた。

緑の国が滅んだという報せが、城に届いた。


王女は満足げに笑みを浮かべ、ただちに青い国の王子を呼び寄せた。

「ねえ、もう邪魔者はいないわ。

これであなたは、私だけを見てくれるでしょう?」


その言葉に、王子の表情は凍りついた。

信じられないものを見るように、彼は王女を凝視する。

「……君がしたのか」

「ええ。私の命令で緑の国は滅んだの。

だって、あの女がいるから、あなたは私を見なかったのでしょう?」

王女は勝ち誇ったように微笑んだ。


「もう邪魔者はいないわ。これからは――」

「やめろ!」

王子の声が鋭く響いた。

その青い瞳には怒りと絶望が宿っていた。

「君を愛することは、二度とない」

その言葉は刃のように胸を切り裂いた。


王女は呆然と立ち尽くし、震える唇からかすれた声をこぼした。

「なぜ……? なぜなの……?

私に手に入れられないものがあるなんて……そんなの、あってはならないのに……」


返答はなかった。

王子は背を向け、遠ざかっていった。

望んだはずの愛も、憧れの眼差しも、炎と共に消え去った。


やがて炎は報復となって王女の国に返ってきた。

緑の国を滅ぼした暴挙は、民衆の憤怒を呼び覚ました。

食糧は尽き、民は飢え、反乱の火種は瞬く間に燃え広がる。


「悪ノ娘を捕らえろ!」

「贅沢ばかりして我らを飢えさせた罰を受けさせろ!」

石が投げられ、城門が打ち破られる。


豪奢な広間は荒らされ、炎と煙に包まれた廊下を、王女は必死に逃げ惑った。

宝石の髪飾りは床に落ちて砕け散り、絹のドレスは煤に染まって重くまとわりつく。


「どうして……私は、ただ……」

王女の声は震えていた。

けれど「ただ」の先に続く言葉は、もう誰にも届かない。

もはや誰も、彼女の涙に耳を傾けはしなかった。


城の兵は次々に倒れ、やがて王女のそばに残ったのは召使ただ一人となった。

彼は必死に立ちはだかり、王女をかばおうとした。


「悪ノ娘を捕らえよ!」

「お前、邪魔をするな!」

荒々しい手が召使を突き飛ばし、刃が王女の目前に迫る。

召使は歯を食いしばりながらも、圧倒的な怒号の奔流の前に成す術を失った。


その瞳が一瞬だけ王女を見つめ――次の瞬間、彼は後ずさりし、群衆の影へと消えて

いった。


「……え……?」

王女は驚きに目を見開いた。

けれど次の瞬間、かすかに笑みをこぼす。

「そうよね……。私は、あなたにもひどいことばかりしてきたのだから」


その声は誰に届くでもなく、群衆の怒号にかき消されていった。

王女の胸には、燃えさかる炎の熱と、言いようのない孤独だけが残った。




 ――そして一週間後の午後三時、王女の処刑が行われた。

 刑が執行される直前、彼女は民衆などには目もくれず、冷ややかに微笑んで言ったという。


「――あら、おやつの時間だわ。今日のおやつはブリオッシュがいいわ」


 その言葉を聞いた民衆は震え上がり、彼女に対して畏敬と恐怖の念を抱いた。

 「やはり、あれこそ悪ノ娘だったのだ」と――。

 かくして彼女の名は、冷酷な伝説として後世に語り継がれることとなった。

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悪ノ娘-百花繚乱 燈の遠音(あかりのとおね) @akarinotone

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