青いビー玉

Vii

 これは私の懺悔です。

 いえ、あるいは、懺悔のふりをした、ある種の自分への告発のようなものかもしれません。


 どちらにせよ、大した違いはありません。

 どうせ、このインターネットの片隅で、くたびれた文字を気まぐれに追うあなた方にとって、私の苦悩など、路傍の石ほどの価値もないのですから。

 人間とは、他人の不幸を娯楽として消費することでしか、自らの幸福を実感できない、浅ましい生き物なのですから。



 私の記憶は、いつもあの息の詰まるような田舎町の、夏の匂いから始まります。

 青臭い草いきれと、ぬるい風に混じる家畜の糞の匂い。私が軽蔑してやまない、あの退屈な世界の全てです。


 その泥水のような世界で、彼女だけが、汚れることを知らない、一輪の花でした。


 彼女はいつも、少しだけ寂しそうに笑う子でした。

 病気がちで、皆が校庭を駆け回っている時も、一人、教室の窓からぼんやりと外を眺めているような。

 その儚さが、他者との間に決して越えられない壁を感じていた私の、歪んだ庇護欲を掻き立てたのかもしれません。

 彼女の隣にいる時だけ、私は、この腐った世界で唯一価値のある人間になれるような気がしていました。


 人間は誰しも、自分だけの聖域を持っています。

 そして、最も愚かな人間とは、その聖域を他人に明け渡してしまう者のことです。

 私にとって、彼女がその聖域でした。そして私は、彼女にとっての神になろうとしたのです。


 夏祭りの夜でした。

 神社の裏手、湿った土の匂いの中で、私は喉の渇きに任せてラムネを呷りました。

 瓶の中でからんと音を立てるビー玉。

 私は飲み干した瓶の口を叩き割り、指で無理やりそれを掻き出し、彼女に差し出しました。


「これは、海の涙が固まってできた魔法の石なんだ。月にかざして願い事をすれば、きっと叶う」


 それは、ラムネの残りかすでした。

 私の喉の渇きを満たした後の、ただの付属品。

 そんな浅ましい出自を持つガラス玉に、私は、ありったけの嘘を塗りたくりました。

 彼女を喜ばせたい一心でついた、清らかで、優しい嘘。

 私はそう信じていました。


 ビー玉を両手でそっと包み込み、瞳を輝かせる彼女の姿を、今でも覚えています。

 その時の彼女の顔を、私は神聖なもののように感じていました。

 私の汚れた手で吐き出させた嘘が、彼女の中で真実の輝きを放った。

 その瞬間、私は、自分が高潔な人間にでもなったような錯覚を覚えたのです。




 しかし、と私は書かねばなりません。

 今までの話は、全て嘘です。

 いえ、嘘ではありません。

 真実を、都合よく切り貼りした、もっと醜悪な何かです。

 あの時の私は、彼女を守る騎士などではなかった。

 ただの、卑劣な実験者でした。


 中学に上がると、私の中の何かが急速に腐り始めました。

 周囲の人間の凡庸さに耐えきれず、ひたすらに他者を見下すことでしか、脆い自我を保てなくなっていたのです。

 臆病な自尊心と尊大な羞恥心。

 あれは、まさしく私のための言葉でした。


 そして、彼女の変わらない純粋さが、次第に私の腐った心を映す鏡のように思え、耐え難い苦痛となっていきました。

 彼女の無垢は、私の醜悪さを際立たせるための、残酷な舞台装置に過ぎませんでした。

 私は、その舞台を、自らの手で破壊せずにはいられなくなったのです。


 ある雨上がりの日、川の土手で、それは起こりました。

 私がクラスの誰かを嘲笑したのを、彼女が悲しい顔で「やめてよ」と言ったのです。

 ただ、それだけ。

 その一言が、私の腐りきったプライドの逆鱗に触れました。


 私は、彼女が首から下げていた、あのお守りの小袋をひったくりました。

 中から転がり出た、青いビー玉。


「まだこんなのを信じてるのか。これは俺がついた嘘の塊だ。これはただの、俺が飲み干したラムネの残りかすだ!」

 私は哄笑しながら、それを濁流渦巻く川へと投げ捨てました。


 彼女は、泣き叫びながら川へ入っていきました。

 その小さな体で、必死に流れに逆らいながら、私の嘘の残骸を探そうと。

 その姿を、私はただ、対岸から見ていました。

 助けも呼ばず、ただ、私の言葉一つで彼女の世界が崩壊していく様を、神のような全能感をもって眺めていたのです。


 純粋なものは、時と共に必ず腐敗し、凡庸なものへと成り下がります。

 私は、彼女がそんな醜い大人になるのを見たくなかった。

 ならば、最も美しい瞬間に、永遠の悲劇という名の墓標を立ててやることこそが、唯一の救済ではなかったでしょうか。


 結局、彼女は近くにいた大人に助けられ、肉体は無事でした。

 しかし、彼女の魂は、あの濁流の底に沈んだまま、二度と浮かび上がってはきませんでした。

 あれは事故ではない。私の手による、完璧な殺人でした。




 と、まあ、ここまでが私の考えた、最も私らしい罪の物語です。

 いかがでしたか。

 あなたはこの陳腐な悲劇に、信憑性を感じてくれましたか。

 私のこの独白に、涙の一滴でも流してくれましたか。


 実を言うと、そんな事件は起こっていません。

 彼女など、そもそも存在すらしなかったのかもしれません。

 あるいは、存在したけれど、夏祭りの後に転校して、もう顔も覚えていない、ただの有象無象の一人だったのかもしれません。

 川に落ちたのは、私の方だったのかもしれません。



 では、私の罪はどこにもなかったのでしょうか。

 いいえ、違います。

 私の罪は、もっと根深く、もっと救いようのないものです。


 私の罪とは、現実に存在しない悲劇を、頭の中で何度も繰り返し上演し、その残酷な光景に悦に入っていたことです。

 誰一人傷つけていないこの安全な部屋で、私は、世界で最も残忍な暴君であり続けました。

 行動に移さなかったから無罪なのではない。

 行動に移す勇気すらなかった臆病さ、その安全圏から他者の魂を弄ぶ精神こそが、拭い去ることのできない本当の罪なのです。


 結局のところ、私は何者にもなれませんでした。

 悲劇の主人公にも、冷酷な悪役にも。

 ただ、安全な観客席から、自分の書いた脚本を眺めて涙を流す、最も滑稽で、最も卑劣な観客でしかなかったのです。


 人間には二種類しかいません。

 舞台の上で傷つきながら無様に踊る者と、暗い客席からその踊りを嘲笑う者です。

 そして、最も救いようがないのは、嘲笑うことすらできず、ただ、自分がなぜ舞台に立てなかったのかを、延々と独りごちている空っぽの観客席そのものです。


 この手記は、そんな空っぽの観客席で書かれた、存在しない演劇の台本のようなものです。

 あなた方が読んでいるこれは、私の、魂の墓標なのです。



 さあ、そろそろ時間も少なくなってきました。

 私はまた、無害な学生という仮面をつけなくてはなりません。

 あなた方も、どうぞ、この凡庸で平和な祭りを心ゆくまでお楽しみください。


 私の頭の中の劇場では、今夜もまた、新しい悲劇の幕が上がるのですから。

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青いビー玉 Vii @kinokok447

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