浴衣姿の君が、花火の夜に告げた秘密

村上玲仁

第1話 光と影の交錯

 誰かが呼んでいる。

 白い光のなかで、艶めく長い髪を風に靡かせながら、必死に俺の名前を呼んでいた。

 この声は……確か。

「……杉澤か」

 杉澤莉子。高校1年の2学期に転校してきてからクラスの人気者になった生徒だ。

「悠くん! 意識が戻った!」

 彼女は次の瞬間、声高らかに宣言する。

「野球部の皆さん! 彼はもう大丈夫です!」

 何が大丈夫なのか分からなかったが、彼女を中心に取り囲んでいた男子たちが勝利したかのような雄叫びを挙げた。

 さらに杉澤に膝枕されていたことに気づくと、気恥ずかしくなって、何とか起き上がる。

 杉澤の説明によると、今まで俺は野球部のホームランボールが頭に当たって気絶していたらしい。

「……そう」

 あまりの格好悪さに杉澤に向き合えなかった。

 しかし、彼女はさらに近づいて顔をのぞく。

「大丈夫? まだどこか痛む?」

 頼むから、これ以上恥をかかせないでくれ。

 そう言いたくなるのを堪えながら、あくまでポーカーフェイスを装った。

「何ともない」

「なら良かった!」

 杉澤は明るくそう言うと、急いで弁当箱や敷物を片付け始める。野球部員も丁寧に謝罪すると、彼らも早々に解散していった。

 しかし、疑問が残る。ボールが当たる直前まで杉澤とどんな会話をしていたのか、記憶が消えてしまっている。

 そのことを、杉澤に伝えるべきか迷ったが、次の瞬間に彼女はいつもの笑顔で振り返った。

「じゃあ、午後の授業に戻ろっか!」


 昼休みの教室は、さまざまな食べ物が入り混じった匂いと、無邪気に笑う女子生徒たちや、グループを組んで何かを見ている男子たち、ひとりで本を読んでいる生徒、寝ている男子などが賑やかさを彩っている。

 自分の席に着くと、前の席の美咲が話しかけてきた。

「莉子、ちゃんと告白したのか?」

「うん。したけど、覚えてないみたい」

「何だそれ」

 私はただ事実を告げる。

「ホームランボールが、頭にヒットした」

「どういう意味だ」

 そう言いながら大爆笑する美咲を羨ましく思った。

 午後の鐘が鳴り響き、教室に担任の先生が入ってきた。さらに先生はプリントまで配り出す。

「英単語の抜き打ちテストするぞー」

 教室中がブーイングの嵐になる。自分も共感しながら、必死に英単語を紙に書き殴った。


 午後の授業が終わり、夕焼けが空を染めるなか、自転車に乗ろうとしていたが、そこに莉子が名前を呼びながら走ってくる。

「悠くん、一緒に帰っていい?」

 莉子には昼間に何を言われたのか覚えていない貸しがある。断る理由もなかった。

「いいけど……べつに」

「あ、あと、これ!」

 莉子はカバンからビタミンドリンクを取り出す。

「よかったら、飲んで」

 記憶がないのはこちらなのに、申し訳なくて受け取れない。

「昼間はゴメンね。悠くん、午後からずっと元気なかったから」

「……杉澤は悪くない」

 むしろ、悪いのは俺だ。いや、ホームランボールをかっ飛ばした野球部員か。

 莉子は微笑むと、ドリンク剤を自分のカバンにしまった。杉澤はなぜこんなにも俺に気を遣うのだろう。彼女が優しいのは誰に対しても同じだが、俺は特別な好意を返しているわけでもない。

 その疑問がつい口をついて出た。

「杉澤が俺を構う理由って、何?」

 莉子は少し考えてから、軽い口調で言う。

「やっぱり、昼間のこと、忘れちゃったんだ」

 俺は咄嗟に悟る。莉子は恋の告白をしたのだ、と。

「それより、悠くんのお父さんって、カウンセラーだったよね?」

 確かにそんなことを彼女に話したような気がした。が、いつのことだったのか思い出せない。

「……そうだけど?」

「診てもらったほうがいいんじゃないかな。それに、私も思い出して欲しいし」

 そう言いながら、白い頬をわずかに染められると即答せずにいられない。

「わかった」

 莉子はすぐに嬉しそうな表情になった。この女子はとにかく感情の起伏が激しい、というのが俺の感想だ。

「やっぱり、悠くんは優しいね! 一緒にいると本当に落ち着くよ」

 俺はそんなに優しい人間じゃないし、落ち着くということは特別な好意のうちに入るのか。

 そんなことを考えながら、自転車に乗った。

「俺、もう行くわ」

「うん! バイバイ、悠くん!」

 その帰り際のセリフには、心を掴まれるような不思議な感じがした。


 悠の父親の書斎には本が整然と並べられ、机にはいくつかのカルテや筆記具が置かれている。火のつかない暖炉と、患者との面会のために上質なソファが斜めに向かい合うように置かれていた。

「つまり、ホームランボールが脳天に当たって女の子の告白だけ記憶喪失になったのか。それは心療内科じゃなくて、外科なんじゃないか?」

 父親は豪快に笑い飛ばす。書籍も出版し、有名なカウンセラーであるために遠方からも尋ね求めてくる患者がいるのは、やはりこの包み込むような優しさと人に対する洞察力だと思う。

「……やっぱそう思う?」

 父だけには本音が話せる自分は、顔を半分隠して言った。

「その子、美人だろ」

「何で分かるの?」

「お前の顔に書いてある」

「顔、隠してんだろ」

「ほら、正解だ」

 もう観念して、父親の顔をまともに見て話すことにした。父は真剣な表情で言う。

「その女の子はテレパシーなんじゃないか?」

 カウンセラーの父が書いている書籍は、超能力の存在に関する著作物が多い。本来なら、幻聴、幻覚、妄想と呼ばれる心理学の症状を超能力の観点から分析するというユニークな治療法をするのが父のスタイルなのだ。

「そう……なのかな?」

 確かにそんな感じがする。さらに踏み込んで考えれば、テレパシーを使って人の心を掴んでいるような印象さえ受けるのだ。

「お前がアンチサイだから、その子だって落ち着くんだろ」

 アンチサイとは、他者の超能力を無効にする能力だと父の本に書いてあった。しかしそのような自覚は自分にはないし、確かに思いあたる節は多いが、今の情報だけでそう断定するのは早い気がする。

 父は柔らかな声で尋ねた。

「お前は、彼女のことどう思ってるんだ?」

「陽キャで面倒見もいいけど、他人との境界線が引けない天使キャラ」

「ずいぶん情熱的だな」

「アンタを口説いているわけじゃない」

 父は無視して続ける。

「その女の子、モテるだろ?」

「影でモテてる。本人は気づいているのか、いないのか、無視してるみたいだけど」

「告白されたなら、付き合えばいいじゃないか」

「どんな告白されたのか覚えてないのに? 俺はクラスの二分の一を敵にするつもりはないの」

「贅沢な野郎だなぁ」

 そう言って、父は再び豪快に笑った。


 タワーマンションに入ると、受付嬢が笑顔で会釈する。会釈を返してエレベーターに乗ると、無意識のうちに壁にもたれかかっていた。自分の部屋のカードキーを使って入ると、むせ返るほどのカレーの匂いで満ちている。

「ただいま」

「りっちゃん、おかえり」

 母親はいつも満面の笑顔で自分を迎える。

「わたし疲れたから、もう寝るね」

「そんな……りっちゃん、ご飯は?」

「いらない」

 そこにソファに横になっていた莉子の父が言う。

「おい、莉子。母さんにそんな態度はないだろう」

 父親には何も言い返さずに睨みつけた。

 母親はその場をなだめるように言う。

「いいのよ。りっちゃん、あとでお夜食持っていくわね」

「それもいらない!」

「莉子!」

 父親が声を荒らげるので、カッとなり感情的に叫んだ。

「うるさい!」

 鞄を投げつけてベッドルームに閉じこもる。何度同じようなやり取りをしただろう。陽キャを演じるストレスを親にぶつけているという自覚が余計に胸を苦しくさせた。

(他の子は皆いい子で、親の言うこともちゃんと聞いて、私は世界一悪い子なんだ……)

 そう思うと、止めどなく涙が溢れて、コントロールが効かなくなる。病院に行ってカウンセラーに診てもらったほうがいいのだろうが、親にもなかなかそう切り出せない。そう感じるたびに、悠のことを思い出すのだった。


 次の日。先生が授業をしているが、莉子の頭の中には何も入ってこない。意識は悠の記憶喪失と、家族関係、陽キャを演じ切る悩みで埋め尽くされていた。

 窓の外を眺めると、淡い水色の空と白く小さな雲が無数に浮かんでいて、まるで天使でも降りて来そうな景色だ。

 その様子に気づいた担任の先生は、頭を丸めた教科書で軽く叩いた。

「副委員長自らクラスの偏差値下げないでくれよ?」

「すみません」

 頭を触りながらそう言うと、教室が笑いに包まれる。さらにテレパシーの力が強まることまで感じた。人の心を読む超能力があっても、完璧にコントロールできるわけではない。調子が悪くなると様々なノイズまで拾い上げてしまう厄介な力だ。

(杉澤さんでも、授業中にボーっとすることあるんだ)

(お腹すいた)

(偏差値とか言うなよ、担任ウゼーな)

(このまま授業止めてくれー)

(期末テスト近いんだから、集中しろよ)

 生徒たちのノイズに反応して吐き気がする。疲れているためか、いつもよりもテレパシーが強くなっている。それを察した美咲は大きな声で先生に言った。

「先生! 杉澤さんを保健室に連れて行きます!」

「なんだ、具合悪かったのか? はやく保健室にいきなさい」

「はい」

 美咲に連れて来られたのは、保健室ではなく屋上だった。なぜここに連れて来られたのか戸惑っていると、美咲は急に叱り出す。

「アンタちゃんと食べてんの? だんだん痩せてくるし、見てるこっちが心配になるよ」

 唖然としたが、美咲のその気遣いが嬉しかった。

「それと、最近ストレス溜めすぎ! アンタみたいなテレパシーがなくてもわかるんだからね!」

 その心配が嬉しくて、少し微笑んだ。

「ちゃんと、見ててくれたんだ……」

 今は、美咲の心の声までが聞こえてきた。

(当たり前のこと言わないでよ、恥ずかしい)

 莉子はこんな時、悠に会いたくなる。アンチサイである悠には、近づくほどにノイズが消えて癒されるからだ。

「美咲……私、悠くんに会いたいよ……」

 そう言って涙を流す。すると人の気配が近づいてくることを察した。

「呼んだか?」

 その人物は、悠だった。今までの会話も聞かれていたのかもしれない。

「アタシ、売店でサンドイッチとジュース買ってくる」

 気を利かせた美咲は、横を通るときに小声で言った。

「ホラ、頑張りなよ」

 その気遣いに感謝して頷く。そして緊張しながら話し出した。

「悠くん? 何でここまで来たの? 授業は?」

「サボって追いかけてきた」

嬉しく思う反面、悠のことが心配になる。

「……そんなの、悠くんらしくないよ」

彼は頭を掻いて言った。

「いや、俺も記憶なくしたし……」

「それは、悠くんのせいじゃないよ」

 そこに戻ってきた美咲は、袋ごとサンドイッチを渡すと教室に戻っていく。残されたふたりは食べながら話した。

「じゃあ、記憶が戻ったわけじゃないんだ」

「うん。……ごめん」

「ううん。仕方ないよ」

「お前って、いつもそうな」

 その言葉の奥に潜んだ意味に、微かに身体が動く。

「陽キャで天使キャラ演じてるだけだろ?」

 頭の中が、絶望で支配された。

「何で……そんなこと言うの?」

 次の瞬間、涙が零れた。悠は困ったように自分自身の頭を触る。

 莉子は涙を拭くと、一人で階段を降りて行った。


 次の日、莉子は学校を休むと予想していた。

 しかし、教室につくや否や、聞き慣れた明るい声が響く。

「おはよう」

 莉子はいつものようにクラス全員に笑顔で朝の挨拶をしていた。

「おはよう。具合大丈夫?」

「うん。心配かけてゴメンね」

 莉子は女子にもカリスマ的人気がある。おそらくその優しさと美しさには同性にも惹かれるところがあるのだろう、と推測していた。

「あ、悠くん。おはよう!」

 昨日は不容易な言葉で泣かせたというのに、もう立ち直っている。

「……はよ」

 低い声しか出ないのはいつもだ。どうすれば、彼女のようにはっきりとした挨拶ができるのだろう。そう思っていると、美咲が不満げに言った。

「もっと元気に言えよ」

「美咲……おはよう」

 莉子の苦笑のあとの挨拶を受けた美咲は、クラス中に響く声で言う。

「はよーッス!」

 そのやりとりを聞いていたクラスメイトが大爆笑する。二人の陽キャに陰キャである悠が劣等感を抱くのはこんな瞬間だ。

 莉子は、さっそくクラスのなかで笑わなかった女子に声をかけた。

「大丈夫? 元気ないね」

 その生徒は莉子を信頼して悩みを打ち明け始める。

 莉子に違和感を覚えるのはこんな時だ。彼女に惹かれるのは、その性格の多面性だと思う。本人は保身のためにテレパシーを使っているが、そんなことをしなくても、充分に魅力的なのに、ということが伝えたかった。でも、どうしてもうまく言葉にできない。

 その一方で、莉子の行動の真意を知りたいという思いが浮かぶことも否定できなかった。


 水彩絵の具で色を塗ったような水色の空に薄い影のある入道雲が浮かぶ帰り道。自転車を漕ぐ美咲の後ろに立って肩を掴んで二人乗りしているときにふいに言葉が出た。

「夏が近いねー」

 同じ調子で、美咲も言う。

「期末テストも近いねー」

 自転車の後ろから訊いた。

「ちゃんと勉強してる?」

「そういうアンタはどうなのよ」

 美咲とは試験でもかなり高得点を取る名コンビだ。しかし、最近は授業に集中できないことや、家族関係などの悩みもあり、勉強に集中できていなかった。その原因は、悠に告白したことを忘れられたことが関係していると自分でも気づいている。

「うん……」

 最近、このようにたまに落ち込んで塞いでしまう。その度に、美咲が元気づけてくれる。

「そうだ! 悠に勉強を教えて貰おうよ!」

 複雑な気持ちになっていると、美咲は続けた。

「悠って、いかにも頭良さそうだし、莉子にとってもチャンスだよ!」

 告白を忘れられたのに、何のチャンスがあるというのだろうと思ったが、あえて口にしなかった。

「わたし……勉強ごっこはするつもりないよ」

 中学生の頃に、友達数人と勉強会を開いたことがある。しかし、それはただのお喋り大会になって全然勉強に身が入らなかったという記憶があった。

 美咲は自転車を漕ぎながら沈黙する。謝罪すべきだろうか、と思った矢先に、美咲はまた明るい話題を振ってくれた。

「そういえば、莉子の将来の夢って、何?」

 再び、黙ってしまう。今の生活を送ることで精一杯で、将来のことを考える暇がない。母親に相談すると、大学に行ってから考えなさい、と言われる。

 自転車を漕ぐ音と、セミの鳴き声が辺りに響いていた。

「……まだ、決めてない」

 これでは拗ねているようで、さすがに美咲にも申し訳ないと思う。しかし美咲は自転車を止めると、気まずそうに自分の髪を触りがら言ってくれた。

「……そっか」

 二人で自転車から降りると、急に爽やかな風が吹いてきて、ふたりの髪を嬲る。

「じゃあ、期末テストが終わったら、浴衣を着て夏祭りに行こう! 悠も誘ってさ」

「え?」

「何の柄、着てく? 莉子も一緒に買いに行こうよ!」

 勇気を出して悠に告白したことまで知っているから、美咲はこのように応援してくれるのだと悟る。それなら、断る理由もない。

「うん!」

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