響のうた
木端みの
プロローグ
小さな河川敷へ繋がる階段を少年は降りて行った。
その川は大きなパチンコ店の裏にあり、人影もまばらだ。特に橋の下はうす暗く、人目につかない。彼はその場所が好きだった。
河原に降り立った少年が、橋の方へと歩いて行く。
橋の下で立ち止まると、大きく息を吸い込んだ。
この場所で歌うと、橋の裏側に音が反響して自分の歌声がよく聞こえる。どこがズレているか、どこを直さなきゃいけないかがわかりやすい。
人も滅多に通らないこの場所は、少年が発声練習をするのにうってつけだった。
ここなら、誰にも嫌がられない。
奥まって茂みに隠れた場所に、動く人影を見つけて少年が呼吸を止めた。
川べりに座り川の水に裸足をつっこんだ女性が、束になった紙に必死に何かを書き写していた。
影になっているはずなのに、その目がキラリと光ったように見えて彼の心は高鳴った。
誰かが何かに夢中になっているところを久しぶりに見た。今よりもっと幼い頃の自分はあんな顔をしていた。胸が疼いて、口から声がもれるのを抑えられなかった。
美しい彼が発したその歌声は、大音量の不協和音だった。
「わぁっ」
女性の叫び声にはっとし、少年は慌てて両手で口元を抑えた。だが、遅かったようだ。
バサバサと音がしたかと思うと、女性が抱えていたたくさんの紙が川面に広がった。
女性は服に水飛沫が飛ぶのにも構わず、裸足のまま川に入っていった。
ゆっくりとだが流されていく、その紙を追いかけようとする。
「うわっ、何してるんですか!」
「それはこっちのセリフよ。大事な本が濡れちゃったじゃない!」
(本?)
少年にはそのどれもがペラペラの紙にしか見えず、どこに本があるのかと戸惑った。
「ボクは別に何も……」
そう言いながらも慌てて、彼もスニーカーを脱ぎ捨てる。ざぶっと音を立てて川に足を突っ込めば、そこが到底溺れる深さではない浅瀬だとわかる。
彼はひとまず安心した。
水に濡れた紙を一枚ずつ救出していく少年の姿に彼女は目を見張ったが、すぐに頬を膨らませるとしゃがみ込んだまま彼を見上げた。
「君の歌のせいなんだから」
濡れた紙の束を抱えた少年が水を滴らせながら振り向く。彼女は続ける。
「責任とってよ、少年」
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