聖与世夫は静かに死にたい〜the fie-man incident file.(連載版)

たーばら

第1話 温泉宿の毒湯

第一章 温泉宿の毒湯


オレの名前は聖 与世夫(ひじり よせふ)、四十五歳。肩書きは……まあ「無職」だ。

 ただの無職じゃない。数年前にベンチャー投資で一発当てて、資産は百倍に膨れ上がった。長年勤めたブラック企業を辞め、都会を離れ、今は地方で自給自足まがいの生活をしている。


 朝は畑で野菜を摘み、昼は図書館で新聞をただ読み、夜は鶏小屋の世話。金は使わないし、使う必要もない。

 月に数十万の配当と利子が口座に勝手に転がり込んでくる。つまりオレは、働かずとも死ぬまで金に困らない人種、いわゆるFIRE民ってやつだ。


 もっとも、別に人助けをしたいとか、地域に貢献したいとか、そんな殊勝な気持ちはない。

 世の中、カネさえあれば他人なんかどうでもいい。ゾンビ映画で言えば、真っ先に死ぬタイプの性格だと自覚している。


 それでも、今日は珍しく「温泉宿」に泊まることにした。理由は単純、自治体の補助金を使った“格安湯治プラン”があったからだ。

 金があるのにケチるのかって? 違う。金があるからこそ、無駄に使う気がないのだ。節約は資産家の嗜みである。



――私は、会社の慰労休暇を利用して温泉地にやって来た。

 東京での仕事は激務続き、心身ともに疲れ果てていたから、静かな山間の宿でゆっくり癒されたいと思ったのだ。


 チェックインの時、受付の横で妙に薄汚れたジャージ姿の中年男を見かけた。

 手にはスーパーの袋。中には野菜がゴロゴロ詰まっている。


(旅行に野菜を持ち込む人なんているの……?)


 奇妙に思ったが、彼は気に留める様子もなく、ぶっきらぼうに宿帳へ名前を書いていた。――聖 与世夫。



---


事件の予兆


 その夜。

 私は露天風呂に入ろうとしたが、宿の女将が慌ただしく駆けていくのを見た。


「大変です、お客様が倒れて……!」


 湯小屋の方から悲鳴が上がる。

 駆けつけると、男の宿泊客が湯に沈んでいた。すぐに引き上げられたが、顔色は紫色で、息をしていない。


 辺りには、独特の苦い臭いが漂っていた。

 露天風呂のお湯は、どこか濁って見える。


「これは……毒?」

 女将の言葉に周囲がざわつく。


 そのとき、隣で湯上がり姿の聖 与世夫が、呑気に缶ビールを開けながら口にした。


「へぇ、毒か。まあわざわざ金出して買わなくても、そこらの雑草煮込めば同じ効果出るけどな」


 ――場にいた全員が、凍りついた。




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