第4話 見えざる秩序、経済の要

永禄九年(一五六六年)の晩秋。家康は、信虎の命により、武田領内の経済巡察に赴いていた。駿河の異文化の波を乗り越え、彼の心には、合理だけでは割り切れない「理と感情の融和」という新たな哲学が宿っていた。道行く人々は皆、穏やかな表情を浮かべ、彼が治める三河とは異なる、どこか満ち足りた空気が甲斐には満ちていた。家康は、その理由を確かめるべく、虎車が行き交う街道に立っていた。


街道は、信虎の命で整備された「轍路(てつろ)」だ。馬の蹄が、一定のリズムで地面を叩く。その音は、かつて戦場で聞いた地鳴りとは異なる、生命の脈動のような音だった。荷を積んだ虎車が軽快に通り過ぎるたびに、家康は、その車輪の軋む音と、馬の荒い息遣いを耳にした。しかし、その音は、疲労の音ではなく、勤勉な働きを象徴する音だ。家康は、目を閉じて、その音に耳を澄ませた。耳を澄ませば、遠くの村から聞こえる子供たちの笑い声、麦を刈る農夫たちの歌声、そして風に乗って運ばれてくる味噌の香りが聞こえてくる。これらの音と香りは、武田の泰平が、刀や槍ではなく、日々の営みによって築かれていることを、家康に実感させた。


街道の脇には、虎車から運び出された虎肥(こひ)が積まれていた。馬糞から作られたそれは、土のような匂いを放ち、しかし触れば、温かかった。家康は、その一塊を掌に取り、その温かさと、土に返ろうとする生命の匂いを深く吸い込んだ。その感触は、彼の心に、信虎の壮大な経済戦略が、机上の空論ではなく、この大地と民の営みに深く根差していることを強く訴えかけた。


巡察の道中、家康は、農村に立ち寄った。農民たちは、馬が引く犂(すき)で、これまで数日かかっていた田畑を、半日足らずで耕していた。彼らの額には汗が滲んでいたが、その顔には、かつて三河で見たような、飢えや不安の色はなかった。農夫たちは、家康に語った。「殿様のおかげで、この虎判金があれば、冬も安心だべか」。彼らの掌には、ずっしりと重い虎判金が握られていた。その光沢は、単なる黄金の輝きではなかった。それは、彼らが流した汗と、武田の国に対する揺るぎない信頼が、凝縮された輝きだ。


家康は、民の言葉を聞きながら、父・広忠の存在を思い出していた。父は、信虎の「影」となり、三河の山奥でひっそりと生き続けている。その人生は、孤独であったに違いない。しかし、その「影」の人生が、この武田の経済秩序を支える、隠れた柱であったことを家康は悟った。虎車が運ぶ物資、虎肥が育む豊かな大地、虎判金が繋ぐ民の心。そのすべては、父の犠牲の上に成り立っているのではないか。彼の脳裏には、「父の愛」という一点が、大きく膨らんだ。


その愛は、単なる感情ではない。それは、父が選んだ「影」の人生、そして信虎が築いた「理」の秩序と複雑に連鎖反応を起こし、「息子である自分が、父の犠牲を無駄にしないため、この秩序を次代に繋ぐ」という、「必然の線」へと分裂していく。家康の心に、武田の天下を支える「器」としての自らの使命感が、かつてないほどに強く芽生えた。彼の瞳には、父への感謝と、主君への忠誠、そして未来への希望が混じり合い、新たな輝きを放っていた。


その日の夜、家康は駿河の宿で、信虎への報告書を記していた。筆を走らせる家康の手は、迷うことなく滑らかだった。彼の脳裏には、虎車が走る街道、豊かな実りをつけた畑、そして、虎判金を手に安堵の表情を浮かべる民の顔が、鮮やかに浮かんでいた。その全ては、信虎が築いた「理」の力であり、そして、父・広忠の犠牲の上に成り立つ、確固たる現実だった。家康は、報告書の最後に、ただ一言、記した。


「此度の巡察、殿の御政の深きを、まことに体感致しました」


簡潔な言葉だが、そこには、家康の心からの感嘆と、信虎への絶対的な信頼が込められていた。武田の「見えざる秩序」は、彼の心に深く刻み込まれ、後の彼自身の生きる道に、大きな影響を与えることになる。それは、家康が単なる武将ではなく、「泰平の世」を築くための「器」として完成する、静かなる自覚の瞬間であった。

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