【BL】千年の呪いを癒すのは、君だけ

宇津木 しろ

第1話 

「レオン! 今日も薬の調合か~?」

 黒いローブの元同級生が、囃しながら石畳を駆け抜けてゆく。


 薬草店の軒下で、俺はぎこちなく笑みを作り、煮え立つ釜をかき混ぜた。


──レオン・アルバス。

 「百獣の王」に由来するその名は、俺の小柄な背と怯えがちな心には不釣り合いすぎる。


 俺はこの街でただ一人、男でありながら「白魔道士」と呼ばれる存在だ。

 攻撃魔法を操れぬ臆病者。そう囁かれるたびに、胸の奥が痛む。


 立ちのぼる湯気が目に染み、知らず涙がこぼれた。 

 それを拭う前に、視線が背中へ突き刺さる。

「情けない」とでも言いたげなその眼差しが、俺の存在をますます小さくする。


 そのとき、白いローブの群れが薬草店の前を横切っていった。白魔道士の少女たちだ。華やかに笑い合う声が近づく。


(……泣いていると気づかれたら厄介だ)


 俺は慌ててしゃがみ込み、釜の陰に身を隠す。外から響く笑い声が、容赦なく耳を打った。


「第一王子様が、専属の白魔道士を雇うんですって!」

「ええ、本当? 絶対に応募するわ!」


 専属の白魔道士。聞き慣れない言葉に、思わず息を潜める。

 ルーメリアン王国の第一王子――セオドア・エルンスト。勇者の血を継ぐと噂される人物だが、俺はまだ一度もその姿を見たことがない。


「……もしかして、王子様狙い?」

「まさか! 恐れ多いわ。けれど王都には素敵な殿方がたくさんいらっしゃるって」

「いいなあ。この街にはレオンしかいないし、私も外の世界を見てみたい」


――胸が、ずきりと疼いた。

「レオンしか」。その一言が鋭い刃のように突き刺さる。

 俺なんて、誰にも必要とされていない。分かっていたはずなのに、言葉にされただけで、重く心臓を押し潰された。


 静かに立ち上がり、裏口から外へ抜け出す。


 青空は嘘みたいに澄み渡り、乾いたタイムの香りが風に混ざって鼻をくすぐった。


(……少し、サボろう)


 横たわり、目を閉じる。もし忘却の魔法が使えたなら、今日の記憶をすべて消してしまいたい。

 そう思った瞬間、頭上に影が落ちた。


「――見つけた」


 目の上で、青が瞬いた。海より澄んだ色の瞳。

 逆光に縁どられた輪郭は、冗談みたいに端正だった。銀の髪が光を裂き、影を落とす。立っているだけで、空気の温度が変わっていた。


 俺が半身を起こすと、草の葉がローブに貼りつく。脳裏に知っている名前が浮かび上がるより早く、その人物はゆっくりと膝を折った。


「君を探していた」


 石畳の音も、露店の呼び声も遠のいた。冗談じゃない、と思った。第一王子が。あの、勇者の末裔が……俺を?

 俺は慌てて草を払い、頭を下げる。心臓が締めつけられ、喉の奥が詰まった。


「お、お言葉ですが、俺なんか――」

「いや。君がいい」


 王子は静かに重ねた。苛立ちでも命令でもない、穏やかな声音だった。


「専属の白魔道士になってほしい」


 俺は口をぱくぱくと動かす。カエルみたいだ、と自分で思う。

 断る理由はいくらでもある。俺は小柄で、臆病で、戦場で役に立つとは思えない。広場の娘たちの方がよほど頼もしい。

 それなのに、王子の瞳は俺を逃がさない。あの青に見つめられると、胸の奥がきゅうっと苦しくなるんだ。


「……どうして、俺なんですか」


 ようやく出てきた声は掠れていた。王子は少しだけ目を伏せ、右手の手袋を外す。甲の中央に、細い刃でつけたような白い痕。古い傷が、光に透ける。


「昔、ここを治してもらった。庭の片隅で、泣くほど痛かったくせに、誰にも言えなかった。王子は強くあれ、と教わっていたから」

 言いながら彼は、遠いものを確かめるみたいに私を見た。

「君は黙って、手を重ねた。温かかった。痛みが引いて、やっと息ができた。……それからだ。人混みの中でも、戦の報告の最中でも、君の匂いを探すようになったのは」


 そんなこと、知らない。覚えがない。

 俺の額に汗がにじみ、顎先からこぼれていく。

 王子は立ち上がり、手を差し出した。長い指は、傷だらけなのに誰よりも優雅だった。


「来てくれるか」

 逃げるなら、今だ。そう思ったはずなのに、俺の指先がその手へ伸びた。王子は目を瞬かせ、笑った。ほんの少し、少年の面影がのぞく笑い方で。


「やっぱり、君だ」


 私の喉が熱くなる。何か言わなきゃ、と思えば思うほど、言葉は出なかった。代わりに王子が言う。


「名を、教えてほしい」


「……レオン」と、私は小さく答えた。

「レオン・アルバス。町の診療所にいます。あの、その、たいしたことは――」


「レオン」

 王子は俺の名を、ゆっくりと確かめるみたいに呼ぶ。

「私はセオドア・エルンスト。第一王子だ。……今日から、君は私の白魔道士だ」


 石畳に影が伸びる。日の位置が少し傾き、王城の白壁が黄金を帯びる。

 王子――セオドアは手を離さないまま、俺を立たせる。距離が近い。銀髪の向こうで、青が静かに揺れる。俺より三十センチは高い。見上げる首に痛みが走る。

 

「王宮に部屋を用意させよう。必要なものはすべて揃える。訓練場は朝と夕、俺の稽古に付き合ってほしい」

「つ、付き合うって……俺はその、回復と、移動支援しか……」

「それでいい」

 セオドアの声は、迷いがない。


「君が近くにいれば、私は倒れずにいられる」

「……どういう意味ですか」

「言葉どおりの意味だ」

 そのまっすぐな言葉に、心臓が激しく打つ。セオドアの本心なのか。考えれば考えるほど、分からなくなりそうだった。


 背後で、鎧の微かな触れ合う音がした。振り向くと、青い髪の騎士が路地の入口に立っていた。水色の瞳が愉快そうに細められている。


「セオ、全力で城下に降りるからには、成果はあったみたいだな」

「ああ。成果以上だ」

 セオドアは騎士に短く答え、私を見下ろす。「行こう、レオン」


 俺は一歩、そしてもう一歩と、王子に引かれて歩き出した。石畳が陽に光る。露店の布の影が足元を流れる。

 つないだ手のひらの中心から、温かさがじんわりと滲んだ。


 翌朝、王都。


 城門の高い塔の上で、旗がはためく音がした。


 俺は問いをひとつ、飲み込む――どうして自分は、彼の語った「昔話」を覚えていないのだろう。なぜ、彼はこんなにも確信に満ちているのだろう。


 城門の前で、セオドアがふと立ち止まる。

「レオン。怖くなったら、ちゃんと言ってくれ。強い振りをするのは、俺だけで十分だ」


 俺はうなずく。声は出さない。代わりに、指先に少しだけ力を込めた。

 王子は満足そうに目を細め、門番へ軽く顎をしゃくる。重い門が開く。陰影が深くなった回廊へ、俺たちは踏み入った。

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