無能力だと思っていた俺、実はクトゥルフ系サモナーでした。謎の美形と影で稼いでいたら、SNSで大バズりしてました
フルーツ仙人
第1話
冷蔵庫を開けると、ペットボトルの水と卵がひとつ。
今日の晩飯は卵かけご飯で決まりだな。俺と妹の美月、二人分ならなんとか足りる。
ちゃぶ台の上には、病院から届いた封筒が置きっぱなしになっていた。祖父の入院費。開けなくても中身はわかる。
大学の講義の合間にやるバイト代、奨学金、それからダンジョン関連の雑用仕事。どれも焼け石に水だ。食費と家賃をやり繰りするだけで精一杯で、祖父の治療費までは到底追いつかない。
小さなテレビから、派手な音楽とアナウンサーの声が流れてきた。
「世界プレイヤーランキング・ジャパンリージョン、発表です!」
数年前、世界中に同時多発的に現れた“ダンジョン”。
魔物と資源が眠る異常空間は、人類にとって脅威であり宝の山でもあった。
そして同時に、一部の人間に“プレイヤー能力”と呼ばれる力が発現した。
国際機関と企業はそれを制度化し、各リージョンごとにランキングを設け、英雄を表彰するようになった。
観客の歓声、スポットライト、豪華な舞台。トップランカーの英雄たちが花束を抱え、スポンサーに囲まれて笑っている。
ちゃぶ台を挟んで、美月が目を輝かせていた。中学生らしい顔だ。
「お兄ちゃんも、もし強かったら……ランキングに載ったりするのかな」
俺は茶碗を持ち上げ、苦笑いで返す。
「そうかもな。でも、今の俺には飯代と電気代のほうが大事だ」
「……夢がない」
美月がむくれる。けれど俺には、夢より現実のほうが重かった。
翌日、大学の夏期特別講義を終えたあと、俺は日雇いの探索者バイトに向かった。
俺に特別な力はない。装備を持たされたって、やるのは荷物持ちか雑用だ。安全度を優先して低級ダンジョンや小規模ダンジョンを回る。それでも時給はコンビニより少しマシ。危険手当や踏破すればボーナスもつくので、そっちが目当てになる。生活費のためなら多少危険でもやるしかなかった。
今日の現場は、発生したばかりの小規模ダンジョン。まだ構造が安定せず、壁も床も生き物のように脈打っている。
先頭を行くプレイヤーの後ろを歩いていたとき、地面が大きく揺れた。
「――崩れるぞ!」
叫びと同時に、通路が崩れ、俺たちはバラバラに弾き飛ばされた。
土煙の中、呻き声が響く。探索記録にまだ載っていない魔物だ。明らかに今回の新人編成では手に余る。素人に毛が生えた程度の俺でもわかるほどにヤバい。本来低級ダンジョンでこんなトラブルはないはずだったのに。牙の影が、新人プレイヤーたちにじりじりと迫る。
「走れ! 出口のほうに!」
唯一の年嵩のプレイヤーが、必死に声を張った。新人プレイヤーが泣きそうな顔で立ち上がり、出口へ走り出す。しかし、魔物の方が追いつくのが早い。
その瞬間だった。
背後から、冷たい闇が広がっていく。
「ひっ! なんだこれ?!」
形を持たない黒の塊が壁や床を這い、空間そのものを侵食していった。
部屋全体が“恐怖”に支配され、新人プレイヤーたちは震え上がり、魔物でさえも怯んで動きを止めている。
――逃げられない。そう思った瞬間、口から言葉が漏れた。
「……止まれ」
コールタールのような黒い塊が、ぴたりと沈黙した。
魔物ではない。あの恐怖そのもの――不定形の存在だけが、俺の声に従った。
次の瞬間、闇は霧散し、支配から解き放たれた魔物たちは断末魔を上げて消え失せた。
「……い、今の……夢だったのかな」
尻もちをついた新人プレイヤーが、青ざめた顔で震えていた。
その言葉に俺は無理やりうなずく。夢――そう思うほうが、よっぽど楽だった。
けれど胸の奥では、あの“黒い塊”が俺の声に従った感触が、まだ生々しく残っていた。
後処理に巻き込まれて遅れて帰宅すると、アパートのドアを開けた途端に息が詰まった。
畳の上、ちゃぶ台を前に正座する美青年がいた。
美月がお茶を差し出し、戸惑った顔でこちらを振り向く。
「お兄ちゃん……」
「……は? 誰だお前」
俺の誰何に、青年は深々と頭を下げ、静かに言った。
「お帰りなさいませ、大理さん。僕はテオドール。先ほどの存在です」
背筋が冷たくなる。夢じゃなかった。
恐怖の支配者が、今は美青年の姿で、ちゃぶ台に正座していた。
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