七色の空へ
幸まる
天女の住む時計台
薄く靄がかかり、足元にはふわふわと雲が流れて行く。
老人はゆっくりと瞬きした。
「ここはあの世かなぁ」
口に出せば、頭がはっきりした。
昨日、白寿の誕生日を施設で祝ってもらった。
息子家族、娘家族が午前と午後に分けて面会に来て、祝ってくれた。
ひ孫がくれた私の似顔絵は、髪がふさふさとしてなんだか若々しかったが、とても上手に描けていた。
幸せな人生最後の日。
充実した人生だった。
叶わなかった夢もある。
しかし、手に入らなかった眩しいものを繰り返し思い出して嘆くより、手に入った温もりを数える喜びを、妻が教えてくれた。
その妻には先立たれた。
寂しさを埋めてくれた小さな文鳥も、一年前に逝ってしまった。
それでも、周りの人々に恵まれて、最後の日まで笑っていられたのだ。
感謝ばかりだ。
思い残すことはない。
ここで来るべきお迎えを待っていれば良いのだろうと、老人が視線を巡らせた時だった。
「おや?」
気付けば、近くに小振りな金の塔が建っていた。
金と言ってもギラギラしたものでなく、日没に向けて西に降りていく太陽に似た、暖かな金。
家に帰って家族に会いたくなるような、懐かしい気持ちになった。
この塔を上りたかった。
ふと、そんなことを思い出した。
それで老人は、塔に足を踏み入れた。
塔の中は螺旋階段になっていた。
登り始めるとすぐに疲れてしまって、老人は階段に腰を下ろした。
死後の世界だと言うのに、生前のように足腰も弱っていれば、体力もないままだなんて酷すぎる。
「どうせなら、若い頃のように動ける身体にして欲しかったものだよ」
思わずボヤく。
と同時に、鐘が鳴り始めた。
コーン……
想像より軽い鐘の音。
しかし、なぜかよく耳に馴染んだ音色だ。
「十二時の鐘か」
この音が十二時の鐘の音だと、老人には分かった。
そう、この塔は時計台だ。
十二時の鐘が鳴り始めたら、鳴り終わるまでに塔の最上階を目指さなければならない。
そんな風に気が急いて、老人はなんとか立ち上がった。
するとその時、膝に添えた皺だらけの手に、白く柔らかな羽根が触れた。
顔を上げると、純白の羽根を持つ、線の細い少女が立っていた。
一瞬お迎えの天使かと思ったが、よく見ればその羽根は両の翼を象るものではなく、羽根が幾重にも重なった羽衣だった。
「天女?」
思わず口にすると、天女はそっと手を握って塔の上へ老人を促す。
つられて足を出せば、先程までの膝の痛みは消えていて、難なく上って行けた。
羽衣はまるでゆっくりと羽ばたくように、上下に波打つ。
螺旋階段を上りながら、天女は時々老人を気遣うように視線を向けた。
先導する天女の様子を見て、ふと老人の口から名が漏れた。
「シロ」
シロは一年前に亡くなった白い文鳥だ。
まだ施設に入所する前、妻に先立たれた
純白の艷やかな羽根に、赤い嘴。
人懐っこく甘えん坊で、差し出す指に擦り寄る温もりは何にも代え難いものだった。
握られた手の温もりは、そのシロを思い出させた。
「もしかしてシロかい?」
天女は薄く笑む。
肯定とも否定とも判断できない微笑みだったが、老人は嬉しさが込み上げて、握る手に少し力を込めた。
コーン…
コーン……
何度目の鐘が鳴ったのだろう。
十二回鳴るまでに塔の上に辿り着くなど無理だと思ったが、天女に引かれる身体は羽のように軽く、あっという間に塔の上へ出た。
開けた視界に、サアと七色の光が走る。
「虹だ」
塔の上の空は虹色に染まり、キラキラと光を散らす。
「ああ、綺麗だなぁ……」
そう、この空を見たかった。
あの子と塔を上り、この空を眺めてみたいものだと、何度も想像した……。
虹の中から白い文鳥が飛んできて、肩に止まって嘴を擦り付けた。
シロだ。
気が付けば側に妻がいて、微笑んで手を握る。
離れた所には先に逝った親友や、何十年も前に亡くなった父母がいて、手を振っていた。
お迎えだ、ここから天へ行くのだ。
空へ足を踏み出した老人は、いつの間にか随分離れていた塔を見下ろした。
塔の上で、天女はこちらを見上げていた。
「君は、あの子だったんだな」
「ありがとう」の声が聞こえたのか、天女は嬉しそうに笑った。
◇ ◇
「お祖母ちゃん、これどうしたの?」
幼い孫が居間のテーブルの上を指差した。
円柱型の置き時計。
ガラスケースの中には、鐘が付いた赤金色の塔があり、小さな白い鳥のモチーフが下に止まっている。
「曾祖父ちゃんの時計を貰って帰ったのよ。この鳥さんがね、飼ってた
祖母が針を進めて十二時にすると、コーンと鐘が鳴り始め、鳥が塔の周りを螺旋状に飛びながら上っていく。
同時に塔の上の青空がゆっくりと反転して、鐘が十二回鳴り終わると同時に虹が掛かった。
「いつかこんな空を見たいって、曾祖父ちゃん、よく言ってたわ」
祖母が柔らかく目を細める。
秒針がカチカチと音を響かせる。
しばらくして、白い鳥は役目を終えたようにゆっくりと塔を降りて行った。
《 終 》
七色の空へ 幸まる @karamitu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます