孤児院編

♯1 見知らぬ天井

 はっ、と自分が息を呑む音で目を覚ました。

 夢の中で頭にくらった衝撃はすっかり消えていて、少しぼんやりする程度だ。たいした痛みもない。


 問題は、見上げた天井が、見知らぬ天井である、ということだ。

 当たりを見渡そうとしてもなかなか体が思うように動かない。とりあえず声を出そう。

 とするも。


「ああーーーっ」

 

 という自分のものとは思えない甲高い声に驚いて、すっかり閉口してしまった。


 さっきの夢は一体――――。


 真っ白な空間と、異様な程に美しかった幼い女の子ふたり。

 すでに痛みは消えているものの、ハンマーのようなもので殴られた衝撃はあまりに生々しく記憶に残っている。

 あの感覚を思い出すとまた頭が痛くなるような気がして、なんだか赤ん坊のように泣きわめきたくなった。


 もしあれが夢でなかったとしたら。

 俺は謎の幼女に頭を鈍器のようなもので殴られて何らかの怪我を負ったのだろうか?

 そうだとしたらかなり困る。ただでさえ家族から空気扱いを受けているのだ。自分がどんな処遇になるのか、考えることも恐ろしい。


「あれ、起きたのか」


 俺が涙を飲んだその時、頭上から声が聞こえた。


「ぐあい、どうだ?お腹すいたか?」


 脇の下に手を入れられて、ひょい、と体がもちあがる。急な出来事に固まっていると、さらに信じられないものが目に飛び込んできた。


 きりりと涼し気なつり目。

 グレーと黒の混じったような長い髪の毛が伸びる、頭の上にぴょこぴょこと跳ねているのは……。


 猫耳だ。


 そして豊満な胸――――硬い胸板。


 俺は気づいたら屈強な猫耳男の腕の中で抱き抱えられていた。


「うあ――――!!!!」


 変態猫耳男だ!


「おう、どーしたどーした」


 猫耳は女の子のものだろ!

 俺の驚嘆の声は胸板に吸い込まれていく。


「あ、あう、うー……」


「急にどうした?よしよし……」

 

 猫耳男に抱き抱えられたまま揺らされる。

 金髪幼女の次は猫耳の男。どうなってるんだ。

 というかなんだこの包容力は! 明らかに異様すぎる状況なのに、だんだん心が落ち着いてくる。


「ああ、う、あ」


 ここはどこですか、と聞こうとしても、喉からは無意味な喃語しか発せられない。

 まるで――いや、明記は控えるが、とにかくまともに言葉が話せないのだ。

 

 頭を殴られたからか? それともそれ自体が妄想で、元々なんらかの病だったのか?

 今までの現実が夢で、こっちが本当だとか。


「うう、あ……」

「うんうん、お腹が空いたんだよな」

「ううー……」


 違う!


 猫耳が屈強な男に生えているということにも驚きだが、そもそもここまで簡単に抱き抱えられているということも驚きだ。

 いくらこの猫耳がマッチョだからといっても俺だってじゅうぶんに中肉中背な男、いやむしろ最近は運動不足が祟ってかなり太っていたほうだと言うのに。


「おにいちゃーん? ユキアおきたのー?」


 また別の声が聞こえてきて、胸筋の圧迫が軽くなる。

 ひょこ、と俺の顔を、猫耳の男を柔らかくしたような顔が覗き込んでくる。男と全く同じ金色の瞳と、猫耳を持った、女だった。

 目がきゅっと開かれて、耳が揺れている。可愛い。やっぱ女の子だよな!


「アタシにもだっこさせて!」


 筋肉から解放されて、今度は柔らかいものが顔中に当たる。


「あ、ぐ、ふ……」


 おっぱ……でか……幸せだ……。幸せで頭がクラクラしてきた……いや……これは……くるし……。


「おいおい、そんなに抱きしめちゃ息ができないだろ?」

「ああごめん、苦しかった?」

「ぷは」


 危なかった。落ちるところだった。

 

 死因、巨乳。とか最高ではあるけれども。


 今俺を抱いている娘は、よく見ると猫耳男とよく似ていた。


 つり上がった瞳は長いまつ毛に彩られて、金色の色彩を引き立たせている。アヒル唇から覗く小さな歯はどれも尖っていた。

 猫耳男と同じ、グレーと黒の綯い交ぜになった髪の毛は男の方より短くて柔らかそうで外に跳ねている。

 現状を受け入れられない頭の一方で、兄弟なんだろうなと冷静に思った。


「君の名前はユキアだよ。もうにゃんにも心配いらない」


 筋肉質な男に急に身に覚えのない名前で呼ばれ、綺麗な猫耳の女から抱きしめられる。


 

 女に抱きしめられたまま、気絶するように眠って起きて、それでも天井は変わらなかった。

 見知らぬ天井は昨日から見始めた天井に変わった。


 猫耳男と猫耳女が甲斐甲斐しく俺の世話をやいて、よく分からないことを話しかけてくる。


 固い胸板と柔らかい乳を交互に頬に受けながら世話を焼かれるのが悪い気分な訳では無いが、ここまでひょいひょいと抱えられて何もかもをやってもらうとさすがに居心地が悪い。


 下着を脱がされて変えられるときが一番苦痛だ。


 今は歩くことも出来ないし意思を伝えようとしてもあうあうあーしか声が出ないというのに、排泄欲はどうしようもなく襲いかかってくる。


 恥辱だ……こんな若い、多分自分よりも年下の女の子に漏らしたと思われるなんて……!


「ユキア?全然泣かないにゃ、もっとわがままでいいのににゃあ」


 猫耳女は俺の下を変えながらそう言った。


「緊張してるのかにゃあ?いいんだよ。アタシたち赤ちゃんの扱いは慣れてるんだから」


 赤ちゃんだと?

 首を傾げ(ようとして失敗し)て、手を伸ばす。


 そこには、見覚えのない、ふくふくとした赤子の手があった。

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