第3話

 「今日の放射線科、めっちゃよかった!」

 看護師の田中が目をきらきらさせながらステーションに戻ってきたのは、午前11時ごろ。


「あれ、田中先輩?よかったって?」

 綾瀬は手を止めて声をかける。


「あ、綾瀬。あのね聞いて?不破さんに加えて、もう一人すっごいイケメンがいてさぁ」


「え、誰ですか誰ですか!」

 食い気味に前のめりになる。


「実は女の人なんだけど……及川さんよ!」


 綾瀬は口をとがらせ、

「え、ずる!俺も会いたかったなぁ」

 とあからさまに拗ねた。


 午後の予定に目を通すと――

「あっ、午後検査付き添いある!会えるかなぁ」


 目を輝かせた綾瀬の様子を見て、田中は苦笑いする。


「あんた、ほんとに分かりやすいんだから。犬みたい」


 ❋❋❋


 午後三時。


 綾瀬は、高齢女性を乗せた車椅子を押していた。向かう先は放射線科。

 その顔はいつにも増してにんまりしている。


 エレベーターに乗ると、奥の大きな鏡に二人の姿が映し出された。


 女性は振り返り、綾瀬のことを見上げた。


「あら看護師さん、今日はなんだか嬉しそうね」


「そうですか?そんなことないですけど」

 顔に書いてあることとは真逆のことを言う。


 女性は少し困ったように耳に手を当て、頭を傾けた。


 はっと気付いた綾瀬は、女性の耳元に口を近づけて、はっきりと言い直す。


「そんなこと、ないですよ」


 あぁ、と言葉が届いた女性は、うなずいてまた前を向いた。


(そうだった、佐藤さん、耳が遠いんだもんな)


 そうこうしているうちに一階に着く。


 耳元で「出ますよ」と伝えてから、ゆっくりと車椅子を押した。


 二人が放射線科前で待っていると――

「お待たせしました。三階西病棟の佐藤さんですか?」


 窓口から現れたのは、及川だった。


途端に、綾瀬の顔は明るくなる。


「及川さん!こちら佐藤さんです。よろしくお願いします。耳が遠いので、耳元で話すようにお願いします」


 及川は綾瀬を一瞥すると、軽く会釈した。


 そして、そっとしゃがんで佐藤の目線の高さに彼女も合わせる。

 穏やかな笑顔を見せたかと思うと、佐藤の耳元にそっと口を近づけて、


「佐藤さん、お待たせしました。検査よろしくお願いします」

 と言った。


 すると、佐藤の頬がみるみる桜色に染まるのを綾瀬は見逃さなかった。


 及川に連れて行かれる佐藤を苦笑いしながら見送る。


(及川さん、イケメンだからなぁ)


 数分して二人がまた現れた時、佐藤の顔はさらに赤みを帯びていた。


 及川が佐藤の肩に優しく触れ、見上げた彼女に向かって再び顔を近づける。


「お疲れ様でした。お大事にしてください」 

 そう言って、佐藤の正面でまたふわっとした笑顔を見せる。


 佐藤は扉の奥に消えていく及川の背中を、きらきらした瞳で追い続けていた。


 病棟への帰り道。


 エレベーター待ちをしていると、佐藤は車椅子を持つ綾瀬を見上げた。


「ねぇ、さっきの人、かっこよかったわねぇ。なんだか恥ずかしくなっちゃって、私、顔が熱くなっちゃった」


 綾瀬は苦笑いし、少ししゃがんで

「佐藤さん、あれ、女の人ですよ」

 と伝える。


 佐藤は目を丸くした。


「えっ、そうなの?やだ、間違えちゃった。だって、あんまり素敵なんですもの」


 困ったように顔をしかめ、両手を頬に当てる彼女を、綾瀬は(かわいいなぁ)と見守った。


 そのかわいさにつられるように、ふっと想像がよぎる。

 もし自分が、あの及川さんに――。


 耳元へそっと口を近づけられ、あの空気に溶け込むようなハスキーボイスを落とされたら。


 ふわりとした笑顔が、自分だけに向けられたら。


 胸の奥がばくんと跳ね、血が一気に顔にのぼる。耳までじんじんする。


(え、ちょ……なんで?え?)


 ピンポンという音とともに、エレベーターの扉が開く。


 車椅子を押されて中に入った佐藤は、鏡に映った綾瀬を見るなり顔色を変えた。


「ちょっと、あなた大丈夫?」

 心配そうに綾瀬を見上げる。


「あなた、顔が真っ赤よ」

「えっ!」


 綾瀬は鏡を見て、耳まで赤い自分の顔にたじろぐ。


「だ、大丈夫です」


 その声は裏返り、拍子抜けするくらい上ずっていた。


 綾瀬は、その晩、胸の高鳴りを抱えながら眠れなかった。

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