水浴びする天女の羽衣は濡れない

さわみずのあん

ごうん。ごうん。と小さく鈍い音が、私のまわりを回っている。


 目を覚ますと。

 ぐるぐる。歯ぐるま。歯ぐるま。ぐるぐる。

 歯ぐるま。歯ぐるま。歯ぐるま。

 まだ、頭がくらくらする。

 きら。

 なにかが光った。

 また、きら。

 歯。白く。光る。歯。


「きゃっ」

「あっ、姉起あねおき」


 私が跳ね起きると、灯りを持った誰か……、というか。

 馬鹿ばかおとうと鷹人たかひと、略してバカトが、馬鹿みたいな抜けた声を発した。


「バカトっ。あんたっ……、っつー頭痛い」

「大丈夫でしょ、むしろ頭を打ったことで、茜姉アカネ馬鹿姉バカネが治るかも。良かったじゃん」

「あんたねー」


 反射的に、歯に衣着せぬ舌戦開戦しようかと時。

 きら。弟の後ろで、白く光る歯。


「あっ、あんた、そっ、それ」

「ああ、これ。ツナ缶ランプ?」

「そっ、そうじゃなく、うっ、後ろ、歯」

「は、後ろ?」


 弟が振り返ると、ツナ缶の灯が。

 歯を照らす、唇を照らす。

 鼻を顎を、顔を照らす。


 綺麗な女の人の顔。


「ベッ、べっぴんさんや」

「姉ちゃんちゃう、弁天さんや」

「あらどうもお、弁天ですう」




 べっぴんさんが弁天さんで、一つ飛ばしてとっぴんしゃん。

 お話を整理。


 七月十一日から十二日。

 土曜日から日曜日に変わる、深夜零時。

 二段ベッドの上の段、弟の鷹人がごそごそ。

 そーっと、家を抜け出そう。

 気づいた私は後を尾け。

 外は真っ暗、ライト付き防犯ブザーを持っていこう。

 ランドセルから外す間もなく、そのまま担ぎ、弟の後を追う。

 小学校の通学路。何度も通った道であるから。

 弟はライトも点けず真っ暗な道を進む。

 付かず離れず見失わぬよう、尾行してると。

 カラン。カランカラン。と坂の上から。

 バカトが落としたツナ缶が。

 転げ、私のでこに直撃。

 私は気を失う。

 なぜツナ缶を弟が持っていたか。というと。

 弁天さんの好物らしい。

 弟は気を失った私を放置し。

 小学校の時計台に向かい。

 弁天さんに事情説明。

 弁天さんは、私の元までひとっ飛び。

 私を抱え、時計台まで戻り。

 弟も抱え、時計台の一番上。

 鐘と歯車のある部屋に飛び帰る。

 鐘と歯車の部屋で、弟は。

 理科室から盗んだアルコール燃料と芯でツナ缶ランプを作り。

 弁天さんはツナにマヨをかけ食べ、歯を白くしていたところ。

 私が目を覚ました。


 え、全然、話がまとまってない?

 私が悪いのではない。

 知能が小学一年生の小学三年生バカトの話が。

 あまりにも分かりにくいのが悪い。

 さて話は戻り、




「バカト、何言ってんか分からんわ」

「だからー、俺が学校のプールに忍び込んで、溺れていたところ、弁天さんが助けてくれたのさ。んでー、お礼にツナ缶を」

「あんた馬鹿なことっ。ありがとうございます弁天さん。いや、弁天様。弟を助けていただいて」

「いえいえ、いいんですよ。ずっと時計台の中で暇をしてまして、夜中にぱしゃぱしゃ音が聞こえたので、」

「いや、まじ死ぬかと」

「そのまま死ねば良かったのに。あれ……、弁天様は、なんで時計台に? 天女、なんですよね」

「昔々私、ここのプールで水浴びをしてまして。その時、その。排水弁を開けて、そのままに、」

「は、排水弁?」

「そのう、水を抜く栓です。しかも泳いでいるうちに、なんか水少なくなってるなあ、と思って。お水も追加して、けど、もちろんお水は抜けてるわけで、」

「たまにニュースで聞くやつですね」

「三〇〇万円の借金背負っちゃったんです」

「ツナ缶一万個買えんじゃん」

「天女ですから、お金なんてないので、校長先生に、『この時計台の鐘が、三千三百三十三回なるまで、学校で働いてもらいます』と言われ。弁済天として働くことに」

「弁天様の弁天って、そういう意味なんだ」

「けれど、途中で校長は、天に召され。時を同じくして、時計台も鐘が鳴らなくなり」

「大きな古時計みたいな話だ」

「えっ、ということは、弁天様、それから、ずっとここに閉じ込められたまま?」

「そうなんです。うっうっ。残り五百六十八回鐘がなるまで」

「なんとかならね? 姉ちゃん」

「うーん」

 私は少し考え、


「鳴らぬなら鳴らしてしまえ」

「そう易々と家康だよ」

「秀吉だよ」

「姉ちゃん。見ろよ、あの鐘の大きさ。あん重さ無理だろ」

「重いなら軽くしてしまえ。鐘が鳴るなり法隆寺」




 天女の羽衣。

 羽衣は、羽としての衣ではなく、羽とする衣。

 着るものの重さを軽くする衣。


 弁天様から羽衣を借り、時計台の鐘の上まで、ふわり飛び上がる。

 鐘を吊るす梁に腰掛け、羽衣を鐘に、優しく掛ける。

 鐘は、ハンドベルよりも、軽く。

 軽くなった鐘、けれど音は重いまま。

 私は思いっきり鐘を振る。

 ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴン…………

 夜の街に響き渡る、五百六十八回の、鐘の音。




「ありがとう。これで、私も天に帰れます」

「ぐおう、姉ちゃん。あ、頭が痛え」

「んがあ、あたしも」

 ゴンゴンとまだ、頭の中で鐘が鳴る中。

 ウーウーとパトカーの音が近づいてくる。

「やば姉ちゃんこのままじゃ、」

「捕まっちゃうかも、」

「大丈夫、お家まで、お送りしますよ」

 弁天様。弁済完済天様は、私達二人を抱えて、時計台から、空へ。

 ぐるりと、時計台を周りながら。

 空へ。

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