右行って右

京屋 京

第1話

また押した。ここのところ、ロケは毎回押している。それにしても押し過ぎだ。タクシーの時計が目に入った。2時55分、ああ、もう3時じゃないか。道は空いている。タクシーは滑るように、飛ぶように、走る。目は開いているのにウトウト寝ているようだ。

「お客さん、もうすぐ着きますよ」

「あ、その踏切渡ったら左に入って下さい。そこを200mくらい」

誰もいない真夜中の商店街に入った。秋祭りのための小ぶりな提灯が街頭から街頭へ張られ、その灯りがぼんやりと夢のように光っている。

「その路地のところで停めて下さい」

車を降りて右の路地は緩やかな下り坂になっている。そな左手3軒目のマンション5階が我が家だ。

と、、、10mほど先に赤ちゃん用の丸まった毛布?いや、痩せた犬?車に轢かれたのか?数秒、目が釘付けになった。帰ろう、そう思った時、

「うう、、、う」

うめき声が聞こえた。人だ!

「大丈夫ですか!?」

そう言いながら駆け寄った。

真っ赤なサッカー用ユニホームに下はパジャマ、膝を抱えた格好で横に倒れていた。

「大丈夫ですか?」

小さな男性、ガリガリに痩せた老人だ。

「大丈夫ですか」

「右、右行って」

「右、ですか?」

右と言われても、老人は右を下にして倒れている。しかしケガはないようだ。

「起こしますよ」

老人と道の間に右手を入れ、抱き上げるように起こした。

「座れますね」

「右、右行って」

「こちらですか?」

老人の右に回った。

「こちらですね?」

「右、右行って、右」

何を言ってる?

「とにかく移動しましょう。ここは道の真ん中だから」

そう言って支えるように抱きかかえるようにマンション側に移した。マンションの玄関近くに来ると、その明かりで老人がよく見えた。転んだ時に左頬と左肘をかすったようで微かに血が滲んでいた。ガリガリに痩せてはいるが、骨はしっかりしていて骨折などはない。

「どちらに行きますか?坂の下?上?」

老人は首を伸ばして左手、坂の下を見た。少し首を傾げ、右を見た。そして指を指しながら、また言った。

「右行って、右」

「住所はわかりますか?」

「わからん」

「名前は?」

「わからん」

そうか、徘徊か。

「警察を呼びましょう」

「いや、大丈夫」

そう言って立ち上がった。そして、よろけた。

「ちょ、ちょ、ちょっと、また転ぶといけないから、ほら、ここに座って」

マンション前に移動し、玄関前に座らせた。そして少し離れ110に電話した。交番は踏切横、歩いて3分、きっとすぐに来てくれる。しかし来なかった。ゆっくりゆっくり近づいく自転車のライトが見えるまで20分以上かかった。

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