量子の謎と青春の痛み、格差を越え希望へ走る胸熱の成長物語決定版、必読作

 量子計算の硬質な輝きと、都市の影に立つ少女の体温が同じページで鼓動する――そんな物語です。最新のTSP(巡回セールスマン問題)やアダマールゲートといった語彙が出てきても、焦点はつねに『誰が、なぜ、その選択をしたのか』。理屈は心を照らす灯りとして機能し、読者を遠ざける壁には決してなりません。

 まず掴まれたのは第1話。区立図書館の自習スペースで、朔が席を外した僅か30分のあいだに、白紙の解答用紙の最下段だけに厳密解の都市順が静かに書き込まれる。残されたのは、一本の長い黒髪。量子コンピュータでも3時間を要した計算を『手書き』で再現する不可解さと、上部の余白が「途中計算を書くつもりだったのか?」という示唆を残すミステリ設計が見事で、以後の『観測者は誰か』という主題が一気に立ち上がります。

 そして胸に残ったもう一幕は、第10話の木陰の昼食。素パスタや自家製ナンで飢えをやり過ごす凪の前に、転校生・二宮が現れ、チキンをはさんだ「即席ナン・サンド」を一緒に頬張る場面です。名前を『順位付き』で呼んでしまう癖ゆえに孤立してきた凪が、「凪ちゃん」と自然に呼ばれ、おかずを『交換』できたただそれだけの出来事が、都市の格差を越える小さなブレークスルーとして描かれる。学術トリックの鮮烈さと等価の重量で、生活の質感と希望の手触りを置いていく筆致に拍手です。

 量子の話題は豊富でも、比喩や会話が軽やかで読み口は端正。十日野と安倍子の都市対比、虹色の視覚ノイズ、教師との緊張、クッキーの甘さ――理(ことわり)と情(こころ)の配合比が絶妙で、読み進むほど『光』が増す一作。島アルテさん、続きも全力で応援します。

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