第15話 公開レトロカウザリティ #朔

 なぎがどうやって事故を予測し、回避したのか。

 さくはそれを聞こうとして声を掛けたが、彼女の予想外の反応に狼狽ろうばいし、思わずその場を離れてしまった。

 移動先の理科室でも、先程の出来事が気になったままで、授業に集中できない。

 凪の姿を目線で追う。彼女は別の島にいて、朔からは後ろ姿しか見えなかった。


(……あれは、いったい何だったんだろう?)


 凪が触れてきた左手に目線を写し、ぼんやりと考える。

 彼女はなんだか、自分が性的な興味を抱いた、みたいなことを言ってたが。

 そりゃ、手をさすられて、それっぽいこと言われたら誰だって意識するだろう、と思う。触り方は、どっちかというと、運動後の筋肉マッサージみたいな感じだったので、いやらしさはなかったが。自分に恋愛経験がないから意識しすぎたのだろうか?


(いや、そうじゃなくてもあの状況であの言葉だと……)


 彼女が何を考えていたのか、まったく読めなかった。 はっきり言って、最初から変わった子だとは思っていた。 でも、なんというか――それだけではなく、ちょっと、危うい気がする。実際、学校で異性に対して言う内容としては危うかったが……。


『でも、結構難しいぜ。あいつ、住んでるの十日野とびのだからな』


 以前の親友の言葉を思い出した。

 十日野町は日本でも有数の風俗街だ。なるほど、彼女が住んでいるところでは、当たり前に話されている言葉なのかもしれない。

 うわの空で化学の授業を進めていると、ズボンのポケットに入れた携帯電話が振動した。

 驚いて朔は背筋が伸びる。電源を切り忘れていた。

 前の席の女子が不思議そうな顔をするので、あさってを向いて誤魔化す。

 授業を右から左に聞き流して終えると、理科室を出、廊下の端に辿り着いて、携帯の表示を確認する。叔父からのメールだった。


『例の物件、怪しいやつ見つかった』


 と言う通知。後で返信しようと思いながら、ふと、そういえば、凪の連絡先を聞いていなかったことを思い出す。朔には正直、凪は距離感の分からない子ではあるが、もう連絡先聞いても良い頃合いかな、と思う。


(さすがに断られることはない……気がする)


 また先ほどの、渡り廊下ボディタッチ事件を思い出し、嫌っているならあんなことはしないよな、と考える。自分が女子の好意を読めるほうかと言うと、まったくそんな気はしないのだが。さすがに……いや、しかし。

 そうやって、ああだこうだと自問自答していたので、朔は午前中の授業にほとんど集中できなかった。

 気が付けば昼休みになっていて、友人の武斗が声を掛けてきて、


「中間テストの結果、見に行こうぜ」


 今日は、5月の中旬に行われた、テストの結果が貼りだされる日だと言う事を思い出した。朔は友人の二人、花隈武斗と芦屋司と一緒に、それを見に行くことにした。


 校舎二階の中心にある広間の掲示板スペース。そこに、100位までの順位表が貼り出されている。


 1位 2-1 湊川凪  697点

 1位 2-1 芦屋司  697点

 3位 2-3 大開町子 685点


「おー、司、一位か。やったじゃん。でも、同じ点数なのに、湊川の方が先に書かれるんだな」


 武斗が順位表を見た後、司の背中を軽く叩いて言ったが、言われた司は固まったまま、激しく眉根を寄せた表情をしていた。

 同点とはいえ、司が一位を取ったのは、高校生になってから初めてのはず。今までは湊川凪という鉄壁が一位への道を塞いでいたから。だというのに、司は喜んでいない。どころか、深刻な顔をしていた。


「おい、朔。これはどういうことだ」


 司は朔の方を見て、詰問しているかのように声を発した。


「どういうことって?」

「どうもこうも、湊川凪が満点以外を取るなんて天変地異だろうが」

「ふん?」

「ふん、じゃない。湊川が中学の時から今までずっと満点取り続けてたって、教えただろう!」

「……初めて聞いたけど?」

「え……あれっ? ………………? ……あっ……忘れてた」

「忘れてた?」


 そういえば以前、司が、情報屋だか何だかがこの学校にいて、凪の中学時代の情報を聞いてくれると言っていたことを、朔は思い出した。


(こいつ、さては既に湊川さんの情報を得ていたけど、僕に伝えるのを忘れていたってことか?)


「それで……? 湊川さんは中学の時どんな人だったの?」

「ちょっとこっちへ」


 司に手招かれて、三人一緒に順位表のある広間から、階段前の人の少ないスペースへ移動する。少しトーンを落として、司は話し始めた。


「十日野高校の、湊川と同じ中学だった人に聞いてもらった。湊川は、中学二年生までテニス部に入っていて、学業も部活も優秀な生徒だったらしい。だが、二年生の秋に部活動を止めている」

「理由は?」

「……お母さんが亡くなられて、ショックだったらしい」


 司が朔から視線をそらしながら言いにくそうに発した。そうされる理由を朔は知っている。


(丁度、僕と同じか……)


 朔の父親は中学二年の時に病死している。湊川凪の母親と同時期だ。親族の死を境に、部活動を止めたというのも同じ行動だった。偶然の一致に多少、驚く。最初からシンパシーを感じていたのは、似たような境遇だったからなのかもしれない。

 司は少し、後悔したような顔をしている。親友の心の傷をえぐってしまったのではないかと、思い悩んでいるのかもしれないが、言い淀みながらも司は言葉を続けた。


「……話、続きがあるんだ」

「なんの話?」

「貰った情報だ。湊川凪の、現在の状況。お母さんは亡くなられているが、父親の評判が良くないそうだ。それも、かなり」


(かなり……?)


「父親は元ホストで、店長も務めていたそうだが、母親の死後、店を倒産させている。元々、母親が経営を支えていたようでな。現在は父親はどうやっているのか知らないが、放蕩三昧だという話だ」

「彼女は家が貧乏だと言っていたけど……それだと話が矛盾しないか? …………もしかして」

「ああ。うかつには断定できないが、経済的ネグレクト……金銭的DVの可能性もあるな」

 

 どちらもあまり耳にしない単語だと朔は思った。経済的なネグレクト……凪の父親は自分だけ贅沢な暮らしをして、凪に生活費や学費を与えていないということなのだろうか。そう考えると、確かに、全てに辻褄があう。何の飾り気もない女子高生。貧しい食事。特待生でないと、困ってしまう事情。


「なあ、湊川、他にも何か問題を抱えてるのか? お前が解決してやったんじゃないのか?」


 司の言葉の意味を、朔は少々思案した。

 他に問題とはどういう意味だろうか。ネグレクトは成績が下がった原因じゃないと思っているのか……?

 確かに、母親が死んだのは中学の頃で、そのころから虐待が始まっていたとすると、今急に成績が下がり始めるのはおかしい……ということか。別の理由とすると……


「高校に入ってからも、満点の連続なんて、他のどの学生が可能だというんだ? 湊川の学力はもう高校生の枠を超えているんだ。その湊川が、失点してしまうほどの事態が起こっている」


 ああ、そうか、と思う。

 自分は何て馬鹿なんだと、朔は今更ながらに後悔する。

 7教科700点満点と697点の間には大きな差がある。697点なのは3点失点したからだが、700点なのはそれ以上、上の点数がないから取りようがないという可能性もあるのだ。仮に本来の実力が1400点だったとしても、上限以上は表示されない。

 中学、高校と、四年以上満点しか取っていない少女。

 その偉業が、ここで途切れてしまった。

 どうして今急にそうなったのか。

 その理由に思い当たった朔は、天を仰ぎたくなった。


「その様子だと、理由を知っているんだな?」


 知っている。

 最近凪が始めたこと。

 彼女は毎日、誰かを順位で呼ばないための練習をしているのだ。手の空いているときは、ほとんどいつも。一人あたり、二日かかると言っていた。それで授業の予習も復習もする時間が無かったのだ。なぜ彼女はそんなことに夢中になっているのか? 彼女にとって、孤独は全てを投げうってでも解消したいほどの苦しみだったのだろうか? あるいは、順位を付けることによって、傷つくだろう誰かを思いやってのことか……

 何かしら異様な能力を持っていることは分かっていたが、記憶力まで桁外れであるという保証はない。毎回満点を維持するためには絶え間ない努力があったのかも……。いや、100人分の順位と名前は憶えていそうだったが……むしろそれに記憶力を取られていたのか?


「それについては心配ない……彼女は、彼女にとって大事なことをしているんだ」


 半分目を瞑りながら、朔は呻くように親友に伝える。


「心配ないっていう態度じゃないんだが……にしたって……もしかして気付いていないのか? ……湊川は一位だから価値が認められているんだぞ。もし二位に落ちるようなことがあったら……」


 ひどい言いぐさだが、意味は分かる。風俗街・十日野から唯一人、スティグマを背負ってこの高校に通っている少女――湊川凪。彼女は他人を「順位+名前」で呼ぶという奇異な癖のせいで、成績上位層の女子生徒から、強い反感を買ってきている。そんな彼女が、面と向かったバッシングを受けず、周囲から畏怖され、一目置かれる存在であり続けられたのは、 学年一位かつ全国一位という、超進学校において絶対的な地位を維持していたからだ。

  二位では駄目なのか? 駄目に決まっている。 二位は、特別ではない。彼女は「毎回一位である」という不敗神話と共に生きてきたのだ。その伝説が彼女を守っていた。たった一度の失陥であったとしても、伝説は崩れる。 そして彼女は、「ただの人」になる。神性は剥がれ、畏怖は消え、不可侵ではなくなる。残されるのは――――いけ好かない二位の女。抑えられていた嫌悪が表面化して、実際的な迫害へ繋がる――――可能性は十分にある。


(この掲示板の順位の表示の仕方にも問題がある……)


 なぜ湊川凪の名前が、一番上に書かれているのか。

 五十音順なら、芦屋司の方が上に書かれるのが順当だ。おそらく、常時一位だった凪の偉業に配慮してのことだろうとは思うが。なおさら、このような忖度そんたくが許されてもいいのかと、不公平感を感じる生徒がいるだろう。


 それにしても友人はすごい奴だと思う。芦屋司は、自分が同点一位に初めてなれたことを、これっぽっちも喜んでいない。むしろ、異常事態だから何とかしなければいけないと思っているのだ。

 ほとんど見ず知らずのクラスメイトの将来を本気で心配している。

 なんていいやつなんだ、と感動はしたし、誇らしくもあるが、しかし当座の問題は……どうやって解決したら良いのだろうか。このままでは、凪の風評を改善するという目標は頓挫してしまう気がする。


「それでその、湊川にとって大事なことってなんなんだ?」


 隣で話を聞いていた武斗が、抱えていた疑問を素直に口に出した。

 そういえば、友人二人に凪の事情を話していなかったことに気付き、朔は搔い摘んで説明することにした。凪が、去年の秋頃から特殊な呼び方で人の名前を呼ぶようになってしまったこと、それを矯正するために訓練していること。


「……それで勉強の時間が削られて、失点したってわけか」


 事情を理解した武斗が相槌を入れる。


「うん。練習が落ち着けば、勉強時間はまた元に戻ると思うんだけど……でも、友達がいなくて孤独で……不安という状態はなかなか……」

「お前が相手してやってるのに、まだ不安なのか?」


 司が不思議そうに尋ねてくる。


「うーん……アドレス交換して、普段から相談に乗った方がいいのかな……?」

「……は? まだ連絡先交換してないのかよ……お前……」


 武斗が呆れた後、ものすごく奇異な人間を見る目線で朔を見つめてきた。


「……まあ、話を聞いてあげるっていうのは、一番大事なケアだと思うぞ」


 司も深い溜息をついたので、朔は


(もしかして、自分は相当おかしいことをしているのか……?)


と内心動揺した。



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