第39話
夢をみていた。とても長く淡い色の夢を。
「本当に、それでいいの」
と固い声で男は訊いた。
「一体何度頼めば噛んでもらえるんですか」
まだ声変わりもしていない若い声がつんざくように叫んだ。
「きみはまだ若いから、これからもっと……」
「でも、あなたが噛んでくれなければぼくは、あの男に買われてしまうんですよ? あの男と番わされるくらいなら、ぼくは今ここで死ぬ」
「滅多なことを言わないで。それじゃ脅しだ」
ため息をついた男の長い髪がさらさらと揺れた。
「脅してるんですよ、ぼく。ここで今ぼくの胸を突いて殺すか、うなじを噛んでくれるか。どちらか、選んで」
「……なんてことを言うんだろうな、きみは」
どちらも選べずに唸った男を少年がなじった。
「ぼくは、あなたが好きです。抱いて。あなただって、ぼくが好きなはずじゃないですか」
「あと数年待ってくれたら、きみはちゃんと大人になって……」
「待てるわけがないのは、分かっているでしょう! ねえ、ぼくのこと、嫌いなんですか。もうどうでもいいってこと? だったらなおのこと、殺してください、今すぐに!」
短剣を突きつけて、どう見ても殺そうとしているのは少年の方だった。
「きみの気持ちは痛いほどよく分かった。おれが今どれだけ苦しんでいるか、きみに分かれと言っても無理だと思う」
「ぼくのこと、愚かだと思いますか」
「思う。だがその愚かさが、愛おしくてたまらないんだ」
ぎゅっと強く抱きしめられて少年は泣きじゃくった。幼子のように自由に激しく、彼は泣いた。その肩を抱いている男が泣きたくても泣けないことに気づこうともしないままで。
「ねえ、抱いて。お願い。ぼくもう、できるよ。あの男に抱かれたくない。ぼくのことちょっとでも好きなら、抱いて?」
強引に少年は肌を晒した。可哀想なほど貧相な身体だった。背中も胸も脚までも痛々しい傷にまみれていた。
男はその傷跡をなぞるように口づけて、低く囁いた。
「おれはもう、どうなってもかまわないんだ。それできみが助けられるというなら、おれは……噛むよ」
「噛んで。お願い。好きなの、好きなの。ぼくは産まれてから今まで、ほんのひとつもいいことがなかった。あなただけが、ぼくの人生の光なんです」
すがりついた細い腕を撫でて男は言った。
「どうしてこんな風にしか愛せなかったんだろう」
「こんな風でも、いいじゃないですか。あなたはもうぼくのものだ。だから早く、ぼくもあなたのものにして」
「……この世には、神はいない。もしいるのなら、神は間違っている。きみに落ち度は何もない。罪は全部おれが背負うよ。きみは自由になってくれ」
「いやだ。ぼくはあなたと、自由になるんだから」
もう二度と解かれないほど強く二人は抱き合った。
神々しいほどに深く交わるその姿は二体の龍がむつみ合っているように見えた。
「神様がいないというなら、ぼくらが神になればいいんです。永遠にふたりでひとつの生命を分かちあいたい」
「神かあ……なれるものなら、おれは龍になりたい。この髪のように黒くて長い龍になって、人を愛する清い龍に」
「じゃあ僕は赤い龍になる。赤くて強くて人に愛される神様になるんだ」
「なれよ、ガンシューム。今度こそ、見た人すべてを魅了するような者に」
低く包み込むような声で言った男は少年の首筋にそっと唇を寄せた。
「っ!」
一瞬顔を歪めた後、少年は濡れた声で囁いた。
「ありがとう。あなたの付けたこの枷でしか、ぼくは自由にもなれないんだ」
「本当にすまない。おれはきみを護りたかった。もし次があるなら、今度こそ絶対に護りきるから」
「どうしてそんなこと言うの? あなたは今ぼくの望みをかなえてくれたばかりなのに」
男を見上げて微笑んだ少年の顔が光に照らされてはっきりと見えたとき、ブルームははっと息をのんだ。
あまりにも幸せそうなその顔が、鏡に映った自分の顔とまったく同じに見えたから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます