第19話

「たぶん小さい頃は、自分が貴族だと気づいてなかった」

 とブルームは答えた。

「貴族社会でのポジションとか、自分の能力とか、色んなことを見つけたときに俺は強くなろうと思ったし、俺のこの骨格ではそれに限度があることにもすぐ気づいた。お前、俺より体格がいいだろ。だから、俺がお前のようなうどの大木に勝つには腕力だけじゃ足りなかったんだよ」

「うどの大木とは、なんだ。まあでも確かにオレは体格とか腕力じゃ、あんまり他人に負ける気がしないものなあ。殿下って背が高いんだっけ。オレより高かったか?」

 少し胸を反らして今一度友人の目の高さを確認してからブルームが答えた。

「分からん。そんなに差はないんだろうな。でも、殿下にはご威光があったから、それでさらに背が高く見えたような気がする」

「まあそうだとしても、腕力ならオレの圧勝だよね。殿下に勝てる要素なんかあるかとか言ったな。オレ、絶対に腕相撲では殿下に負ける気がしない」

 とシャイアは言った。

「資産はボロ負けだけど、腕相撲は勝つわけか」

「オレが殿下の足元にも及ばないとしたって、運命なのはオレの方だからね。お前との相性は絶対にオレの方がいいはずだ」

 燃えるようなチューしてあげる。

 そう言ってシャイアはブルームの両耳を塞いで大きく口を開いてブルームの唇を食んだ。もうヒートが終わったことは分かっている。

 抵抗もなく受け入れてしまうブルームを、かわいらしいとも、それと同じくらいに腹立たしいとも思う。

 頬の内側の粘膜をよく動く舌で嬲ると、ブルームが耐えられないというように赤い髪を振って抱きついてきた。

 これで殿下を好きだというならこの男は頭がおかしいとシャイアは思う。

 頭の中いっぱいに響き渡るあやしい水音に顔を赤くして、ブルームは甘い吐息で息継ぎをした。

「ねえ、分かってる? お前はオレの運命なんだよ」

 ブルームは翠の目を潤ませて、それでも「うん」とは言わなかった。本当に強情でニブいバカだ。本能がぶっ壊れている。

 あんまり腹が立つものだから、そのままベッドに押し倒して唾液を流し込んでやった。

 救いを求めるような目で見つめてくる赤髪のバカを、本当は今ここで抱き潰してしまいたい。

「お前が間違えれば、犠牲者はオレ一人じゃないんだからね」

 胸を上下させながら必死で酸素を吸おうとするブルームを許してやる気はまだない。

「オレは死ぬし、殿下にもいるはずの本来のΩの人も出て来られなくなるし、なによりお前がさ。お前、運命じゃない相手とこんなことできるほどクソビッチなの?」

 ブルームは苦しげに身をよじりながら答えた。

「赤、髪の……」

「ん?」

 どろりと欲望を溶かしたような目をしながらも、ブルームは必死に言い募った。

「龍神様の、恋人がいたんだって、昔。赤髪の美少年だったって」

「ん? それが、祝福の子の原型なのか」

 こくこくとブルームは頷いた。

「お前は、龍神様では、ないだろう?」

「うん、まあ、龍神だったこともないし、生まれ変わったこともねえわな。それに元々その宗教にも入っとらんし」

「龍神様好みの、Ωの男が……龍神様の化身と結婚するのが、この国のためなんだったとしたら……俺は……」

 うっすらと翠の目に涙の膜が張っているのを、シャイアは認めないわけにはいかなかった。

「この国とお前と、どっちが大事だと思ってんの。国なんてのは、人を入れる器に過ぎない。器がなくっても人は生きていけるし、器のために人が犠牲になるような国は元からおかしいんだから、潰れちまえばいいんだよ」

「そうなんだろうか」

 ため息を零した赤い髪を褐色の指先に絡めて、シャイアは翠の目元にも口づけた。

「オレは龍神と差し違えてでも、お前を奪うぞ」

 ゾクゾクとした震えがブルームの下肢から湧き上がった。羞恥に染まった顔で赤い髪の男は囁いた。

「罰当たりめ……」

「ねえ。もう本当に、ヤッちゃってもいい?」

 すっと服の上から勃ち上がっているものを撫でて訊いたシャイアに、ブルームははっきりと答えた。

「絶対にダメ。本当にお前の言ってることが正しいなら、俺にも分かるはずだろうが。運命が、お前なのか、殿下なのか……それともまだ別にいるのか」

「うっそ、第三のαとか出てくるわけ? 二分の一でもキツいのに、これ以上確率下げんのやめろよ、マジで」

 頭を抱えてブルームの上からどいたシャイアに、ベッドに横たわったままブルームが笑った。

「自信ねえんだ。お前が運命なら、十人でも二十人でも蹴散らして分からせればいい話だろうが」

「自信があっても、お前がこんっだけニブけりゃ話にならねえの。お前ほんと、昔からいいのは顔だけ。性悪の悪魔だ」

「祝福だったり、悪魔だったり。俺も忙しいなあ」

 天井を見上げて甘ったるい吐息を放ったブルームから目を離せずに、シャイアは嘆いた。

「ヒートの後からやたら色気も出てきやがって。これじゃほんとに全然関係ないαまで呼び込みそうで、オレは怖いよ」

「俺としても、お前と殿下だけで正直頭がパンクしそうだ。俺の頭がもう少しよかったら、お前なんかとっとと切って、殿下と結婚しているだろうな」

 その残酷な発言が真理であるだけに、シャイアは胸にも頭にも鈍痛を抱える他、なす術もなかった。

「その時が来たらオレ、とりあえずお前のこと犯してうなじガッツリ噛んでから龍神の湖に飛び込むことにするわ」

「あはは。最低だな、お前も」

 言葉とは裏腹に明るいその声を聞いて、シャイアは気分良く立ち上がった。

 苦しんでいるのはきっと、自分だけではないのだ。

 こんがらがった運命の糸を解きほぐすには、まだ何かが足りない。

 今日も飽きずに降り続く雨を見つめてシャイアは言った。

「じゃあまた来るよ。龍神様とやらのご加護がありゃあ、いいんだけどな」

 暗がりのベッドの上からひらひらと白い手を振るブルームが、なんだか客を見送らない娼婦のように見えて、シャイアはチェッと舌打ちをして出て行った。

 運命は女神なのだとシャイアは思っている。もしかしたらこの国の龍神というのは、女の姿をしていたのではないかと、そんなつまらないことを、思った。

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