第3話
ブルームを落とさないようにしかし足早に医務室へと運ぶと、のんびりとお茶を飲んでいたらしい医務官が慌てて立ち上がった。
「その子、ヒートを起こしているのか? 赤毛の……スカリー君か。あの次男の」
「そう。ブルーム・スカリーね。オレは同期のシャイア。訓練中にいきなり倒れて、あっという間にこうなったから医務室に連れてきたんだよ」
簡易ベッドにブルームを横たえながらシャイアは淡々と答えた。
「スカリー君、聞こえますか。意識はありますね? 正確なことは検査をしなければ分からないが、見たところまず間違いなくヒートを起こしている。先に鎮静剤と発情抑制剤を飲んでください。今までヒートの経験は?」
ありません、と答えたかったが言葉にならず、ブルームは真っ赤な顔をしてふるふると首を振った。
「十八で初めてのヒートか。珍しいけど、ないとは言えないだろうな」
「十九だよ」
白い錠剤をブルームの震える口に差し入れて水を注ぎ込んでいる医務官に、シャイアが答えた。
「オレとこいつ、同じ歳なんだ。もう十九だし、今年のうちに成人すんだよ」
「ああ、そうか。あの入団試験からもう一年以上経っているんだな。十九か……遅いな、それは。だがまあ、一応成人前ではあるのか」
医務官は考え込むように一瞬黒い目を伏せて、それからシャイアに向かって言った。
「きみ、ちょっとスカリー君を見ていてくれるね。とりあえず薬は飲んだから、安静にしておけば問題はないはずだ。僕は業務連絡と、スカリー家に一報を入れてくる。何かあったら、そこのベルを鳴らせば誰かしらは来ると思う」
まあ来たところで、どうしてやりようもないとは思うが。
渋い顔で付け加える医務官にシャイアが訊いた。
「別に命に別状とかってやつはないんでしょう? ほっとけば収まるのか?」
「この状況ではそうするしかないね。僕らβには打つ手がない。可哀想だけど、しばらくは生殺し状態だ。つらいだろうけどね」
申し訳なさそうな視線をブルームに送り、医務官は本当に急いでいるようで「薬が効くまでがんばれよ」とだけ言い残して部屋を出て行った。
(嘘だろ?)
この状況で薬が効くまで手の施しようがないなどと言われても、ブルームとしてもどうしてよいか分からなかった。さっきから嬌声と言って差し支えないような声が漏れているし、身体の中心は痛いほどに勃ち上がって出口を求めて泣き叫んでいた。
そしてなお困惑するのが、これがヒートだと断定されたことだった。
ブルームもこの国で十九年も生きていれば知識としてはあった。
この国の民には生まれ持った性別が二つある。男と女との区別の他に第二の性が存在しているのだ。先ほど医務官が言っていたΩにβ、そしてあとはαの三種類がある。
ほとんどの国民はβであり、Ωやαの性を持つ者は稀少だ。Ωには今ブルームが陥っているようなヒートと呼ばれる発情期があり、定期的に本人の意思ではどうしようもないほどの性的欲求に苛まれるとされている。
発情したΩに誘引される性がαで、ヒート中にαとΩが性交すれば通常より遙かに高い確率でΩは妊娠する。それがたとえ、男性であっても。
この国及び近隣諸国で、αは王家にしか生まれない。しかも王家の中でも希であり、必ずαがいなければならないということもない。この国の長い歴史の中ではαの王がなかなか出ず何世代もβの王が国を治めた期間もある。それで不都合があるわけでもないのだが、国民はαの王を待望しているのだ。
特にこの国では、αとは生まれついた王者の証であった。
成長に伴ってα性が判明した者はその時点で王位継承順位が繰り上がって、皇太子となる。例は少ないが女性の場合も近い将来女王になることがその時点で確定する。
αとは元々龍神の血のことなのだ。遙か昔のまだ神と人とが混じり合っていた頃に龍神が王家と婚姻を結んだ。王家はその末裔だから、龍神の子孫としてαの子が生まれると考えられている。
龍神と直接相まみえることのできなくなった今となっては、αの王こそが龍神そのもの、この国が龍神に護られ、そして国民は龍神の血を引く誇り高き民族であるという生きた証になっているのだ。
実際に現王はβであるが、皇太子は元第二王子であったがα性を持っているので、国民からは早く王位を継承して欲しいと密かに要望されている。まだ二十代の皇太子だが、あと数年で父王が王位を譲るのではないかとの噂もあるほどだ。
αほどではないが、Ωの性を持つ者も稀少だ。これはαとは逆に平民に多く、ほとんどの場合βの親から生まれてくるので突然変異体か、特異な劣性遺伝であると思われる。
Ωはそのほとんどが女性で、男性のΩは基本的には存在しない。もしこの組み合わせで受精卵が生まれても、出産までに自然と流産してしまうものと考えられている。
だが生命とは不思議なものだ。その希が、こうしてときおり成立することがある。
Ω男性は男でありながら出産が可能なこともあって奇跡の体現と言われているのだ。
そしてそれを象徴する言葉が「祝福の子」。この国で広く信じられている龍神の祝福で生まれた者として、大切にされている。そしてその龍神に特別愛された大切な祝福の子は、αの王に嫁ぐことが確定するのだ。
祝福の子がαの王との間に産んだ子は、今まで例外なくα性の子どもであった。すなわち、祝福の子の出現は次のα王の確約でもある。龍神の血を引く現人神が二代、場合によっては兄弟を含めて三代続けて世を治める。
龍神を信仰するこの国の人々にとって、これほど慶ぶべきこともない。
それが、まさか、自分でさえなければ。
(なあ、嘘だろ?)
薬が効いていないのか、まったく収まる気配もない熱にのたうちながら、ブルームは混乱の極致にいた。
自分がΩであったことも。祝福の子であることも。おそらく正式な検査の後に皇太子との婚姻が確定することも。
そして今ここにある、とんでもない欲望と熟れた身体も。
なにひとつ、受け入れることができなかった。
「まだ苦しいの?」
ためらいがちなその声の主がよく知ったシャイアの声であることは、辛うじて認識できた。ブルームは熱い呼気を吐き出しながら必死に手を伸ばした。
「た……すけ、……くる……いよお、くるし……」
溺れる幼子のようなその声に不釣り合いな媚態に、シャイアはごくりと生唾を飲み込んだ。顔を赤らめて腰を揺らしている男の色香にほんの一瞬逡巡を見せたが、やがて何かを思い切るようにシャイアはブルームの下肢に手を伸ばした。
「とりあえず、一回出しなよ」
何を言われているか分からないままブルームは赤い髪を振り乱して頷いた。
(ええ?)
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