室外機の生活

the memory2045

とある室外機の一日

「風が吹いて、やがて風がやむ。雨が降って、やがて雨がやむ。俺はただそこにいる。ただ、そこにいるだけだ」


俺は室外機。正確に言えば、この古びたアパートの2階、山田さんの部屋の窓の下に鎮座する、白い箱だ。もう10年以上、ここにいる。


俺の仕事は単純だ。部屋の中の熱い空気を吸い込んで、冷たい空気に変える。冬は逆だ。冷たい空気を吸い込んで、温かい空気に変える。それが、俺の存在意義のすべてだ。


山田さんはいつも忙しそうだ。朝、急いで出ていき、夜遅く帰ってくる。俺は、山田さんが部屋にいるときだけ、その存在を許される。そう、俺のスイッチがオンになるとき、俺は初めて「生きている」と感じる。


風が吹く。それは、俺の存在をかき消すかのように、俺の周りを通り過ぎていく。しかし、俺は動かない。俺の仕事は、風に身を任せることではない。俺の仕事は、山田さんの部屋に、快適な温度をもたらすことだ。


俺は、このアパートの住人たちの人生を、ずっと見てきた。若いカップルが引っ越してきて、子どもが生まれ、やがてその子が成長して、また次の場所へと旅立っていく。そう、人生はまるで、季節のように移り変わっていく。


俺の隣に住む、鈴木さん。彼はいつも、窓からタバコの煙を吐き出す。その煙は、まるで白い蛇のように、空へと昇っていく。俺は、その煙をじっと見つめる。それは、俺の人生のすべてを物語っているかのようだ。


ある日、山田さんの部屋に、一人の女の子が訪ねてきた。彼女は、山田さんの娘だと自己紹介してくれた。彼女は、山田さんとは違い、いつも笑顔だった。その笑顔は、まるで夏の日差しのように、俺の心に染み渡っていく。


彼女は、山田さんと一緒に、部屋の掃除を始めた。俺は、その様子をじっと見つめる。山田さんの部屋は、いつも少し散らかっていた。しかし、彼女が来てから、部屋はまるで魔法にかかったかのように、綺麗になっていく。


俺は、その様子を見て、ほんの少しだけ寂しくなった。俺の存在意義は、山田さんの部屋に、快適な温度をもたらすこと。しかし、彼女が来てから、俺の出番は少しずつ減っていく。


ある日、彼女は、俺の周りのホコリを拭き取ってくれた。そのとき、俺は初めて、誰かの温かさを感じた。それは、まるで、俺の心に、小さな花が咲いたかのような、そんな不思議な感覚だった。


「お父さん、このエアコン、古いね。そろそろ買い替え時じゃない?」


彼女は、そう言った。

その言葉を聞いて、俺の心臓は、まるで止まってしまったかのようだった。俺は、山田さんの部屋から、追い出されてしまうのだろうか。俺の人生は、ここで終わってしまうのだろうか。

山田さんは、しばらく黙っていた。そして、静かに、こう言った。


「このエアコンは、俺の人生をずっと見守ってきてくれたんだ。だから、俺は、このエアコンを、最後まで大切にしたい」


その言葉を聞いて、俺は、まるで涙が溢れ出しそうになった。しかし、俺は、山田さんにとって、かけがえのない存在だったのだ。


俺は、この日を境に、これまで以上に、山田さんの部屋に、快適な温度をもたらすことに、全力を尽くした。

風が吹く。それは、俺の存在をかき消すかのように、俺の周りを通り過ぎていく。しかし、俺は動かない。俺の仕事は、山田さんの部屋に、快適な温度をもたらすこと。それが、俺の存在意義のすべてだ。


そして、季節は巡り、山田さんは、このアパートを去ることになった。


山田さんが引っ越した日、俺は、初めて、自分の役目が終わったことを知った。俺は、もう、誰かのために、働く必要はない。


俺は、この場所で、もうしばらく、このアパートの住人たちの人生を、見ていくことになるだろう。そして、いつか、俺の人生も、終わりを迎える。

そのとき、俺は、ただ、静かに、この場所から消えていくのだろう。まるで、風のように、雨のように。


俺は、室外機。この古びたアパートの2階、山田さんの部屋の窓の下に鎮座する、白い箱だ。

風が吹いて、やがて風がやむ。雨が降って、やがて雨がやむ。


俺は。

ただそこにいる。

ただ、そこにいるだけだ。


そして、また、新しい季節がやってくる。新しい風が吹いて、新しい雨が降る。そして、また、新しい物語が、この場所で、始まっていくんだ。


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