氷面手前、在る妖どもの噺

黒胡椒

仲冬が日がな一日

「この色も、実に見飽きたものだ」


 時は江戸と後世に語られし日ノ本の国の噺。

 或る童は、片田舎の小山にて無聊を託ち、ぼやく。共に、白息が冷気満ちる朝に消える。

 其の女は、山吹色の着物を纏い、また、陽に変えられた肌の色と、端を吊り上げた、黄檗色の瞳を持っていた。


 生命を落として倒れ伏し、虫に食われ空洞の目立つ倒木に腰掛け、厚みのある氷で張られる湖を見やる。

 何処も彼処も、白の埃に積もられ、虫さえも地中の蒲団で寝包む。


 人はこの風景をいみじきものと見ているらしいが、信じ難いことだ。

 冬とは、死の季節。生きとし生ける者が死す時、須らく冷たくなる様に、冷寒は黄泉下りの前兆だ。

 加えて、この無常を讃える人もまた、冬によって殺されることも珍しくない。

 総ての活動が、巡りが、環が滞れば食糧も容易に得られなくなる。つい先々日も、村の子が朽ちた姿が目についた。


 素晴らしいものか、冬如きが。


「おお目立つ目立つ。お主の衣裳は此の山では、冬場では遥か遠くからも目に留まるわ。此方にとっては不便無くて有難いことだ」


 憎たらしく顕れるは、真っ白な女。雪景色にでも同化してしまいそうな程の、白。艶やかな白髪に、凛とした双眸、それと椿柄の白着物なんか洒落込んでいる始末。鬱陶しい程、白々しい佇まいに映える、紅の唇は妖しく歪んでおった。


「雪女か。今季の御主は『生業』で繁多だと記憶しているが、相違でもあったかな」


「どっこい。此方は手も足も回らぬ始末よ。猫の手でも借りたいところだが、いぬものは致し方なし。兎も有れ次の山へ向かおうとしていたのだが、少しばかり『生業』無き者の面が過ってね、一目見てくれてやろうと此処へ来たのだ。嬉しかろう、絶世の美女ぞ?」


「もう少し耳障りの良い言の葉を期待したかったところだったが、吹雪の中尚肌を晒す畸人たる御主には、暫し酷だったか」


「はい?甘美な心配りがいらぬか。人も、妖も、私の姿を見やらば、落涙し歓喜に満ちる者ばかりであったのが、そうかそうか、群れぬ廃れに近き者とならば、理は異なるか。済まないことをしたねぇ。菓子の一つでも用意してやるんだった」


 こやつは、虚仮にするのが三度の飯よりも好む悪女よ。雪女、性悪と知れて幾百年も、奇怪な縁を持っている。此方としては会うことなど一向に望んではおらんというのに、この雪埃が降る時が来らば、必ずと言って良い程に、我が眼前に顕れる。

 『生業』は多忙らしいが、仔細は知らぬ。そも、『生業』につひて訊き出すのは御法度。『生業』とは、妖を妖たらしめる、或る習慣のことだが、其れはたとえ、妖の好であったとしても安易に触れることすら許されぬ。仕込み刀の様なもの。其の掟が還って、我が身を護ることに繋がる。妖の基部は『秘め事』そのものに在り。


 私は苛立ちを悟られる訳にもいかず、飽いた振りの一つでもする。溜息。軈て、脱力し、見飽きた林の間にでも映す視界を定める。

 だが雪女は蛇によく似た笑みを絶やさず、不遜にも私の隣に腰掛ける。この女は、他の生き物にとって嫌なことを、言葉を介さずとも察し、やにわに行動にするのだ。人を喰らう其の在り方は、眼前の端にあるだけでも癪に障る。

 ああ、そうだ。この女の『生業』が増え、活況を呈するこの季節が、やはり好かない。


「夏に盛んな御主も、然程にも際立たんというのに、此の時とならばこの上なく、唯の童女と化すよのう。どうした、いつもの化けは。暗闇でないからできんか?ははははは。まあそう顰めるな。面が見たくなって足を運んだのは真だ。決して御主の領分に攻め入りたい訳でも、画策をする気でも、鍋の具にするつもりでも無い。畔に休む真鴨のように羽根を寛ぐといい。少なくとも、私はそのつもりで来た。うむ、やはり心地良いな」


「態とらしいな。だが永い付き合いだ。何もする気でないのは知っている。何もしないことで、何かするのではと怪しむ此方の姿を肴にでもしているのだろう?故に私は相手取ることはせん。暇を弄ぶ手も貸さん、化けてもやらん。仮に私から何某かの期待をし、拝まんとしているのであらば、薄氷を踏むまで待ってみるといい。面白きものが見れるぞ」


「では、そのやうに」


 女は、私に寄る。着物同士を重ね、布越しに肌を合わせんとする。遠く、傍から見らば母子か、或いは姉妹の其れの姿に近いであろう。頑として、姿勢につひてのみであるが。


「熔けるぞ」


「構わん。其の時の御主の貌を見るのも、また一興」


 此ればかりは、眉を意識の有無に依らず顰めてしまう。

 小枝に止まる小鳥が鳴く。耳に障ることなく、寧ろ風情を抱かせるものだ。其れが、今で無ければ良かったのだが、こうなれば余計だ。


「然し、以前より胡乱に思っていた」


「はい?」


「夏季とならば、御主は生き永らえんであろう。天道の残滓が、肌を焦がし、熔かすことは私も知っている。然し、御主は私の何れの四季の姿も知っている。妖のことだ。先迄はさういうものだと思っていたものだが、今更乍らに、怪訝に思う。退屈凌ぎで来たのであらば、余興の少しでも見せよ」


 雪女は妖しげに、憎たらしく微笑む。嘲るが如く。


「秘密よ」


「…………詰まらんな」


「面白かろう?」


 やはり喰えん。姿は曝けるというのに、肝心なところは決して、爪先の先すらも見せん。

 だが雪女は、然様な私を見やると態とらしく指を晒し、宙で描く。


「先の私が寄越す前の御主も、実に退屈一色であった。然様では、如何なる面白きことがあろうとも、やはり退屈と棄てるであろう。其れはいかんな、感心もせん。好奇は尽かさぬが吉よ。化けが働こうが、働くまいが、何れにしても腐すには惜しい。時に、童女よ」


「童女と呼ぶな。何か?」


「火の出せん冬は、嫌いか?」


「…………」


 私の答えは、是である。冬を嫌う理由は幾多あれど、化けの使えん単なる獣と成り果てることが、大きく好かん。妖なる者としての誇りなどは、持ち合わせてはいないが、されども、『鈍る』といふこと其のものが尾を逆撫でされる気分となる。

 が、現に心中を手玉に取られんとしているこの様も、足の裏の肉を摘ままれている様で、此れもまた好かない。

 故に。


「では、御主は、夏は好きか?」


「無論だとも」


「はい?」


 ……此れは?如何なることであらうか。よもや、また私で戯れんとしているのではあるまいな。


「何故?」


 私は訊く。


「私の触れられぬ世があることが、私にとっての憩いだ。私の思い描く夢想も又、其処にある。故に好く」


「夢想……」


「ああ、だが其れも、秘密だ」


 雪女は悪戯に口端を吊り上げる。私は気に食わぬ故に、一顧だにしない。


「……何処までが真か分からんな。此の私の姿こそが、御主にとっての肴であらう」


「さあ?どうだか。ははははは。ともあれ、童女よ、少し歩こう。私は然様にしたい。私と違い、御主は陽にも、雪にも殺されることはない。羨ましいものだ。故に愉しまぬのは損よ。なに、『生業』に付き合えといふ訳ではない。余興だ。御主が望んでいたことだ。良いだろう?」


 私は惟みる。意固地で拒む理由探しでもしてみているのだが、然様な姿こそ童子の様で、直ちに辞めることとする。しかし、此の女と散歩か。良い悪いで判断するならば、悪いでしかあるまいが、であるからこそに、悪いに背を向けんが為に拒むのは……やはり、名折れ、か。この私の渦をも汲んだ上での言の葉であらば、最早二の句が継げぬが……。ええい、ままよ。


「相分かった。私に頬を摘ままれることがあっても、文句の一つも受諾はせんぞ」


「褒美と捉えよう。ははははは」


「……畸人よ」


 狐が化かされては、狐が摘ままれては、立つ瀬がない。

 私も妖よ。

 此の女の底を見てやらん。


 然し、安息などやはり無いな。凍てつく世に訪れるは、氷柱よ。触れれば冷たく、触れ続ければ熱い。得体の知れんものだ。


 此の様な者がいるから、私は調子が狂う。


 尻に火が点いた心地よ。


 故に、私は─────冬が嫌いだ。

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氷面手前、在る妖どもの噺 黒胡椒 @kurokosho3228

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