ありがとう。ユーシル

黒胡椒

ありがとう。ユーシル

「ありがとう。ユーシル」

 それが、最期の輝きだった。

 掠れて、消えて、溶けて、無くなってしまう熱。

 最初で最後の私達の悪足搔きは、燦然な星々の下で終幕を降ろされた。



 映写機のフィルムが、巻き戻される。



 アマリリスの花を象徴とした皇国。文化的かつ、多くの歴史のあった国。群雄割拠の時代に、花が咲いた。

「ご機嫌麗しゅうございます、姫君。私めがアマリリス皇国第二騎士が筆頭、ユーシル。僭越ながらも、貴女様の盾、そして剣として……」

 中庭。陽だまりに舞う蝶が、煌びやかに視界から失せる。小鳥の囀り聲が、昼時のみの特別公演。あるのは、貴女と、私。

「結構よ、ユーシル」

「は」

 精悍な顔に垣間見える歪み。予定調和のご挨拶に水を差され、唖然か狼狽か、あるいは侮蔑かの色が。

 私は、可笑しくて笑う。くすりと。つい、口端の緩みを感じ、歯止めを失った。

「ユーシル、貴女の噂は、風の又聞きで予々聞き及んでいるわ。齢八にして騎士団入り。類稀な才覚を現し、嫉妬の決闘に対しても勇ましげに勝ち誇り、純然たる力、そして勇ましき誇りで登り詰めた優秀な騎士様であると」

 ユーシルと呼ばれた、黒の短髪に童顔残る騎士は、澄んだ瞳を添え、片膝を地に着かせたままだ。胸に添えた手も微動だにせず、首を垂れる。美しき容貌に、美しき作法。誰かはユーシルを、星と準えた。その喩えには、私も頷く。

「勿体無い御言葉です」

「お父様の命かしら」

「は」

 先程と意味合いの異なる「は」。肯定の意。

「ユーシルは、満足している?」

「……と仰りますと?」

 態とらしく、フリル纏うドレスを広げてみせる。踵を軸に、くるりと、ゆったりと回転。

「貴女は私の近衛兵。これから先、民草の命に、皇国の誉れを背負う騎士として戦地に赴くことは、きっと無いわ」

 ユーシルは、麗女だ。才色兼備は、国の良い象徴になる。最前線に立たせるよりも、飾っておく方が効果的。特に、ユーシルは女。女の下で命を受ける男達は、さぞかし屈辱的であろう。だからユーシルは、私の近衛兵になった。

 視界に映るは、眉を動かさず傾聴するユーシルの相貌。凛とした瞳は、滸のように静かだった。

「それが、私めの務めなら」

 大した忠義だった。

 退屈。

 だから、私は水面に波を作った。

「ねぇ、ユーシル」

「は」


「私の友達になって」


 最初の命令だった。



 それからの私とユーシルは……仲睦まじい関係になった、というわけでもなく、相変わらずの上と下の位置。姫と、騎士。定められた役目からの逸脱は、なし。

 退屈だから、私は何度も、水面に波を作った。

「ねぇ、ユーシル」

「は」

「お腹を見せて」

「は」

 困惑の「は」だ。

「お医者さんの勉強、してみたいのよね。人体について詳しく知りたいわ。貴女で学ばせてくれないかしら」

「……は」

 これは、渋々の「は」。


 私とユーシルを包む時の流れは、実に穏やかだった。悠然で、どこか愉快。

 施す悪戯に、美しき騎士様は何度も何度も、可笑しな色を見せてくれる。

 私はそんなひと時を、何よりも愛していた。心躍る日々だった。



 古紙が燃え広がる。描かれた地図は、灰に。


 戦火。

 これは、唐突な出来事でも何でも無い。これは、乱世の常。誰が悪者というわけでもない。ただ、軋みがあっただけ。ただ、不完全だっただけ。

 アマリリスの園は、黒煙を立ち昇らせた。権利の象徴、絢爛な城も、悲鳴に包まれれば何の意味も無い。父は死んだ。兄弟も。家臣も。


「ねぇ、ユーシル」

「姫様。もうじき、同盟国の領地です。ご不便をお掛けしますが、何卒」

 駆けていた。見たことのない路に、見たことのない景色。斜陽の日差しだけが、この谷に頼りない光を作る。きっと落日後には、獣の世界に。護ってくれる権力は何処にもない。あるのは、私を名馬に乗せ、大事そうに抱く騎士様。

 ……鏃を多く、身に受けた騎士様。とても、無惨な姿。

「ねぇ、ユーシル」

「もうじきです。もうじき」

 恐ろしかった。

 それは、我が身の可愛さではなかった。この薄暗な森に潜む魔物達に対してでも、無かった。声を掛け続けなければ、途絶えてしまうのではないか。これは、焦燥。人生の中で、誰よりも信頼し、誰よりも友愛し、誰よりも触れてきた熱が、消えてしまう。

 心の整理の余地は作られない。今もなお、敵国の捜索は続く。皇国の血筋は、残党は、反乱の種。故に、敵国は何よりも優先し、その身柄を追う。手元に置かなければならなかった。あるいは、屍に。


 感じる。この冷たさは、訪れようとする冬によるものでもあり……包むユーシルの、体温。

「ねぇ、ユーシル」

 動かす指。揺れながらも、一点を指す。

「あれ、は……」

 この土地における戦争は、これが初めてではない。皇国の前にも、王族がいた。国があり、人があり、街があった。それは、名残。焼け野原にある残滓。小さな廃病院。神々の福音への祈りを模したシンボルは、皮肉にも健在。

「……あの中、なれば……宵闇を過ごせま、しょう。姫、様」

「ええ」

 得られた同意に、心底の安堵を覚えた。たとえこれが、ただのまやかしに過ぎなくとも。


 雨風を凌ぐには、問題の無い場所。少々の苔に、虫に、匂い、液体に……気になるものは幾多あれど、文句は言えない。

「ユーシル。横になって」

「……は……」

 一瞬見せた当惑の顔。しかし、私の顔を見てすぐに、大人しく従った。朦朧としているのが、手に取るように分かる。ユーシルの生命を生む灯火は、揺らいでいた。

 背に、横腹に深く刺さる矢を見て、途方に暮れた。抜くことは、許されない。されど、この有様でも、緩やかに足を止めるのを待つばかりに。

 ぽたりと、寝台に落つる涙。そこは、手術台。いかに勉学を学ぼうが、持たざる者に近しき。道具もなければ、人手もなければ、確かな知識もなし。せめて、大真面目に勉学していれば、違ったのだろうか。今更になって、後悔の念に苛まれる。

「姫、様」

 割れた窓辺から差し込む月光に、ユーシルの冷たく白い頬が浮き彫りに。通う血は殆ど無く、硬みを帯び始める。

 その上に、そっと……添える手。私の手。

 ユーシルはなお、私を見る。騎士として。光の失った眼で。

 歯痒さの中の、足掻き。奇跡を、一番星に願いながら、私は……労わる。


「ありがとう。ユーシル」

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ありがとう。ユーシル 黒胡椒 @kurokosho3228

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