傲慢アドマイア

庵途

傲慢アドマイア

 生徒会室の中で、僕と1人の少女が会話もなく事務作業に没頭していた。僕と少女は長い机を間に挟んで座っており、僕は彼女にバレないように視線を向ける。

 現在、僕は明日の生徒会会議で使う資料を機械的にホッチキス止めしていた。そして、彼女は右手で生徒会会議の台本を読み込んでいた。聞き耳を立てると、彼女は僕に聞こえるかどうかの声量で、台本を読んでいるようだった。

 僕は彼女の顔を見つめ、すぐに手元にある資料に目線を逸らした。

 彼女はとても美しかった。

 お母さんが外国人らしい彼女は、日本人離れした絹のような白い髪をしていた。彼女はその髪を彼女の唇と同じような淡い赤色の大きなリボンで一纏めにしている。

 そして、何よりも目を引くのは青色の瞳だった。澄み渡っていてとても純粋、そして綺麗なはずなのにどこか寂しさを感じる。冬空を連想させるその瞳に、僕は再び釘付けになってしまう。

「未来。ちょっといい?」

「ん? どうかした?」

 僕が彼女の名前を呼ぶと、彼女は台本から視線を逸らさずに応答する。

 そんな彼女の前に、僕は手元に持っていた資料の中の1ページを置いた。

「ここなんだけど、この文化祭のテーマって去年のやつじゃない?」

 僕の言葉を聞いて、彼女は空いていた左手で机の上に置かれたページを手に取る。

 今彼女が手にしているページには、今年の文化祭のテーマとして『青春を楽しめ!』と書かれているが、僕の記憶では今年の文化祭のテーマは『青春宣言』だったはずだ。

 そして、それを確認した彼女は思いっきりため息を吐いた。

 彼女は左手で持っていたページを机の上に置き、僕の方に視線を向ける。

 あの瞳に僕が映り、僕の心臓は大きく1回跳ねた。

「陽太。再印刷お願い」

 彼女は疲れ混じりにそう告げる。

 そんな彼女は僕の隣に置いてある積まれている資料に目を向けた。

 この量を最初からやり直す労力を想像したら表情が引きつってしまうが、僕はゆっくりと立ち上がった。

「分かったよ」

 僕は彼女にそう言って、生徒会室の隅に投げ捨てられている自分のリュックサックを手にする。そして、その中から学校から貸し出されているノートパソコンを取り出して、それを机の上に置いた。

 パソコンはスリープ状態だったので、触るとすぐに立ち上がった。僕は個人用のアカウントではなく、生徒会のアカウントでログインする。

 そして、文書作成アプリを起動すると後輩が作ってくれた資料のファイルを開く。

 僕はそのファイルの中にある『青春を楽しめ!』の部分を『青春宣言』に書き換え、文字を変えたことで生じた少しのズレを修正してから僕は印刷ボタンを押した。

 僕たちが通う高校では、学校用のパソコンから印刷するように命令すれば学校内にあるいくつかのプリンターにデータが飛ばされる。その後、プリンター側から操作をすれば印刷が開始されるといったシステムになっている。

「よし、印刷行ってくるわ」

 印刷ボタンを押したことを確認した僕は彼女に声をかける。

 そして、そのまま生徒会室から出て行こうと歩みを進める。

「待って。私も飲み物が欲しいから一緒に行く」

「ん? ついでに買ってこようか?」

「いい。一緒に行く」

 彼女は相も変わらず表情をピクリとも動かさず、席から立ち上がる。

 そして、彼女は僕の背中にぴったりとくっつくような近さで立ち止まった。

「まぁ、いいか」

 僕が買ってきた方が効率がいいとは思ったのだが、それを口にするのは野暮だと思い、僕は生徒会室の扉を開いた。

「ここから1番近いプリンターって職員室前のやつだよね?」

「うん」

 僕の質問に対し、未来はつまらなそうにそう短く返答した。

 僕は職員室の方向へと歩いていき、彼女は僕の歩幅に合わせて歩き始める。

「そっちは明日の生徒会会議の準備はできた?」

「うん。あとはあの嫌味男を黙らせるだけ」

 後ろを歩く未来は先ほどまで無気力でクールな雰囲気はどこへいったのか、その表情は怒りと殺意に満ちていた。

 嫌味男とは僕たち生徒会が校長先生に付けているあだ名というか侮蔑だ。

 この学校では生徒会会議が2週間に1回行われて、そこで先生たちに生徒会から生徒の意見を伝えることができる。

 しかし、校長先生は生徒の意見を聞く気がなく、こちらが提示した資料の誤字脱字を指摘したり、どうでもいい話をして生徒会会議が終わるまでの時間稼ぎをしてくるのだ。その結果、僕たち生徒会は伝えたいことや提案したいことが半分も発言することができない。

 そんな校長先生のことを僕たちは忌み嫌い、嫌味男という蔑称を付けることで気晴らしをしている。

 そして、生徒会長である未来は嫌味男のことを心の底から嫌っており、今回こそはこちらの話を聞いてもらうと躍起になっているようだった。

「だから、少しのミスも許さないのに……あいつったら」

 未来は苦々しい顔をしながらうめき声をあげる。

 僕の脳裏に先ほどの資料を作ってくれた後輩の顔が思い浮かぶ。彼は誠実な人間で、普段は頼りにしているのだが、如何せん爪が甘いところがあり、こういったミスは1回や2回じゃない。

「明日、徹底的にしめてやらないと……」

「まぁまぁ、落ち着いて」

 右拳を力強く握りしめる彼女に、僕は笑いかけて落ち着かせようとする。

 そんな彼女は、わざとらしくため息を吐いた。

「陽太は甘すぎると思う」

「そんなことないと思うけどな」

「いや、だいぶ甘い」

 僕の否定を彼女は強く否定する。

 僕はさらにそれを否定しようとしたが、彼女の青い瞳に鋭く睨まれて、僕は言葉を詰まらせる。

「……ははは」

「笑って誤魔化さない」

「……はい」

 彼女の鋭い視線から逃れようと、乾いた笑みを浮かべたが、より一層鋭く睨まれて僕は表情を引き締めた。

「……まぁ、どうでもいいけど」

 彼女は呆れ交じりにそう呟いて、目を瞑る。

 彼女の圧から解放された僕は、安堵して肩の力を抜く。


 そうこうしているうちに、僕たちは職員室前のプリンターの前に辿り着き、僕はスマホケースから自分の学生証を取り出す。

 プリンターに学生証を近づけてログインすると、プリンターの画面には先ほど送信したデータが表示されて、僕はそれを選択して印刷を開始する。

 僕の命令を受けたプリンターは、鈍い音を立てながら駆動し始めて印刷が始まる。

「未来は飲み物買ってくる?」

「うん。陽太も一緒に来る?」

「いや、流石にプリンターの前にいないといけないから。あっ、でもミルクティーを買ってきてくれない?」

 僕はそう言いながらポケットに入っている小さな財布から百円玉を2枚取り出して彼女に手渡す。

 彼女はこくりと頷き、僕の顔を見つめる。

「分かった」

 彼女は僕に背中を向けて近くの自動販売機に向かって歩いていく。

 僕はその背中を見つめながら、壁にもたれかかる。

「……好きだな」

 無意識の内に僕の口からそんな言葉が零れ落ちた。

 僕は未来のことが好きだ。

 それも彼女が生徒会長を目指していると知り、生徒会副会長になるほどには。

 未来はいわば高嶺の花のような存在だった。

 ハーフである彼女の美貌は田舎に住んでいる高校生を狂わせるには十分すぎるもので、最初は僕も他の人と同じで彼女の容姿に恋をした。

 だけど、彼女がそれだけの人間ではないことを僕はすぐに思い知った。

 彼女は強かった。自分の正義を信じ続けてそれを他人に振りかざすことを恐れなかった。そんな彼女の生き方は敵を作ることも多かったが、人生の中で何も為せたことがなかった僕にとって、彼女の生き方は憧れそのものだった。

 そして、彼女の強さを知った僕は彼女に2度目の恋をした。

「でも、未来は僕の事好きじゃないんだよな~」

 その事実を自分で再確認してしまい、僕は項垂れる。

 生徒会に入ってから僕は何度も彼女にアピールをしているのだが、そのどれもが彼女には伝わっていない。

 最初は何度も挑戦しようと思っていた僕も、恋心が伝わらないというやるせなさから、心は完全にズタボロになってしまっていた。

「はぁ~」

「何落ち込んでんの?」

「うおっ」

 彼女に対する恋について1人で悩んでいると、飲み物を買ってきてくれていた未来がいつの間にか帰ってきていた。

 彼女は僕の前に立っていて、右手には僕が頼んだミルクティーが、左手には彼女がよく飲んでいる缶コーヒーが握られていた。

 僕はゆっくりと立ち上がり、彼女からミルクティーを受け取る。

「はい、お釣り」

「ありがとう」

 未来は十円玉4枚を僕に手渡してくれる。僕は財布にそれをしまおうかと思ったが、少しだけ面倒だったのでそのままポケットに入れた。

「なんかあった?」

「え?」

「いや、さっき項垂れていたから」

 彼女は心配そうに僕を見つめる。

 その顔がとても可愛らしく、彼女が心配してくれているという事実で表情がにやついてしまう。

 僕は急いで自分の口を左手で塞いで、彼女に僕の顔を見せないようにする。

「い、いや……なんでもない」

 僕は言葉を詰まらせながらそれを否定する。

 しかし、彼女は口を尖らせた。

 彼女は言葉にはしなかったが、理由を話せと圧をかけていた。

「……色々とあるんだよ」

 だけど、今告白するわけにはいかない僕は曖昧な返事をして誤魔化した。

 彼女は不満を訴えるように頬を膨らませていたが、僕の確固たる意志が伝わったのか彼女は圧を消し去った。

 するとちょうど印刷が終わり、プリンターの駆動音がピタリと止まった。

「よし、終わった」

 僕が印刷が終わった資料を両手に抱えて未来に声をかける。

 未来は僕が両手で持っている資料の半分を持ってくれる。そして、僕たちは横並びしながら生徒会室に戻り始める。


「そういえばさ。前回の中間テスト、順位上がってたね」

「あぁ。やっと上位十位以内に入れたよ。ギリギリだったけどね」

 僕の通う高校では中間テストと期末テストで上位十位以内の成績優秀者が掲示板で張り出される。

 そして、前回の中間テストで僕は高校1年生の時からの目標であった、上位十位以内に入ることができたのだ。

「というか、そっちもすごいじゃん。また1位」

「まぁ、いつものことだけどね」

 その言葉は嫌味っぽく聞こえてきたが、彼女の事だから悪気がないのは理解していた。

 だから、僕はそんな彼女に腹を立てずに言葉を続ける。

「未来って入学した時からずっと1位でしょ? 僕は勉強が苦手だから素直に羨ましいよ」

「……まぁ、勉強は昔から得意だったからね」

 彼女は少しだけ寂しそうにそう呟いた。

 彼女は勉強が得意と自虐的に語ることがある。生徒会という仕事から一緒にいることが多い僕も、その理由は知らなかった。そしてその理由が知りたかった僕は、意を決して彼女に理由を問いかけようとする。

 しかし、僕が口を開くよりも前に彼女は首を傾げる。

「私の話は一旦置いておいて。なんで成績上位者になろうと思ったの? 陽太って有名大学に通いたいってわけじゃなかったでしょ?」

「そう……だね」

「またその態度。私が理由を聞くと毎回そうやって誤魔化すよね」

 彼女の言う通り、僕は成績上位者になりたい理由を誰にも明かさなかった。

 僕自身有名大学に通うつもりもなければ、自己顕示欲が強いわけでもない。だから、彼女からしたら僕が成績上位者になりたかった理由が分からないのだろう。

 だけど、それも今日までだ。

 高校1年生の時から血反吐を吐く思いで勉強を続けて、やっと成績上位者になった。

 僕は立ち止まって彼女の背中を見つめる。

 彼女は僕の方を振り返って、不思議そうな顔で僕を見つめる。

「……たから」

「え?」

 小さな声で僕は彼女に告げる。

 その言葉は彼女に届くことはなく、空気中に霧散されてしまう。

 だけど、僕は息を吸ってから彼女の青い瞳を見つめる。

「未来に追いつきたかったから」

 高校1年生の時、彼女の強さに憧れ、好きになった。

 そして、何度も声をかけて彼女の友人になることができた。

 だけど、その関係性は決して平等ではなかった。

 彼女は俗にいう天才という類だった。一方で、僕は凡人未満の何者でもなかった。

 だから1つでいい。1つだけでいいから彼女と対等でありたい。

 そう思って、彼女が得意な勉強を頑張るようになった。いい大学に行きたいわけでも、自分という存在をアピールしたかったわけでもない。

 僕はただ未来に追いつきたかった。

「なんで……」

 未来は自分には僕に追いかけられる価値がないと思っているのか、本当に分からなそうな顔をしていた。

 その顔がとても愛おしくって、僕が彼女を追いかけた理由を全部吐露してしまいたくなる。

「なんでって。それはまぁ」

 だけど、今から全ての言葉を告げるよりもたった1つの言葉の方が彼女に伝わると思った。

「傲慢にも君に憧れてしまったから」

 僕の願いを表すのなら、この言葉の方がふさわしい。

「未来は入学した時から1位で、僕は赤点ギリギリだったけど、君に何か1つでも追いつきたいと思って勉強を頑張ったんだ」

 その道のりは決して順調ではなかった。

 入学した時の成績が下の下の人間が成績上位者になろうとするのだ。他の人が聞いたら笑ってしまうほど滑稽だっただろう。

 だけど、高校1年生の秋ごろ、僕が成績上位者になろうと知った未来は、笑いもバカにもせずに勉強を教えてくれて、それから僕の成績はメキメキと上がっていった。

 そして、ついに高校3年生になってようやく僕は彼女に追いつくことができたのだ。

「未来……僕は」

 勇気を出すために息を吸って、僕は彼女の瞳を見つめる。

 しかし、僕が何を言いたいのか理解したのか、彼女は右手の人差し指を立てて僕の唇に当てる。

「……もう少し待ってて。文化祭が成功したら、その言葉は私から言いたいの」

 そう宣言した彼女の瞳は清々しく、まるで夏空のようだと思ってしまった。




 陽太の告白未遂があってから1日後、私たち生徒会メンバーは生徒会室で慌ただしくしていた。

 生徒会室は全員緊張した面持ちで、15分後に控えた生徒会会議の資料の確認や、台本の読み合わせをしている。

 かくいう私も今日の生徒会会議の主題である来月の文化祭についての資料を確認している。

 今回、嫌味男に認めさせたいのは文化祭でのスマホの使用許可だ。

 この高校ではスマホの使用が全面的に禁止されていて、それは普段の学生生活だけではなく、文化祭も例外ではなかった。

 しかし、文化祭の思い出を写真にして残したいや、文化祭中に友人たちと連絡を取りたいという意見が生徒会に多数寄せられて、1か月半前からスマホの使用許可を先生方に求めていた。

 しかし、あの嫌味男は曖昧な返事で答えを濁し、話をうやむやにしていた。

 その結果、今回の生徒会会議で先生方にスマホの使用許可を得られなければ、文化祭でスマホを使用できなくなるほど、私たちは追い詰められていた。

 それだけはどうしても避けたかった。

 別に私個人としては文化祭でスマホを使用することはどうでもよかったが、私を信頼してくれた生徒たちの期待に応えたかった。

「来……未来!」

「え?」

 資料を読み込んでいた私は、自分の名前を呼びかける声に気づくことができなかった。

 私を呼びかけた声の主である陽太は顔を近づけて私を見る。

 その顔は清々しくて、眩しくて目を瞑ってしまうような夏空のようで、私は大きく1回心臓が跳ねてしまう。

「どうかしたの?」

「いや、そろそろ始まるから会議室に行かないと」

 彼に言われて私は腕時計を確認する。時刻を確認すると、生徒会会議が始まるまでも5分も残されていなかった。

 生徒会室を見回すと、他の生徒会役員たちはもう会議室に移動しているようだった。

「大丈夫か?」

「大丈夫。あの嫌味男を今回の会議で黙らせてやる」

 静かに、されど強い口調で私は自分を鼓舞する。

 しかし、それを聞いた陽太はどこか怯えているような表情を浮かべていた。

 そして、すぐにいつも通りの優しい顔をして、彼は最後の業務連絡を始める。

「今回、副会長の僕から提案することはない。他の生徒会役員も簡単な内容の提案や確認なだけ。つまり、ほとんどの時間は未来の提案に使うことができる」

 今回、生徒会役員たちはスマホの使用許可を手に入れるために仕事をあらがじめ進めてきた。

 そのため、生徒会会議の30分すべては私のためにあるといっても過言ではない。

 そう思ったらプレッシャーが重たくのしかかる。

「安心してくれ。最悪、僕がなんとかするから」

 私の緊張を察した陽太は柔らかい笑みを見せてくれる。

 自分でも単純だと思うが、好きな人の顔を見た私は落ち着き、格好つけている彼が癪に障った。

「……信頼できないけど、ありがとう」

「一言余計なんだよな~」

 彼と軽口を叩きながら、私は資料を持って立ち上がる。

 そして、彼の前を歩きながら生徒会室の扉を開いた。

「行こう」

「うん」


 生徒会室から出た私たちは生徒会室の隣にある会議室の扉の前に立つ。

 そして、深呼吸を何回かした後、ノックを3回してから扉を開いた。

「失礼いたします」

「失礼します」

 私と陽太は会議室に一礼してから入っていく。会議室は右側には生徒会役員が、左側には教師陣が座っていた。

 私は右側の上座に向かっていき、私は一番奥に座る。そして、陽太は私の隣の席に重々しく座った。

「……本日はよろしくお願いします」

「あぁ~、まぁね。よろしく」

 私は机を挟んで目の前に座る嫌味男に形式上の挨拶を口にする。

 しかし、なめ腐った態度の嫌味男は適当に挨拶を返す。

「それでは定刻になりましたので、生徒会会議を始めたいと思います」

 会議室の一番奥でホワイトボードの前に立つ庶務の1年生が、いつも通りの生徒会会議の始まりを告げる。

 そして、庶務の子は私に目配せをして、1つ間を置く。

「それでは、まずは生徒会長の議題になります。生徒会長、お願いいたします」

 その声と同時に私はすぐさま立ち上がった。

 私は庶務の子に変わってホワイトボードの前に立つ。そして、黒いペンでホワイトボードに『スマホの使用許可について』という議題を書いた。

「今回も、生徒会側からは文化祭中のスマホの使用許可について提案させていただきます」

 私の言葉に先生側からは、またかという呆れのような空気が漂う。一方で生徒会側はその空気を肌で感じ取り、一食触発という雰囲気を醸し出していた。

「多くの生徒が文化祭中、スマホで写真を撮ることで思い出を残したり、文化祭中に連絡を取ったりすることを求めています。3ページをご覧ください。こちらのアンケートは私たち生徒会が全校生徒に対して取ったアンケートになります」

 資料の3ページ目には私たちが全校生徒に対して行ったアンケートの結果が円グラフとして表示されている。

「この円グラフから分かる通り、全校生徒の8割近くが文化祭中のスマホの使用を求めています。

 また、スマホを使用することができればトラブルが起きた際、スマホのメッセージ機能を使って生徒間で円滑なコミュニケーションを取ることができるため、生徒の自主性を育むことができるはずです」

 私の言葉に若い先生たちは興味深そうに前のめりになった。一方で高齢な先生たちは納得できていなさそうに首を傾げていた。

 そして、その最たる例である嫌味男は小馬鹿にしたような顔でホワイトボードを見ていた。

「でもね~。もう2週間前だし、いきなりそんなこと言われても困るよ~」

「……私たちが1か月半前からこのことは提案していますが?」

「そうだっけ?」

 私はなるべく怒りを殺し、事実を突きつける。しかし、彼は明後日の方向を見て私を挑発する。

「それに文化祭中にゲームをする可能性があるのはな~。君たち生徒会は文化祭中、スマホでゲームしないっていう保障はできないでしょ?」

 その上で私に向けて正論を投げかけてくる。

 しかし、それについて回答を用意していた私は息を整え、回答の準備をする。

「それについては」

「ね! 教頭先生もそう思うでしょ?」

「えぇ。最近の子はゲームばっかりで将来が不安ですよ」

 しかし、嫌味男は隣に座っている教頭先生にどうでもいい話を振って、私の言葉を遮った。

 ゆっくりと他の先生たちを見ると、先生たちも口々に最近の子供はどうたらこうたらと好き勝手に口にしている。

 それを見た生徒会役員たちは、先生たちの陰湿さに驚いて言葉も出ないようだった。

 静粛に!

 そう言葉にしたかったのに、私は言葉にすることができなかった。

 嫌な思い出が私の頭で駆け巡り、私は口を閉ざした。

 ダメだ。

 誰も私の話を聞いてくれない。

 誰も私を助けてくれない。

 私はいつだって孤独だ。

 どんなに勉強ができたって、私は誰からも信頼されなかった。

 嫌な過去が頭をよぎって、私は体が震える。

 そうだ、諦めよう。

 私なんかが生徒会長になるなんて烏滸がましかったんだ。

 私なんかが彼に憧れるなんて……


「すみません、結論を出してもらってもいいでしょうか?」

 次の瞬間だった。

 陽太が立ち上がって、先生方に声をかける。

 先生方は陽太の声を聞いて声量を小さくするが、誰も答えようとはせずに微妙な顔をしていた。

「校長先生。どうですか?」

 陽太は私の隣に立ちながら、嫌味男に笑顔を向ける。

 その笑みはまるで相手を見透かしているような冬空のようで、彼の見たこともない姿に私は目が離せなくなる。

「あ~、まぁ今回は見送ろうよ」

 嫌味男がそう告げた瞬間、陽太に視線が集まる。

 その視線は陽太が何をするのか、何を発言するのか。

 生徒会側から期待に満ちた、先生側からは緊張に満ちた視線に彼は晒される。

 しかし、陽太が発した言葉は私たちの想像外のものだった。

「分かりました。まぁ、流石に2週間は唐突ですもんね!」

「え」

 笑顔で嫌味男の言葉を受け入れる陽太に、会議室中にいるすべての人物が驚いた顔をしている。

 そして、誰も何も言えなくなっていると、嫌味男がいの一番に口を開いた。

「君、話がわかるじゃないか! そこにいる生徒会長とは違うね!」

「……ありがとうございます!」

 嫌味男は満悦そうな顔をして、陽太を褒めたたえる。

 そんな嫌味男に陽太は笑顔を張り付けたままだった。

「陽……太?」

 私は戸惑いつつも彼の名前を呼ぶ。しかし、彼は私の方を一切見てくれなかった。

 それは私がよく知った拒絶だった。

 あぁ、陽太も私から離れていく。

 そんな絶望感に苛まれた私は目を瞑った。

「そうだ。君ならいい! 突然なんだけど生徒会に頼みたい仕事があるんだが、それを君に……」

「え、嫌です」

 嫌味男が意気揚々と話を進めようとした瞬間、彼がそれを聞かずに否定した。

「いやもう2週間前ですよ。これ以上仕事を増やすわけにはいかないじゃないですか」

 それは嫌味男に対する皮肉だった。

「そ、それは困るよ~。大切な来賓に関係していて……」

「はぁ。そうですか。でも、これがあなたたちが未来にしたことですよね?」

 上面の笑みを浮かべる嫌味男に対して、陽太は静かに怒りを露わにする。

 陽太を怒りを感じ取り、バツが悪くなった何人の先生が目を逸らしていた。

「僕はこちらの提案が受け入れられないから、理不尽に先生たちの話を聞かないわけじゃないんですよ。だけど」

 彼は怒っていた。

 私のために怒っていた。

 彼は嫌味男の隣に立つと、彼の胸倉を掴んだ。

「陽太ッ!」

 私は慌てて彼の名前を呼ぶ。だけど、彼は相変わらず私を見てくれない。

 彼は嫌味男の胸倉を掴んだまま静かに告げる。

「ただね。話を聞かないのは違くないですか? 未来はみんなの期待に応えようと頑張っていたんですよ? 確かに難しいかもしれないですけど、それでも先生なら話を聞いてくださいよ」

 彼はそれだけ言い、嫌味男を突き飛ばすように胸倉を離した。

 嫌味男は椅子に座ったまま茫然と陽太の顔を見る。

 陽太は涙を堪えているように表情を歪ませていた。

 そして、そのままの表情のまま腰を曲げる。

「大変申し訳ありませんでした。私はどんな罰でも受けます。だけど、どうか。どうか未来の話だけは聞いていただけないでしょうか。お願いいたします!」

彼は謝罪の言葉を口にする。

 会議室に静寂が訪れる。

 先生たちは罪悪感から表情を歪ませていたが、陽太から目を背けなかった。

 生徒会役員たちは陽太を見つめながら苦しそうな表情をしていて、中には静かに涙を流している生徒もいた。

 そして、私は彼の言葉を聞いて動けないでいた。

「……陽太。外に行こうか」

 最初に口を開いたのは私たち3年生の学年主任だった。

 学年主任は陽太の腕を引っ張り、彼を無理やり引っ張り会議室の外へ連れ出していく。

「……会議を続けたいと思います」

 私は凛とした声でそう宣言する。

 私の声に否定する人はいなかった。校長先生でさえもが真剣な眼差しを私に向ける。

 これは彼がくれたチャンスだ。

 結局、私は彼のような人にはなれなかった。

 だけど、彼は私に託してくれた。せめてその恩にだけ答えたかった。

「……資料の4ページ目をご覧ください」

 それからの生徒会会議は順調だった。

 先生たちは先ほどのように無視することなく、建設的に議論に入っていき私たちの話を聞いてくれた。

 生徒会側の意見がすべて通用するわけではなかったが、よりよい文化祭を行う為に会議室にいる誰もが言葉を交わしていた。

 そして、今日の生徒会会議は初めて有意義なまま生徒会会議が終わった。




 放課後、私は誰もいない生徒会室で事務処理を行っていた。

「未来」

 生徒会室の扉がゆっくり開かれて、生徒会室に陽太が入ってくる。

「陽太」

 私は陽太に視線を向けると、陽太は少しだけ申し訳なさそうな顔をしていて、居心地が悪そうに視線を逸らしていた。

「座って」

「え、でも」

「いいから座って」

 私に促されて陽太はいつも通り机を挟んで私の前の席に座った。

「……主任からはなんか罰与えられたの?」

「いや、お咎め無しだってさ。ただ、先生たちには目を付けられたから生徒会副会長はやめるつもりだよ」

 その言葉に私は事務作業の手を止める。

 彼はそれが正解だと言わんばかりの態度で、どこか清々しい顔をしていた。

「……認めない」

「いや、だけど実際に校長先生に手を上げたし」

「気にしてないよ、校長先生。生徒たちのことを無視するなんて教育者としてやってはいけないことだった。すまなかったって校長先生私に謝ってきたし」

「へ?」

 校長先生が誤ったというのが信じられなかった彼は、間抜けな声を出して私を見つめる。

「嘘でしょ?」

「嘘じゃないよ。本当に校長先生、私に謝ってきたんだから。それに陽太に対して、彼には大事なことを思い出させてくれたって感謝していたよ」

 彼は信じられないものを聞いたというような顔を浮かべているが、これは本当の話だ。

 だけど、私にとっては別に驚くようなことじゃなかった。

「あのさ。昨日、陽太は私に傲慢にも憧れているって言ってくれたよね」

 彼は今さら自分が恥ずかしいことを言っていたのを思い出したのか照れくさそうに目を伏せる。

 その姿がとても愛おしくって、私は彼のような笑みを浮かべる。

「私も君に傲慢にも憧れてしまった」

 そう言って、私は彼に思いを伝える。

「私は勉強も運動も人並み以上にできた。だけど、私には人の感情が分からなかった。だから私は諦めて1人でいることを選んだ。」

 私は生まれた時からある程度の事なら人並み以上にこなせた。

 しかし、周囲の人はそんな私のことを気味悪がった。私はそんな他人を理解することを諦めて、1人でいることを受け入れた。

「だけど君と出会ってしまった。1人でいたい私を決して1人にしてくれない君がいた」

 今でも覚えている。いきなり声をかけてきた彼はずっと私に付きまとってきたのだ。

 最初は面倒で彼を遠ざけようとしたが、それでも彼は私に近づいてきて、私は諦めて彼と一緒にいることを選んだ。

 彼はお人好しな人間だった。誰かから期待されたらそれに応えようと躍起になって、誰かのためだったら全力で手を差し出した。そして、彼の周りにはいつも人がいた。

 そんな彼を1番近いところで見てきた私は彼のことが好きになって憧れてしまった。

 それは1人でいることを選んだ私からしたら傲慢すぎることだった。

「私はあなたみたいな人になりたくて生徒会長になったの。みんなから頼られる存在になって、みんなの期待を応えられるような人になりたかったから」

「……そう……だったんだ」

 きっと陽太は私が文化祭でスマホの使用許可をもらいたい理由を知らなかったのだろう。

 だけど、彼は驚きつつもどこか腑に落ちたような表情で何度も頷いていた。

「そういえば、スマホの許可は……」

「あぁ、それね。さすがに全面的にいいわけではないけど一部時間や場所以外でなら使ってよくなったよ」

「そっか。それはよかった」

 私の報告を聞いて、彼は気の抜けた笑みを私に見せてくれる。

 完全に目標が達成されたわけではないが、これから後輩たちの時代なら全面的に使用が許可されるのも夢じゃないだろう。

 そして、安心しきった彼はゆっくりと口を開いた。

「……あのさ、未来。僕は君のことが」

「待った。その言葉は私から言いたい」

「いや、待ってくれ。こういうのは男の僕から」

 お互いその言葉を譲りたくない私たちは顔を見合わせる。

 そして、私たちは同じタイミングで吹き出してしまった。

「意外と似た者同士だったんだね。私たち」

「あぁ、ほんとうにそうだ」

 2人の間に静寂が訪れる。

 私たちはお互いに傲慢にも憧れてしまった。

 彼は私の強さに。

 私は彼の強さに。

 だから、お互いにこの言葉だけは譲るわけにはいかなかった。

 そして、次の瞬間生徒会室に1つの声が響いた。

「好きだよ」

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傲慢アドマイア 庵途 @FluoRite-and-

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