第20話 説得

 僕はその日から学校を登校することが出来なかった。その日は田中先生から家の方へ電話が掛かってきたのだが、母親が対応し、その後僕に、一階からこの報告をしてくれたのだが、僕は無言を貫いた。

 また、一回しか見たことがなかった、あの綾香の悪夢も頻繁に見ることになった。その都度僕は真夜中に飛び上がり、一瞬現実の方が楽だということを実感した。しかし、どちらもつらいということに気づき、また眠りにつく。

 そんな日々が三日続き、明日が土曜日で他の生徒も休みということで、気持ちが和らいでいた金曜日の夕方だった。

 突如として家のチャイムが鳴り、無意識にビクッと驚いた僕は、部屋で聴いていた音楽を小さくし、来客者が誰か確認しようとした。

 母が玄関先へ出ると、

「こんにちは、長永祐一君の友達の、笠原次郎と言います。祐一君はいますか?」

 と、声が聞こえた。

「ええ、祐一は二階の部屋に……」

 何で教えるんだよ。そう僕は母に対して攻めるような気持ちでいた。

 声もすぐに分かった。次郎で間違いない。熱い彼のことだ。絶対に家を訪ねてくると予感していた。

 次郎は「お邪魔します」と、一声かけて、階段を上がっていく。その足音はどこか決心したような力強さが宿っていた。

 次郎は三回ノックをした。

「いるんだろう。佑ちゃん」その声は優しさとせっかちさが入り混じっていた。

 僕は返した方がいいか躊躇していた。すると、もう一度、彼はノックをした。

「俺だ。大丈夫だ」

 ――何が大丈夫なのか。彼は時たまよく分からないことを言う。

 それに釣られ僕は思わず声が漏れて、フフと笑ってしまった。

「今何か聞こえたぞ。佑ちゃん笑ってるのか。いいよ。俺だったら何度も笑わせてやるぜ」

 快活な声がどこかたくましく感じて、あれ程、両親にせがまれたとしても頑なだった僕は、ようやくドアを開けた。

「よう、元気か」

 彼はいつもと変わらず、右手を上げて僕を見る。

「あ、ああ」

 僕は今日暫く喋ってなかったので、声が小さかった。

「何だよ。もっとやつれて動けないのかと思ってたら、動けてるじゃん。心配したぜ」

「そりゃあ、動けるよ」

「良かったぜ。だってよ、ラインしても全然返事来ないじゃん。俺、絶対に佑ちゃんに何かあったんだと思ったんだ。今頃孤独死してるかもしれないじゃん。よくあるだろう。孤独死の事件」

「アレは、二十年、三十年引きこもった挙句、両親共々亡くなった人がやることだろう。俺は両親共々健在だよ」

「そうだよな」と、彼は笑いながら頭を掻いた。「そりゃあそうだ。俺が勘違いしてた」

 ハハハ、と、彼は一気に恥ずかしくなったのか。いや、元から彼の優しさなのかもしれない。

 僕は徐々に、彼に心を開いてしまっていた。どうしても次郎の前では素直になる僕が確かにいた。

「まあ、上がれよ。汚いけどさ」

 僕は彼を通した。本当は上げたくないほど散らかっているし、アダルトの雑誌やパソコンには大人の動画が保存されているが、そんなこと見られたところで大したことではないと思った。

 それから僕らは色んな話をした。ほとんどが軽い話であり、僕の心が動揺することはなかった。

 母が気を配って、お茶も用意してくれた。母は何週間か僕の部屋に入った。どさくさに紛れてと感じたが、それさえも良かったほど、僕は次郎にこの壁のようなドアを破ってくれたことにありがたみを感じていた。

 次郎は「いただきます」と、嬉しそうにグラスに入った麦茶を一気飲みし、グラスを机の上に置くと、ふと僕の勉強机に置かれていた、原付の免許の参考書に目が行った。

「お前、本当に原付の免許の勉強してたんだな」

「うん?」僕はグラスを片手に後ろを振り返って、参考書の方に目を向けた。「ああ、だって次郎が原付の免許と何回も言ってたからな」

「実は、俺も勉強してるんだ。嘘じゃねえぜ。俺は普段学校の勉強はしないし、赤点追試のパターンを何度もやってるけど、好きな物には勉強する立ちだから」

「俺もそうだ」

「それだったらさ、来週に免許取りに行こうぜ。いや、またうやむやになったらダメだから、日にちも決めようぜ。来週の金曜日何てどうだ?」

「金曜日だったら、期末テストも近いし、お前は大丈夫なのか?」

「ああ、大丈夫だ。さっきも言ったように、俺は赤点追試のループなんだ。勉強しようがしまいが、赤点というものは取ってしまうものだ。でも、原付の免許は一発で取る自信はある」

 ――毎回試験に赤点を取る人物が、果たして一発で免許の学科試験に合格できるものなのだろうか。

 何という根拠のない自信なんだ。この笠原次郎という人物は。

「まあ、いいぜ。俺も一発で取れる自信が出て来たよ」

「絶対約束だぜ。後ラインも無視するな。他の奴は無視してもいいけど」

「遠藤君や鹿島君、金村君も元気にしてる?」

「ああ、あいつらもお前のことを心配してたぜ」と、次郎はそっぽを向いて頭を掻いた。「まあ、お前をバカにする奴もいるが、味方の奴らもいるんだから大丈夫だ」

「隈埜さんは大丈夫なのか?」

 というと、次郎は、「あいつのことは考えなくていい」と、言い放った。

 不思議だ。次郎が初めて隈埜小秋のことを“あいつ”呼ばわりするなんて。これは僕の方に肩を持つということなのか。

「分かった。とにかく連絡を取り合おう」

「俺はずっと取ってるがな」

 嫌味っぽく次郎は薄み笑いを浮かべた。

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