柑橘ソーダ

夏の陽射しが文芸部室の窓から差し込んで、埃が踊るのをまゆりは漫然と眺めていた。


高校一年の夏休みも半分が過ぎ、部活動にも慣れてきた頃だった。


「まゆり君はもう飲んだかな?柑橘ソーダ」


部長の圭太の声に、まゆりの心臓が一拍飛ぶ。振り返ると、いつものように優しい微笑みを浮かべた圭太が机に頬杖をついて彼女を見つめていた。


「ま、まだ飲んだことがなくて…その」


まゆりは慌てたように本のページをめくった。


購買部の夏限定品、柑橘ソーダ。

好きな人と飲んだら恋が実るという、生徒たちの間で密かに囁かれるジンクス。


まゆりだって知っている。

知っているからこそ、飲めずにいた。


『今買ってくるから飲みましょう』


そんな言葉がまゆりの胸の奥で踊っていたが、それを口にする勇気はなかった。

部長は優しいから、きっと一緒に飲んでくれるだろう。

でも、それは恋ではなく、ただの優しさに過ぎないのだと分かっていた。


ガラッ。


文芸部室のドアが勢いよく開いた。


「あ、部長早いですね。ヤッホ、まゆ」


美優先輩だった。

二年生の美優先輩は、いつも明るくて、圭太部長と仲が良くて、まゆりには眩しすぎる存在だった。


そして今日も、美優先輩の手には──


二本の柑橘ソーダ。



まゆりの視界がぼやけた。

心臓が痛いくらいに高鳴って、息をするのも苦しくなった。

美優先輩の笑顔が、圭太部長の驚いた表情が、部室の蛍光灯の光が、全てが混じり合って見えなくなった。


「あ、あ、あの私、今日親の手伝いがあるの忘れてて、失礼します!」


気がつくと、まゆりは廊下を走っていた。

制服のスカートが風にはためいて、革靴が床を叩く音が空虚に響いた。


『二人は付き合っているんですか?』


そんな質問をする勇気なんて、まゆりにはなかった。

聞いてしまったら、きっと心が壊れてしまうような気がした。


だから彼女は走り続けた。


真実を知ることから、


自分の想いから、


夏の終わりから逃げるように。


購買部の前を通り過ぎる時、冷蔵ケースに並ぶ柑橘ソーダが目に入った。

まゆりは足を止めることなく、校門へと向かった。


きっと今頃、二人は一緒にあのソーダを飲んでいるのだろう。


そう思うと、涙が頬を伝った。

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