雨の日の悲劇

土砂降りの雨が容赦なく地面を叩く。


アスファルトに膝をつき、微動だにしない男の姿があった。すぐ後ろには、エンジンがかかったままの車が停まっている。

ヘッドライトが雨に煙る道路を照らしていた。


人通りの少ないこの道で、男に駆け寄る者はいなかった。

街灯の薄明かりが、雨に濡れた男の背中を浮かび上がらせる。


やがて男は立ち上がると、フラフラと前へ歩き出した。


そこには若い女性が倒れていた。

頭から血を流し、ピクリとも動かない。


「シェリー、ああシェリー、すまない。パパが…パパがごめんよ…」


動かなくなった娘を抱き抱えながら、嗚咽混じりに男は謝罪の言葉を並べ続けた。


雨が父と娘を無慈悲に打ち続けている。


――数分前


雨の中を乱暴に走らせる車。

ワイパーが必死に雨粒をかき分けているが、視界は悪い。

運転席の男は携帯電話を片手に、声を荒げていた。


「何だって?また遅くなるのか?」


男の声は怒りに震えている。


電話の向こうから妻の声が聞こえてくる。


「仕方ないでしょう。急な会議が入ったの。シェリーの迎えはお願いできる?」


「いつもそうだ!いつも俺が後回しだ!」


男はハンドルを強く握りしめた。


「お前の仕事の方が大事なのか?娘より仕事が優先なのか?」


「そんなことないわ。でも今日だけは—」


「今日だけ、今日だけって、いつもそう言うじゃないか!」


男の声はさらに大きくなる。


「シェリーはいつもパパの迎えを待ってるんだぞ!お前は母親の責任を果たしてるのか?」


雨がフロントガラスを激しく叩く。


「クソ!前が見えない」


男は前方を見ようと身を乗り出した。


「あなた、運転中でしょう?一度電話を切って—」


「切るもんか!」


男の声は錯乱状態だった。


「シェリーの迎えだって忘れてたじゃないか!あの子がどんな気持ちで待ってると思ってるんだ!」


スピードが上がっていく。

怒りに任せてアクセルを踏む足に力が入る。


「お願い、シェリーのことを考えて!危険よ!」


妻の声に恐怖が混じっている。


「シェリーのことを考えろって?いつもシェリーを放ったらかしにしてるのはお前だろう!」


その時、雨に霞む視界の先に小さな人影が見えた。

塾帰りだろうか、制服を着た少女が横断歩道を急いで渡ろうとしている。

雨宿りできる場所を探しているようだった。


男は慌ててブレーキを踏んだが、雨で濡れた路面では間に合わなかった。



鈍い音。



電話の向こうから妻の悲鳴が聞こえた。


「あなた!?何があったの!?」


携帯電話が車内の床に落ちる。男は呆然と前方を見つめていた。


――そして現在


「シェリー…起きてくれ、シェリー…」


男は愛する娘の名前を呼び続けていた。


制服のポケットから出てきた生徒手帳。

目の前に横たわる"それ"が確かに自分の娘だと分かった瞬間の絶望。


雨が父と娘を包み、男の涙と区別がつかなくなっていた。


携帯電話からは、まだ妻の声が聞こえていた。


「お願い、答えて。何があったの?シェリーは無事?」


その問いかけに、男はもう答えることができなかった。

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