#3 ヴァルミリオンの封印書 各々の提案

「……では、この本を本物か否か、そして正体が何かを――確かめてみましょう」


 アンナは深く息を整え、指先に魔力を集めた。白く淡い光がみるみるうちに宿り、空中に小さな円を描いていく。古代文字が羅列し、いくつも浮かび上がっていった。

 

「なんだ、その魔法陣は……?」


 ルーカスは期待のまなざしを向ける。


「これより鑑定を始めます。防御結界は張っておりますが、何が起きても驚かぬようにお願いします」


 ルーカスのうなずきを確認する。魔法陣が輝きを増し、やがて作業台に置かれた本を包み込む。


 同時に、周囲の空気が一気に変わった。魔力の風が吹き、カウンターの羅針盤が針を震わせた。魔法瓶たちが左右に揺れ、かたかた音を鳴らす。


 真昼であるのに、まるでこの机の周りだけ切り離された真夜中に感じる。時刻を指していたはずの針がぐらりと揺れ、夜の位置と朝の位置のあいだを不規則に往復する。さきほどまで放っていた黄金色の光はすっかり失われていた。

 

「古代呪文だな」


 ルーカスが不意に呟いた。


 アンナは微笑みを崩さぬまま、古書を見た。心臓を冷たい掌で握られるような感覚に襲われる。少し魔力を入れただけで、周囲の時が乱れるほどの魔力……。これは、ただの古書ではないと察する。


 やがて頭の中にすうっと古書の記憶が流れ込んできた。


「――ヴァルミリオンの封印書です」

 

 アンナの言葉に、ルーカスは目を見開いた。


「ヴァルミリオン……? 神話で聞いたことがあるが……まさか」

 

 アンナは光る魔法陣に手を重ね、指先を本の宝石にかざした。瞬間、カチリと音がして、鍵穴のないはずの錠前がゆっくりと開き始める。部屋はいつの間にか、いつも通りの日常を感じる店内へと戻っていた。ルーカスは息を呑む。


 

 アンナはゆっくりと本を開いた。ページから漂うのは、古びた紙の匂いと、鉄錆のような血の匂いが一瞬だけ。


 最初の頁に刻まれた古代文字を目にした瞬間、脳裏に厳しかった祖母の声が蘇る。

 

――アンナ、もし伝説の魔道具を見つけた時に、思い出して。ヴァルミリオンの封印書はただ序盤を数項読むだけならば大丈夫……。あれは――世界を崩壊する力があるから。でも、どうしてそんなものが存在するのか、ですって? それは……。


 祖母の思いが心に響く。アンナは気持ちを切り替え文字を読み進めた。


「……これは、いにしえの神の血による契約の書物です」

「ほう?」


口にした瞬間、ルーカスの瞳が強く輝いた。

 

「改めて読みます……これは、神の血を使って書かれた契約の書物である……取り扱う者は心せよ。古のさらに古に存在した使役獣を呼び出すことができる……ただし、災いが呼び出されることも……たとえば……」


 アンナが読み進めると、文字が赤く脈動し、まるで本の頁内で血が流れているかのように震えた。

 

「さきほどの魔法陣といい、これといい、店主は古代文字が読めるのか」

「当たり前です。でないと食事――」

「食事?」

「いえ、なんでも」


 祖母にみっちりと教えられたのだ。恐ろしい種類の古代文字を、さらに解読できない時の対応魔法、呪物の解除方法……。祖母は優しいようで、実際はかなりハードな量の勉強量だった。アンナがに興味があったからこなせたものの、常人であれば音を上げていただろう。

 

「今は、まだ序章ですので。まだ、今ならば大丈夫です。ただし、これ以上は」

 

 アンナは自分自身にいいきかせるように呟いた。

 ページから目を離さずに応じた。

 

「要するに、この世ならざる存在や大災厄を封じる力が記されているが、同時にそれらを呼び出すための禁呪も記されているということです」


「……では鑑定結果は?」


 アンナは静かにページを閉じた。

 

「間違いなく、神の使役獣であるヴァルミリオンの封印書です」 

「それはすごい……発表か、報告か……いや、それよりも……」


 ルーカスは落ち着かせるように一度深く息をつき、再び言葉を吐き出した。

 

「……伝説の封印書が出るとは……。では引き続き証明する鑑定書をお願いできないだろうか。価値を示すにも、それがなければただの古書と変わらない」

 

 

 鑑定結果を示すには。

 アンナはやがて小さく首を振った。


「それが、少々難しいのですよ」

「どういうことだ?」

 

 ルーカスが眉をひそめる。アンナは作業台に肘をつき、指先で封印書を叩いた。

 

「魔法道具の鑑定書は、実際にその効果を確認できて初めて発行できる。つまり、使役獣を召喚できるかどうかを実証せねば、正式な鑑定書にはならないのです」


 想定外の返答に、ルーカスはさすがに動揺した。

 

「先ほど自身で言っただろう、ここに記されているのは禁呪だと。大災厄かもしれないのに、使ってみろとはどういうことだ」

 

「私とて、そう思いますが――法律は法律。もし鑑定書を発行するなら、ヴァルミリオンの召喚をしなければなりません」


 アンナの声は冷静を装っていたが、その胸中では心臓が早鐘を打っていた。


「馬鹿げたことを。災厄を招くかもしれぬ禁呪を、証明のために行使せよとは――」


「それでも現実です。もし違反すれば……」 

 静かに言葉を紡ぐ。


「魔道鑑定法律案・第二十条により、禁呪を不用意に扱った罪として処罰されます。鑑定士も依頼者も、共に」


 ルーカスは苦い顔で天を仰ぎ、拳を固く握りしめた。


「……すばらしい悪魔の証明だな。使えば大罪、使わねば本物扱いをされぬとは」

 

 ルーカスは腕を組み鼻で笑った。アンナは横目でそれを見やり、無言のまま本を撫でた。封印書が震える。まるで本そのものが、使ってくれと聞き耳を立てているかのように。

 

「ルーカス様」

アンナはあえて落ち着き払った声音で言った。


「こちらの本、鑑定のため現在は開いておりますが、封印をお勧めいたします。この書物は古代文字ゆえに読める方など、ほとんどいませんが……扱いを取り間違うと取り扱った者含め世界が消えかねないほどの禁呪です」


「どうしろと?」


「同様に古代魔法でないと、鍵がかけられません。追加料金をいただければ……」 


 腕組みをしつつトントンと指を叩いていたルーカスは、緩やかに笑みを浮かべるとアンナの方を見やった。


「では、こうしよう。そんな訳アリの本は、どうせ俺では持て余してしまうだろう。ならば、こちらに預けさせていただくのが得策だ――そう思わないか」


 要するに禁呪本を『いっそお前にまるごと渡すから、タダで封印してくれ』ということであろう。闇に溶け込むルーカスの後ろ姿を見送り、扉はベルが鳴って閉まった。


「さすがに大金持ちになる魔法、なんて……ないわよねぇ」


 アンナはしんと静かになった店内で、かの本を見つめ、銀貨を握り締めた。


「一か月分の生活費、確保」


 

★ヴァルミリオンの封印書(The Grimoire of Vermilion Seals)


古代の大陸にて書かれた血の契約の書物。

神々の血を使って書かれたとされ、この世ならざる存在や大災厄を封じる力が記されているが、同時に呼び出すための禁呪も記されている。神の使役獣であるヴァルミリオンをも封印されており、使役者がいる世界を破壊することができる。

  

〇計66頁。ただし、通常人にはそのうち数頁しか読むことができない。読むには「資格」または「代償」が必要。最終章を読んだ者は神に近しい者と成り、肉体を失う。


〇鍵穴のない封印錠。

特別な魔法での解除と封印が必要。


〇 使用の代償

呪文を唱えるたびに、術者の影が薄くなる(魂の摩耗)。使い続ければ影が完全に消え、徐々に肉体をも失う。

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