#4 忘却の砂牢 ファリード来訪

 灰都の中の石だたみは太陽光で白く煌めいた。店内の羅針盤はまるで日光浴を愉しむように昼の刻を差し、いつもよりひときわ美しい午後だった。


「どうぞ」


 アンナは紅茶を淹れ、ルーカスがいるテーブルの上にそっと置いた。


「店主、ありがとう」


 その後、青年ことルーカスは近くに住み始めたのか、度々訪れるようになった。どうやら彼は魔道具オタク気質らしく、店内にある物珍しい道具を見たり、魔道具の話をするのが好きらしい。本日はアンナがすすめた古書を買い、静かに店内で読んでいた。


 ティーカップを置くことで、街の通りから見える場所へと席を誘導されているとはつゆしらず、本人は書物を読みふけっている。憂いを帯びた端正な横顔につられ、女性客は度々来店した。何人かの女性客は見るだけ満足と安価な魔道具を購入し帰っていくので、ルーカスを無理に追い返すこともしなかった。


 アンナとしてはこのままルーカスが常連となり、いわゆる『観賞用』として大いに役立ってくれることを願うばかりだ。


「それにしても、店主は声が若いな。まるで若い女性みたいに思えるが」


 拭いていた魔道具が滑り落ちそうになった。なんとか割れないようテーブルの上に置くことができ、誤魔化すように店外へと視線を向ける。


「そういう魔道具がありますから」

「……そうか」


 ルーカスから視線が外され、ほっと胸を撫でおろす。実際に『声を変える魔道具』は実在している。魔道具について彼はある程度知っているのだから、その点で理解を示したのかもしれない。それ以上の言及がない点も助かった。



 ギイ、と扉が開く音が店内に響いた。瞬間、外から乾いた風が吹き込んだ。石畳を照り返す太陽の熱を含んだ空気は、店内に一瞬の異質さを運び込む。アンナの鼻孔をかすめたのは、いつかどこかで嗅いだことがあるような異国特有の砂の香りだった。

 

「あの……こちら、アンナのよろず屋ですよね。なんでも鑑定できるという」

「ええ」


 来客は日差しを遮るために深い青のターバンを巻いていた。黒い目がアンナを見捉える。砂漠色の布地は年季を帯びほとんど体全体を覆っていたが、背の高い痩せぎすの男であることは明白だった。曲がり刀シャムシールたずさえている。砂の地から訪れた商人であろうことが瞬時にわかる。そこそこの年齢で、アンナほどの娘がいてもおかしくない男性だ。ただし疲労の色が濃く、目の下に隈ができていた。


 男はゆっくりと歩みを進めてきた。アンナの目は自然とその様子を観察する。大股でも小股でもない一定の歩幅。腰に揺れるシャムシールの鞘ごとしっかりと磨き込まれている。長い旅に耐えるための装いで、肩から掛けた袋は色あせている。羅針盤が微細に揺れた。なるほど、恐らく持ち歩いている。

 

――よろず屋に持ち込むほど、危険で価値がある依頼品を。

 

「お名前は、そして、どのようなものを……」

「ファリードです」

 

 言葉の端に異国の抑揚がある。アンナのはめている指輪は、真実の証として青の光を放つ。

 

 名乗ってから腰の革袋から何かを出した。手を開くと、手のひらにすっぽり収まるほどのサイズの四角い箱が現れた。しかし、奇妙なのは表面で揺れ動く砂だった。音もなく、常に砂は動いている。


 古書から目を上げ、ルーカスが椅子から立ち上がる。小さな箱から視線を外さない。視線の質に、アンナはまたしてもただ者ではない影を見た。深い魔道具に関する学識の匂いが、時々こうして彼の立ち居振る舞いから滲む。


「……なんだ、それは……? 砂の箱に見えるが」


 砂箱に目を奪われたままで、ルーカスの眼の色が変わった。


「魔法鑑定の代金は、壁際に表があり――」

「ああ……大丈夫です……これを……」


 ファリードの返答は即座だった。

 まるで代金の額など問題ではないとでもいうように。アンナの指輪をちらりと見ると、また淡い青色に光っている。赤ではなく、珍しく淡という点が気になったが、会話すべてが本心だとわかり、胸に微かな安堵が広がった。


 アンナは受け取り、四角い箱を隅々まで回して観察した。きめ細かく淡い黄金色の砂粒が揺れ続けている。細く編まれた砂の鎖が幾重にも絡み合っているようにも見え、まるで生き物のようにうねる表面の砂は度々その文様を変えていた。さらさらと流砂のごとく、美しく弧を描きあるところは緩やかに、と流れの速さも変わる。食い入るように眺めた。縦から横から斜めから、あらゆる角度から見る砂の表情の違いに、思わずうっとりと――


「店主?」


 ハッと我にかえった。時の経過を忘れそうになり、慌てて机の上に四角い箱を置く。触れただけでこれだとは、恐ろしい魔道具かもしれない。気を取り直すべくアンナはコホンと空咳をした。


「それでは……」


 指先へと魔力を集中させ詠唱を始めた。青白く光る魔法陣、アンナの周りに優しい風が巻き起こり、宙に浮いた文字は砂の箱の中へと、ひとつひとつが消えていく。ルーカスはアンナから視線を外さない。まるで鑑定の儀そのものが彼にとっては娯楽鑑賞エンターテイメントだといわんばかりに。


 詠唱が進むごとに、空気がわずかに重くなる。部屋の中に閉じ込められた風が、出口を求めて吹きすさぶ。薬瓶のガラスがカタカタと小さく鳴った。ルーカスが視線を下げ、机の上のカップを押さえた。紅茶の表面に円状のさざ波が走り、まるで地震の前触れのように広がっていく。

 

「……変です」

「なにがだ?」


 ルーカスの返答に、アンナは喉に乾きを覚えた。違和感、何であろうか……指先に細い糸のような冷気が絡みついている。全身へと一瞬広がっていき、何かに囚われる奇妙な気配だった。ハッと一瞬で意識を戻し、息を吸った。


「普通の魔道具なら、落ち着いて情報を読み取れるのに――。でもこれは……逆に……そう、なんです」

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