#2 ヴァルミリオンの封印書 古書と青年

 閑散かんさんとした午後を迎えていた。

 棚に並ぶ魔法薬のラベルを貼り替えながら、アンナはため息をついた。


 カウンターに置かれた魔力羅針盤、その針が時刻を告げる。太陽と月の魔力の流れで方角と時間を示す独特の魔道具だ。現在盤面にいくつもある針のうちの一つがゆっくりと昼の位置を指し、黄金色の光を放っている。


 アンナは棚に並んだ薬の瓶を拭きながら、ため息を漏らす。今日も誰もこないのだろうかと。


 すると、ギイと扉の開く音が、羅針盤の微かな音をかき消した。


 アンナ——いや、老婆は、瓶を置いて視線のみ入り口へ向けた。

  

 入ってきたのは若い男であった。実年齢はアンナに近そうだ。男は扉を閉め、ふうと息をついた。ほどよく日に焼けた肌と手入れの行き届いた髪。腰に長剣を携えていて、衣服は身ぎれいで、刺繍は凝っている。一般的な身分の者であれば一張羅いっちょうらと呼べる素材だ。粗野さよりも理知的といった印象を持つ顔立ちだった。


「……この店は『アンナのよろず屋』で間違いないだろうか」


 なまりがない。アンナはこの街出身ではないことを悟った。重めの革靴の足音が近づいてくる。アンナは、わざとゆったりとした動作で振り向いた。人物の言葉遣いも所作も丁寧。そしてこの店、アンナのよろず屋という店の名前を知っているということは……。

 

「ええ……この店は昔から、そう呼ばれております。いらっしゃいませ」


 話し方もなるべく生前の祖母らしく振舞った。

 青年は店内を見回す。視線の先には砂時計、羅針盤など、祖母が長年集めた数々の魔道具が所狭しと並んでいた。一瞬、カウンター付近の魔道具に青年の視線が止まった。指先で銀時計を軽く弾き、水晶を手に取る仕草は、品を品定めするというより、物の品質を確かめるような真剣さがあった。

 

「……どれも珍しい魔道具だ」

 

「それはどういたしまして。もしかして、鑑定でしょうか……魔道具をお持ちではありませんか? それも、貴重な」


 青年の動きが一瞬止まり、そのままアンナをまっすぐ見据える。 


「なるほど、話が早く済みそうだ」

 

 青年は笑みを浮かべ答えた。ゆっくりと腰の革鞄を外す。アンナの中で青年の正体が何かが揺れる。カウンターに据えられた羅針盤の針が、彼の気配を受けかすかに揺れ、黄金の光が再び淡く瞬いた。店の中には二人きり。


 アンナは表情を崩さぬまま、胸の内で慎重に相手を探った。それにしてもやたらと落ち着きすぎている……魔道具の知識も存分にありそうだ、一体何者なのか。


 彼は懐から銀貨を取り出し、ためらいなくカウンターへ置いた。

 

「鑑定をお願いしたい。本物であれば、鑑定書も」


 アンナは胸の内で小さく息を呑んだ。ようやくきちんとした客が来た。祖母がいた時なら、何度も一緒に仕事をこなしたことがあるのに、今はたった一人きり。そう、たった一人で責任をもって仕事をこなさなければならないのだ。不安を隠し、ゆっくりと頷いた。


「まずは、ご相談の品を、拝見してもよろしいでしょうか」


 青年は鞄を開いた。

 中から取り出したのは、一冊の古書だった。


 革表紙は黒ずみ、深かったであろう縁はほころび裂け、長い歳月を経たことを示している。だが、装丁にはただならぬ威圧感が宿っていた。特に表紙中央には、血のように赤い宝石が埋め込まれ、灯りの下で鈍く輝いている。


 アンナは慎重に受け取り表紙を撫でた。

 すると、書物の赤い宝石が鈍く光る。


「……これはどこから?」


「先日、屋敷の蔵書を整理していた際に見つけたものだ。他の本と違い、錠前がかけられていた……しかし、。開こうにも刃も魔法も通じず、誰に見せても首を傾げられて困っていた」


 視線を落としたまま、アンナは観察を続けた。

  

 魔力を感知する。

 鍵穴のない、錠前。 

 確かに魔道具に間違いだろう。

 青年の声には疲労と、隠しきれぬ期待が混じっていた。

 

「なるほど……」


 アンナは慎重に本を両手で受け取り、その重みを確かめた。通常の本では考えられぬ重さ。同時に、羅針盤の針が微かに音を立てて震える。針先が現時刻よりわずかに逸れ、青白い光を帯びた。異質な魔力に反応しているのだ。


「……これは……とても厄介な品物ですね。この時代に……まだあるなんて」

「やはり、ただの本ではないのか」

 

 青年の声が期待に満ちる。

 すぐさま調べたい。だが、アンナはまだ彼の名を知らない。

 

「依頼魔法の発動にはお名前が必要でして。失礼ですが、お名前を伺っても?」

「……ニックだ」


 その瞬間、アンナの指輪が赤く光った。青年の言葉が嘘である証拠だ。悟られぬよう、わざと咳払いして手元を隠した。

 

「……信用できない方には、こちらも手を貸せません。偽名でなく本名を教えてもらえませんか」


 アンナは静かな声音でやんわりと諭した。


「ルーカス」


 青年は観念したようにいった。

 帰らないことに心からほっとしつつ、指輪を見ると真実の証拠として青色に戻った。


「……では、この本を本物か否か、そして正体が何かを――確かめてみましょう」

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