第九章 喪失と帰還

砂利を踏みしめる規則的な音が、闇の奥からじわじわと近づいてきた。

続けて、金属が触れ合う硬い響きが夜気を震わせる。

銃、装備、軍靴……兵士の気配が確かに迫っていた。

和雄がびくりと肩を震わせ、小さな声を漏らす。

千鶴はすぐに弟を抱き締め、身体で覆い隠した。

恐怖に揺れる瞳を、必死に笑みで隠しながら。

次の瞬間、閃光が闇を裂いた。

鋭い破裂音が響き、千鶴の身体がぐらりと揺れる。

弟を庇ったまま、そのまま波打ち際に崩れ落ちた。

「お姉ちゃん!」

和雄の叫びが夜空を突き刺した。

小さな体で千鶴にすがりつき、必死に揺さぶる。

「死なないで……死なないでよ! 僕を置いていかないで……!」

千鶴は血のにじむ唇を震わせ、それでも弟を安心させようと微笑んだ。

「大丈夫……和雄。お姉ちゃんはここにいる。泣かないで……」

その声は弱々しかったが、最後まで弟を守ろうとする気持ちは消えていなかった。

そして、震える息のまま歌い出した。

星よ、どうか笑って 君の夢を守って

波は静かに揺れて 眠る子を抱いて

和雄は嗚咽を漏らしながらも、必死に声を重ねた。

涙で詰まり、たどたどしく、それでも確かに続けた。

明日こそは笑って 皆の手をつないで

争いの火を消して 歌が空に届くように

幼い声と姉の震える声が重なり、夜の海に祈りのように響いた。

亮太は息を呑む。

これは子守唄ではなく、命を未来へ託す誓いそのものだった。

やがて千鶴の声はかすれ、歌の途中で途切れていった。

和雄は泣き叫びながらも必死に歌い続ける。

その小さな声は波に消されそうになりながらも、確かに夜空に届いていた。

亮太はその光景を焼き付けるしかなかった。

目の前で失われていく温もりに、胸は裂かれるように痛み、喉は熱く塞がれて嗚咽しか出てこない。

その瞬間。

地を割るような轟音が海を揺らし、眩い閃光が夜空を貫いた。

まるで星々そのものが砕け散ったかのように、光が一面を呑み込む。

波も、星も、和雄の泣き声も、一瞬にして白に塗り潰された。

(千鶴……和雄……!)

心臓を鷲掴みにされるような衝撃の中で、亮太の意識は宙に投げ出された。

足場も匂いも、すべてが消え、ただ胸に残ったのは姉弟と過ごした短い時間の重みだけだった。

次に瞼を開けたとき、そこには再び「平和の礎」があった。

黒い石碑に刻まれた無数の名前が、整然と並んで冷たく光っている。

耳を打ったのは銃声でも嗚咽でもない。

耳を痛めるほどの静けさだった。

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