第13話 ただ岩に1000回殴り付けてただけです

「そうだ。お前がオットー家から追い出されてから、もう5年経っている。暦を数える事さえ出来なくなったのか?」


 ……えっ。マジで? そんなに経ってたの? まだ精々2年くらいだと思ってたんだけど。


 ってことは俺、もう15歳ってこと? 水面越しだと自分の成長って気付けないものだ。


「まったく……とんでもない話だ。右も左も分からぬ街で野垂れ死んでいるならともかく、まさかこの山に5年も籠っていたとは。しかも言うにことを欠いて修行だと!? いかに努力したとて魔術師には成れぬとまだ分からんのか!」


 この怒号も五年ぶりって事か。俺には昨日のことのように思い起こされるのだが。

 

 まだ自分が魔術師に成れると信じていたころ、兄上からの折檻が怖かった。しかしその目は確実に俺を見てくれていた。


 今もそうだ。兄上はいつだってこんな愚弟のために真剣なのだ。それが分かるからこそ、俺も真正面から自分の考えを説く。


「分かっております。しかしこの身一つでは誰の役にも立てぬまま朽ち果てるかと思いまして。だからこそせめて一人前の実力者となってから街へ降りたかったのです。だから『魔術騎士道』を参考に修行をしておりました」


「騎士とて同じだ! 魔力が無きゃ魔術師にも騎士にも成れん!」


 大きなため息をつく兄上。


「まったく……5年経っても変わらんな貴様は。しかしその……なんだ」


 次第に俺から目線が逸れ、明後日の方角へ向く。僅かに唇が動いたのが見えた。


(まあ良かった。生きていて)


「自分が生きていたのは兄上の御心のお陰です。あの時はどうもありがとうございます」


「聞こえていたのか、忘れろ!」


 久々に笑った気がする。5年経っても兄上も変わらない。何だか家に帰った気分になったが、そこで襟を正す。


 5年経ったという事は、兄上も一層オットー家の魔術師として激務の日々なはずだ。散歩がてら懐かしの山に登るような人でもない。兄上がここに来たのは理由がある筈だ。


 例えばオットー家の汚点である愚弟を討伐しに来た、とか。


「それで兄上、この山には何用で? 逃げることすら出来なかったこの愚弟を始末しに?」


「生憎貴様がここにいると知ったのは今しがただ……理由は2つ。1つは、この麓に居るとある店主から『子供が数年前に来ていたが、最近姿を見せない。魔物に襲われたのではないか』という嘆願が煩くてな」


「……あの店主さんが!?」


 やはり貴様のことか、と再び呆れた様子の兄上。


 あの店主さんは優しい人だった。金貨が尽きてから行っても、もしかしたら何か恵んでくれたかもしれない。しかしその優しさに与ったら、きっと俺は依存してしまう。だからあの店に通ってポーションや食料を買うのはやめたんだ。


 しかしそこまで心配をかけていたとは。あとで謝ってこよう。


「そして2つ目が、最近この山から時折爆音が聞こえるという報告が上がってな」


「爆音……!?」


「この山を所有するオットー家の魔術師として、観察しに来たという訳だ。貴様、心当たりはないか?」


 首を横に振った。そんな爆音なんて聞いたことが無い。


 確かに危険な魔物が無数にいる山だが、炎を吐くような怪物は居なかった筈だ。故に魔力もない俺が生き延びられた帰結でもあるんだけどな。


「仮に話が本当だとすれば、【災害級】の魔物の可能性もある」


「【災害級】!?」


 魔物の中で最も危険な存在に掛けられるクラスだ。Sランクレベルの冒険者が集まるか、トップレベルの魔術師や騎士の集まりでなければ倒せない。


 勿論俺なんかワンパンで消滅だろう。恐らく兄上でも準備無しでは厳しい。


 でもそんな怪物が居たら俺が真っ先に気付くのに……。


「だが貴様に心当たりが無いのなら、領民の杞憂だったのかもしれんな」


「一応自分の方でも警戒しておきます」


「警戒しておきますって……貴様まだ修行とやらを続ける気か」


「はい。【技】の修業がまだですので」


 そう返した途端、ありえないと言わんばかりに兄上が頭を垂れる。


「まさかデュランダルの【奥義】を身に着けるまで修行するとか言うんじゃないだろうな。最低【縮地】ぐらいなら会得できるとでも?」


 兄上は魔術騎士道を拾い上げ、『そういえばこんな章もあったな』と呟きながら【技】のページを開く。兄上も何度か読んだことがあるらしい。


「確かに奴の妙技は驚嘆に値するが、あれも魔力あっての代物だ。貴様では万年修行しても片鱗さえ掴めぬだろうよ……もう無駄な事はするな」


「御心配ありがとうございます。兄上」


 感謝を述べると兄上は顔を逸らす。そういうところも変わらない。


「いや、心配している訳ではなく……! そもそも修行って何をどうしているんだ。まさか馬鹿みたいに魔鋼岩ヒヒイロカネを殴っていた訳ではなかろうな」


「流石兄上! 語らずとも俺の修業が分かるとは。そうです、毎日1000回両手と両足をぶつけておりました!」


「馬鹿か!? そんなので強くなるわけが無かろう!! 寧ろ貴様が五体満足なのが奇跡なくらいだ!!」


 5年経っても未だ一つ傷つけられない魔鋼岩ヒヒイロカネを平手で叩きながら怒号を飛ばす兄上。そりゃ怒鳴って当然だ。魔鋼岩ヒヒイロカネは魔術でなくては傷一つ付けられない。それは最早世界の常識だからだ。


 けれどまったく無駄だったことは無い。最近じゃ殴りつけても跳ね返ってくるダメージは少なくなった。また隙だらけの魔物なら素手でも倒せるようになった。魔術師の兄上と比べれば足元にも及ばないけれど、それでも何もできなかった5年前よりはちょっとだけ強くなった。それを伝えたくて前に出た時だった。


 ……兄上の様子が欲しい。


 横から魔鋼岩ヒヒイロカネを見る兄上が、言葉を忘れていた。 


「ベスティ」


 驚愕の瞳が、俺の方へ向けられる。


魔鋼岩ヒヒイロカネ……?」


「だから毎日1000回正拳と蹴りをぶつけていただけです」


 兄上? 一体どうされたのだろうか。



 ◇◆


【ジーニアスSIDE】


 魔鋼岩ヒヒイロカネは世界で一番硬い岩だ。魔術でしか傷つける事叶わず、神が作った城壁とも呼ばれている。そんな常識はジーニアスやベスティだけのものではなく、世間一般で当たり前の代物である。


 だからこそジーニアスには魔鋼岩ヒヒイロカネに起こっていた【異常事態】が受け入れられない。


 けれど魔力を有さぬ弟は素の手足をぶつける事しかしていないという。ならばこんな異常事態、起こる訳が無い。


 ……起こるわけが無い、筈だ――。


「ベスティ。ならばこの魔鋼岩ヒヒイロカネを殴りつけて見よ」


「はい」


 だから確かめたかった。たかだが人間程度が魔力無しで殴りつけた所で、魔鋼岩ヒヒイロカネはビクともしない事を。


 ベスティは神妙な面持ちで魔鋼岩ヒヒイロカネと向き合う。そして明らかに慣れた動きで腕を引く。


 そして魔鋼岩ヒヒイロカネ目掛けて、一発。


「!?」


 途端、衝撃波がジーニアスの髪を逆立てた。


 そして――が轟いた。


「…………い、いま、何をした」


「兄上? 見ての通り、殴っただけですが。この通り、魔鋼岩ヒヒイロカネには傷一つ付きません」


 殴っただけ。そう、殴っただけだ。何の魔力も変哲もない右ストレートだ。


 ただ、風圧を拡散させるほどの速度と、麓まで響くほどの爆音が着いて回っているだけだ。


 ただ、人間がまともに受ければ爆散するほどの威力があるだけだ。


 ただ、右ストレートそのものが魔術の領域に達していただけだ。


 そして世界で最も硬い魔鋼岩ヒヒイロカネに【異常事態】を齎すだけだ。


「傷一つ付いてないだと? 何を言っている……」


「そうですよね。魔鋼岩ヒヒイロカネが魔術以外では傷つかないことなど当たり前ですよね。しかし兄上、俺の右手を見てください。反射によるダメージにも耐えられるくらい硬くなったんですよ」


「違うそうじゃない」


「兄上……!?」


 確かに表面には傷一つ付いていない。どうやら弟は気付いていないらしい。が、問題は裏面だ。草木などで隠れているため、気付かないのも無理はないが……。


 


「もう一度聞かせろ……お前、この魔鋼岩ヒヒイロカネで何をしていた……?」


「……? だから、拳や蹴りを1000回ほど打ち付けていただけです」


 ジーニアスは確信する。報告にあった爆音の出所はベスティだと。


 そして兄として認めざるを得なかった。魔力ゼロの為に追い出された弟が、化物に仕上がってしまったということを。

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