第3話 真実の発見
夜の街を駆ける理久の心臓は、警鐘のようにけたたましく鳴り響いていた。
彼の背後には、まるで闇に溶け込むかのように、黒いスーツの男が迫っていた。
男の歩みは静かで、しかし確実だった。
理久が路地を曲がろうとすると、既に男はそこに立っていた。
「無駄だ。君には逃げ場はない」
その声は感情がなく、ただ事実を告げるだけの、機械的な響きだった。
理久は恐怖に足がすくみ、息が詰まる。その時、彼の脳裏に、アカリの言葉が蘇った。
「本当に幸せな人生は、誰かに与えられるものじゃない」
その言葉が、理久の背中を押した。彼は、ペンを握りしめたまま、無我夢中で走り続けた。
理久が逃げ込んだのは、工事中の古い建物の廃墟だった。
鉄骨がむき出しになり、コンクリートの床には瓦礫が散乱している。男は理久を追い詰め、ついに彼を追い込んだ。出口のない壁を背に、理久は身を硬くする。
男は静かに理久に近づき、冷たい声で語りかけた。
「そのペンは、君の手に負えるものではない。渡せば、君は元の平凡な生活に戻れる。テストのヤマを当て、友人を成功させ、好きな人と仲良くなれる。そんなささやかな幸運を、もう一度手に入れられる。その裏にある、歪んだ真実を知ることもない」
男の言葉は、まるで甘い誘惑のようだった。
平凡な日常に戻れる。友人の成功の裏に隠された醜い真実を知ることもなく、アカリとの関係に悩むこともない。
ペンを捨ててしまえば、すべてが元通りになる。
しかし、その甘い誘惑は、同時に彼の心に重い石を乗せた。
それは、自分の人生を誰かに決められることへの、抗いようのない反発だった。
「これは、僕が手に入れたものだ!僕がどうするか決める!」
理久は叫んだ。その声は、恐怖に震えながらも、彼自身の意思を込めたものだった。その瞬間、彼の手に握られたペンが、青白い光を放った。
ペンが放つ光は、廃墟の闇を切り裂き、理久の背後にある壁に、奇妙な文字の影を映し出した。それは、ペンに刻まれた幾何学的な模様と同じ形だった。
「これは…なんだ…?」
理久は息をのんだ。その文字が、アカリが言っていたサンスクリット語ではないかと直感した。
彼はペンを壁に近づけた。
すると、ペンから放たれた光が壁の文字に重なり、まるでジグソーパズルのピースがはまるように、光が壁に吸い込まれていく。その光景は、まるで壁が生きているかのようだった。
「やめろ!何をしているんだ!」
男が叫び、理久に飛びかかってくる。
しかし、時すでに遅し。光が完全に壁に吸い込まれた瞬間、壁全体がまばゆい光を放ち、二人の視界を奪った。
光が収まった後、理久と男の前に現れたのは、廃墟の中に隠されていた、古代の神殿だった。それは、石造りの広間であり、壁には無数の文字や絵が彫られていた。中央には、巨大な円形の石版があり、その上には一つの台座が置かれていた。
「ここは…」
男の声が震えていた。
「ここは…まさか、『記録の神殿』!なぜここに…なぜ、このペンが道を示した…!」
男の動揺に、理久はペンの力が想像をはるかに超えたものであることを再認識した。ペンが道を示したのだ。ここが、ペンを無力化するための儀式を行う場所だと。
しかし、その時、理久の心の中に、再びペンの声が響いた。
それは甘く、囁くような声だった。
「お前が本当に望む未来が、この神殿には記録されている。お前が恐れるすべてを消し去ることができる。アカリを失う恐怖も、友人の成功の裏にある罪悪感も、すべてをだ。さあ、望む未来を書き換えろ。このペンで、お前だけの理想の世界を創り出せ」
理久は誘惑に抗った。
「違う!僕が欲しいのは、そんな偽物の幸せじゃない!自分の手で掴むものだ!」
彼の心の叫びが、ペンに伝わった。
ペンは激しく光り、彼の頭の中に、無数の幻覚を送り込んできた。
それは、アカリを失い、一人孤独に生きる未来。平凡で退屈な人生。プラモデルだけが彼の唯一の楽しみであり、誰も彼の言葉に耳を傾ける者はいない。そんな、彼が最も恐れている未来だった。
理久は幻覚にのまれ、膝から崩れ落ちる。
彼は絶望に打ちひしがれ、涙を流した。
しかし、その時、彼の脳裏に、アカリが微笑む姿が浮かんだ。彼女の穏やかな表情、そしてサークルで語っていた言葉。
「どんなに善意から起こした行動でも、そこに無意識の欲望や傲慢さが混じっていれば、思わぬ歪みを生むことがあるんだって」
理久はハッとした。ペンがもたらす不幸は、ペンそのものの悪意によるものではない。
それは、ペンを「自分の都合の良い道具」として使おうとした、彼の傲慢さが生み出したものだったのだ。ペンは、ただ彼の欲望を増幅させたに過ぎない。本当に危険なのは、ペンではなく、それを安易に手に入れようとした、彼自身の心だった。
「そうか…そうだったのか…」
理久は、すべての真実に気づいた。
そして、彼は、ペンを破壊するのではなく、その本質を「書き換える」という決断を下した。
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