【短編集】幻想小説~日常にひそむ不思議な世界~
ざつ@ファンタジーxSFxラブコメ
真実の筆
第1話 幸運のお守り
佐久間理久、二十歳。
機械工学科に所属するごく普通の大学生だ。
彼の人生はこれまで、まるで精密に設計された機械のように、大きな波風もなく進んできた。
真面目に授業に出て、単位を取り、趣味のプラモデルを黙々と組み立てる。パーツがカチリとはまり、やがて一つの完成品となる。その予測可能で安定したプロセスこそが、彼の日常のすべてだった。
しかし、そんな彼の人生の歯車に、ある日、小さな、しかし決定的な「ズレ」が生じた。
きっかけは、夏休みが終わり、退屈な日常が再び始まることにうんざりしていた理久が、気分転換になればと、たまたま新入生歓迎の掲示板で見かけた読書サークルの案内だった。
本を読むのは嫌いではなかったが、そこまで熱中するほどでもない。ただの気まぐれだった。
しかし、一度サークルに足を踏み入れた理久は、宮沢明里という存在に出会ってしまった。
「初めまして、佐久間理久です。えっと…本を読むのは好きなんですけど、あんまり専門的な知識はなくて…」
入会したばかりの読書サークルで、彼はいつものように控えめに自己紹介をした。
すると、彼の向かいに座っていた黒髪ショートカットの女性が、柔らかな微笑みを浮かべた。その微笑みは、彼の緊張をじんわりと解きほぐしていくようだった。
「宮沢明里です。私も、専門的なことばかりじゃなくて、いろんな本を読んでみたくて。理久くんは、どんなジャンルが好き?」
彼女の優しい声は、まるで静かに流れる小川のようだった。
彼女こそ、文学部宗教学科に所属するアカリだった。
サークルの読書会で、他のメンバーが物語の起承転結について語り合う中、彼女はインド神話やそこに込められた哲学的な意味について静かに、しかし熱意を持って語った。彼女の言葉は理久にとって、まるで未知のプログラム言語を解読するような感覚だった。
論理と理屈で構築された彼の無機質な世界にはない、言葉の奥に潜む深い意味。それは、彼がこれまで触れてこなかった「物語の真理」のようだった。
「すごいな…アカリさんって、何でも知ってるんですね」
サークル後の帰り道、理久が感嘆の声を漏らすと、アカリは少し照れたように笑った。
「そんなことないよ。でも、理久くんの、機械工学の話、すごく面白かった。プラモデルの話も、もっと聞きたいな」
彼女の言葉に、理久の心臓が跳ねた。
彼の退屈な日常に、一筋の光が差し込んだような気がした。
しかし、同時に、彼は自分の知識の浅さを痛感していた。
アカリの世界に近づきたい。
そう思う一方で、どうすればいいのか分からず、ただ時間だけが過ぎていった。
彼の頭の中では、アカリに話しかけるためのシミュレーションが何度も繰り返されたが、どれも最適な答えにはたどり着かなかった。
そんなある日、彼は通学路の片隅にひっそりと佇む、小さな骨董品店の前でアルバイト募集の貼り紙を見つけた。
風雨に晒された古い木製の扉と、薄暗い店内。
店の窓越しには、埃をかぶったガラクタの山が見えた。
「もしかしたら、ここに何か、アカリさんと話せるきっかけがあるかもしれない」
理久はそう考え、その日のうちに面接に訪れた。
店主は白髪交じりの温和な老爺だった。店の奥には、時代を超えた品々が静かに眠っていた。錆びた懐中時計、色の褪せた人形、無名の画家が描いた肖像画。
それらは、ただの古い道具ではなく、それぞれに持ち主の人生が刻み込まれているように見えた。
「この店にあるものは、ただの古い道具じゃない。誰かの人生が詰まった『物語』なんだ。君も、ここに眠る物語を探してみないかね?」
理久は漠然と感銘を受け、その日から骨董品店でのバイトを始めた。彼に任されたのは、店の奥に積まれた古い木箱の整理だった。
カビの匂いが充満する薄暗い部屋で、理久は黙々と作業を進めていく。
ガラクタの中から出てくる錆びた鍵や、色の褪せた硬貨、古びた写真。
それらは確かに、誰かの生きた証のように思えた。
彼の機械的な日常とは異なる、人々の感情や歴史が込められた品々に触れることは、彼にとって新鮮な体験だった。
そして、バイトを始めて二週間が経った日。
彼は木箱のさらに奥底で、他の品物とは明らかに異なる、一本のペンを見つけた。それは、深い青色の木材で作られており、柄の部分には見たことのない幾何学的な模様が彫り込まれていた。埃を払っても、その不思議な輝きは失われなかった。
「これは…何だろう?」
理久はペンを手に取った。
ひんやりとした感触が、彼の指先に馴染む。直感的に、このペンならアカリも興味を持ってくれるだろう、そう思った。
彼は店主に頼み込み、ペンを格安で譲り受け、自分の部屋に持ち帰った。
部屋に戻った理久は、さっそくペンをスケッチブックに走らせた。
「この模様、何かの文字なのかな?」
彼はペン先のインクが切れていることに気づき、手近にあった黒いインク壺にペン先を浸した。
そして、何も書かれていない真っ白なノートに、まず一番簡単な言葉を書いてみた。
「明日、テストでいい点が取れますように」
翌朝、理久は半信半疑でテストに臨んだ。
彼は前日にそれほど勉強しておらず、正直、単位を落とすことも覚悟していた。
しかし、試験用紙に書かれた問題を見た瞬間、彼は目を丸くした。
出題範囲のヤマが見事に当たっていたのだ。
しかも、普段なら間違えてしまうような細かな計算も、不思議なほどスラスラと解けていく。まるで、答えそのものが彼の頭の中に直接流し込まれるかのようだった。
結果、彼はクラスでもトップクラスの点数を叩き出した。
「偶然…だよな?」
しかし、幸運はそれだけでは終わらなかった。
読書サークルの帰り道、彼はアカリと二人きりになった。
普段なら気まずい沈黙が流れるところだが、この日は違った。
「理久くんって、プラモデルが趣味なんだっけ?」
アカリが不意に話しかけてきた。理久は驚いて、しかし嬉しそうに頷いた。
「うん。機械いじりが好きで。アカリさんは、何か趣味あるの?」
「うーん、趣味というより、強いて言えば古いものを見るのが好きかな。博物館とか、骨董品とか…」
その言葉に、理久の心臓が跳ねた。
彼の人生で初めて、自分の意思で行動した結果が、幸運という形で現れたのだ。
「あの、実は今、骨董品店でバイトしてるんだ。この間、すごく面白いものを見つけて…」
理久は喜びを抑えきれずに、ポケットからペンを取り出し、アカリに見せた。
アカリは目を輝かせ、ペンを手に取った。
その瞳には、知的な好奇心が満ちていた。
「すごい。この模様、もしかしたらサンスクリット語かもしれない。見たこともないくらい古いペンね。ねえ、このペンには何か秘密があるの?」
理久は得意げに、ペンに起こった不思議な出来事を話した。テストで良い点を取れたこと、そして彼女との会話が自然に進んだこと。アカリは微笑んで言った。
「もしかして、それは『幸運のお守り』なのかもね」
その言葉に、理久は確信を得た。
このペンは、自分の人生を変えてくれる力を持っている。
自分の人生は、これまで他人に流されるままだったが、このペンがあれば、もっと主体的に、もっと素晴らしいものにできるかもしれない。
そう信じて疑わなかった。
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