第2話 祀り者

 気づけば、俺は地面に倒れていた。


 あの“二本足のイノシシ”を見た瞬間、意識が飛んだらしい。目を開けた時には、朝日が山の端を照らしはじめていた。


 夢だ——と自分に言い聞かせたが、手には泥がついていた。懐中電灯は折れていた。そして何より、畑の柵が壊れ、足跡が残っていた。


 大きな、蹄(ひづめ)の跡。


 それはまるで、人の足のような形をしていた。だが先が割れていた。まるで、人間とイノシシが混ざったかのような奇怪な痕跡。


 俺はそれを見つめながら、背筋に氷のような冷たさを感じていた。


 その日の昼、祖父に「昨夜、畑で何か見なかったか」と聞くと、彼は箸を止めて、しばらく無言になった。やがて低く、震えるような声で言った。


「……おまえ、見たんか。アレを」


「アレって……なんだよ」


「“オクノモノ”や。山の奥の“神さん”や。見た者は、連れていかれるんや。もう逃げられん」


 その言葉に、ぞくりとした。祖父の顔は真っ青で、まるで何十年も前の記憶がよみがえったようだった。


「昔な……村で“祀り”をしとった。山の神に、生け贄を捧げるための祀りや。イノシシに似た神様やった。牙があって、赤い目で、夜になると村のまわりをうろついた……。やがてその祀りは禁止された。だがな……神は怒っとる。腹をすかせとる」


 祖父はそう言って立ち上がり、仏壇の奥から古びた木箱を取り出してきた。


 箱の中には、一枚の白黒写真があった。昭和初期のような雰囲気の中、村の広場で行われる祭りのようなものが写っていた。


 中央に、白装束を着せられた少年と、その後ろに、獣の頭をかぶった何人もの男たち。いや——あれは“被って”いるのではなく、“そういう姿”なのではないかと思えるほど、不気味だった。


「おまえ、もう見られとる。呼ばれとる。……今夜、また来るで。今度は夢やない」


 祖父のその言葉が、やけに現実味を帯びて響いた。

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