第13話 ドはドンビのド④

 沼崎は大きなリュックを担いで〈にしはた荘〉へ帰ってきた。


 リュックの中味は洗濯物の山だった。


 住宅街の外れにあるコインランドリーに行ってきたのだ。


 そこはアパートから片道八分かかり、現在の沼崎の行動範囲の中では最も遠い場所にあった。


 アパートの二階ヘ上がる鉄の階段の手前で、さっと振り向く沼崎。


 外出すると随時ずいじこうして尾行されていないか確認していた。


 階段を上がって、〈203〉のドアの前に立った。


 ドアの下のほうに細く切った紙テープが張ってある。

 封印は千切れずにそのまま残っていた。


 闇の組織に動きはないようだ。(注1)

 沼崎は封印をがした。


 鍵を差し込みドアを開けようとして、ふと空を見上げた。

 今この瞬間、軍事衛星から監視されているかもしれない。


 厳しい表情で空をにらんでいると、下の通りを西機にしはた家の娘が歩いてくる。


 沼崎は急いで部屋の中へ入った。

 沼崎は半開きのドアに隠れて観察した。


 大家の娘を見るのは何年ぶりだろうか。


 しかし、今彼の目を釘付けにしているのは娘ではない。

 隣を歩いている外国人の少年のほうだった。


 沼崎はドアの隙間からじっとその少年を目で追った。


 大きめの帽子からはみ出した金髪がまぶしかった。

 恐ろしく整った容姿だが、眼差しはどこか硬質で冷たかった。


 『小さな恋のメロディ』と『オーメン2/ダミアン』2本同時上映のような少年だった。(注2)


 アパートの真下を通り抜け、駅のほうへ歩いていく二人。


 沼崎がドアの陰から首を伸ばしてその後ろ姿を見守っていると、突然少年が振り向いた。

 沼崎は慌てて首を引っ込めた。


 少年は誰かに向かって手を振っている。

(えっ……おれ?)

 ドキッとして、思わず手を上げかける沼崎。


 そんなわけはなかった。

 西機夫人が通りに出て見送っていた。


 どうも少年は娘と一緒に西機家に遊びに来ていたようだ。


 急いで洗濯物が入ったリュックを下ろし、代わりにナップサックを背負って沼崎は外へ出た。


 そのナップサックにはサバイバル7つ道具が入っている。


 

 戦闘開始、だ。











(注1)

フリーメーソン、イルミナティ、スカル&ボーンズ、アシュケナージ・ユダヤ人など、地球の陰の支配層と疑われている組織は幾つもあるが、沼崎が闘っている相手は西アフリカが発祥の地である秘密結社「カムサミ・ワッカ」。

角川書店発行「野性時代」1985年3月号に掲載された経済人類学者・栗本慎一郎の小説『反少女』に登場する架空の組織だが、小説発表後の栗本の行動は注目に値する。

大物政治家・小沢一郎への接近、小沢の新生党推薦で政界進出、小沢と袂を分かち自民党へ、総裁候補・小泉純一郎の側近となるが、田中真紀子*と共に通信傍受法に反対、自民党除名、突然脳梗塞を患い政界を引退……栗本は自ら囮となって組織の存在を確かめていたのではないか?

おそらく日本政界における組織のエージェントと接触したが、危険を察知した組織に排除されてしまったのだ。

故に栗本の小説『反少女』はフィクションではなく〝事実〟に違いない。

沼崎がその仮説を自分のサイトに載せたところ、接続が切れるなどパソコンのトラブルが続出。アパートの前に置いてあった自転車も盗まれてしまった。

沼崎はこれを組織からの警告と受け取った。


*田中真紀子(たなかまきこ)1944~

小説『反少女』の中で田中真紀子の父について「田中角栄という人物は組織員ではなかったが途中まで上手く利害関係を調整して自分の力も伸ばした。(中略)しかし、最後は完全コントロールを狙う組織の仕掛けによって追い落とされた」とある。

田中真紀子は後に自民党総裁選で組織が推す小泉純一郎を支持。小泉政権で外務大臣の座を手にするが、最後は父角栄と同じように組織によって追い落とされてしまった、とは沼崎の見解である。


(注2)

『小さな恋のメロディ』(原題「Melody」イギリス映画 1971年公開)

当時欧米ではヒットしなかったが、日本では大ヒットした。ビー・ジーズが歌ったテーマ曲「メロディ・フェア」も空前の大ヒット。

『オーメン2/ダミアン』(原題「Damien: Omen II」アメリカ映画 1978年公開)

頭部に悪魔の数字666の痣を持つダミアン少年の苦悩と無双を描くホラー作品。


沼崎の乏しいサブカル知識では世良彌堂を上記を用いて表現するしかなかった。

沼崎がもし、ルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』(1971)のビョルン・アンドレセンを知っていたら、「あれだ!」と言ったに違いない。

また、山岸凉子(やまぎしりょうこ)の少女マンガ『狐女(こじょ)』(1981)を読めば、主人公の理(まさる)を見て「これだ!」と言っただろう。

世良彌堂は今風のマイルドなタイプではなく、シャープで陰のある一時代前の美少年だった。

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