出会いは弾けるような勢いで

時間は昼を少し過ぎたころ。学生服のまま大通りを歩いてしまっては目立つため、その陰である路地裏を目的もなく歩き進める。

最近は少しずつ日が長くなり、夏の始まりを感じる時期ではあるものの、まだ熱さの届かないこの場所は長袖の制服姿でも少しの肌寒さを感じる。


「……私は一体何がしたいんだろ」


何も考えず、目の前の絶望から逃げるためだけに飛び出してしまった。前進ではなく後退のための行動は、何よりも自分が愚かに映ってしまう。

喉が軽く締め付けられるような息苦しさが、思考を再び黒く濁らせていく。


ダメ、一度落ち着かなきゃ。

顔を上げ、パンッと軽く自分の頬を叩き、沈みかけた心を引き上げる。見上げた視線の先で、道路の脇の自動販売機が目に留まった。

自分の体なんて気にも留めていなかったので、先程喉にこみ上がった胃酸が残した焼けるような感覚が、未だにへばりついたままな事に今更ながらに気が付く。

意識したとたん、違和感はすぐに大きな不快感に変わる。今にも洗い流したい気分だ。


とっとっ、と少し駆け足で錆と土汚れの目立つ自販機へと歩みを進める。

少し暗めのライトで照らされたラインナップは『誰が自販機でこれを買うのだろうか?』と聞きたくなるような物から、店では見たこともないような謎のジュースといった、ザ・あまり売れてない自販機に置かれている物たちといった感じである。

まぁ、どこの自販機でも絶対にある水しか買わないのだから関係ないのだけれど。


値段を確認し、ポケットから財布を取り出す。

――取り出す……取り……出……す?


服に備え付けられたポケットというポケットに手を突っ込むものの、指先から財布の感触は伝わってこない。

何度か同じ場所を確認した辺りで額に冷や汗が流れ始め、脳みそが冷静さを取り戻し、出てくる直前の行動が映像として流れ始める。

着の身着のまま出てきた私が、財布を手に取ったシーンなど無かったではないか。


「あまりにも上手くいかなすぎじゃないですかね……」


ため息をつきしゃがむと背中はダンゴムシのように丸まり、先ほどようやく前を向き始めた視線は再び冷たいコンクリートへと戻っていく。

どうして人生は凹んでるときほど、更に追い打ちをかけるような事ばかり起きてしまうのですか。

そんな自問自答兼、目の前の不条理に対する文句が頭を駆け巡る――今回限りはどこをどう切り取ろうとも自業自得でしかないのだが。


そんな自分の不甲斐なさに打ちひしがれ、絶望しながらこの場で大泣きしてやろうか――なんて考えていると、少し離れた位置からたったった、と跳ねるような音が近づき始め、数回繰り返したのち周囲の地面が一段暗くなった。


「えーっと……おねーさん、だいじょぶそ?」


視線を上にあげてみると、キャップを少し深めに被り、少しダボッとした白いパーカーに黒いスキニーパンツのザ・スポーティといった格好の少女が、困惑と心配の入り混じったような感情を赤色の瞳から向けられる視線と表情であらわにしながら、うずくまる私をのぞき込み影を落としている。


「あ……ご、ごめんなさい。全然大丈夫です」


すぐに立ち上がり、冷静に返事をしようと思ったものの、自販機の前で絶望で小さく丸まった姿を見られた恥ずかしさで絞り出した声は小さく、ペコペコと何度も頭を上下に振ってしまう。

挙動だけで言えば普通に不審者の類である。ここが小学生の通学路なら、明日の学校だよりには私のことが掲載されていてもおかしくない。


「ならよかった。えーっと、もし違ったら申し訳ないんだけど、もしかしてお財布忘れたとか?」

「あ、えと……はい。で、でも大丈夫です。すぐに取りに帰るので」

「うーん……うずくまって落ち込むくらい喉乾いてるんだもんね? 全然、一本くらいなら買うよ!」


そういった彼女はこちらが遠慮する隙など与えず、みじめに丸くなっていた私とは違ってパーカーのポケットから小さな小銭入れを取り出し、飲み物を二本購入した。


目の前の少女の身長は、大体160センチの私の肩ぐらいまでしかなく、ただの見た目の印象でしかないのだが、年齢は恐らく中学二年生くらいだと思う。

年下の女の子に飲み物をおごらせてしまっている現状は、どう考えても人としてダメな気がしてならない。


「はい、どうぞ!」

「すみません……ありがとうございます」


パッと花が咲いたような笑顔で差し出された飲み物のパッケージには『規格外の強炭酸水!』や『刺激に溺れろ!』と、購入しようとしていた普通の水とはかけ離れたインパクト強めの文面が記載されている。

それを目の前の少女は何事もないかのように、ゴキュゴキュと勢いよく飲み始めた。


そんな姿を見てパッケージで誇張されすぎているだけなのかもと思い私も飲み始めたが、口に液体が流れ込んだ瞬間、爆竹にでも変化したのかというほどの刺激が口内で暴れまわる。

痛いなんてものじゃない。もう刺激が多すぎて、口の中で何が起こってるのかすら理解できない。

ただ、いただいたものを吹き出すわけにもいかないため、必死にこらえながらなんとか喉を通過させる。

――が、既に弱っていた喉には致命傷に追い込むほどのダメージがさらに蓄積されてしまった。


咽そうになるのを我慢しながら少しずつ飲み進めていると、少女はその姿を見てクスッと微笑み、飲み干したペットボトルを自販機横のゴミ箱へと投げ入れた。


「じゃ、私は予定があるからこの辺で!」

「え、あ、せめて連絡先を……お金返しますので」


無駄に広く人も多いこの地域では、別れてしまえば二度と会えないかもしれないと引き留めるが、少女は手を振りながら前進し始める。


「そのくらい、いいって、いいって。んじゃ!

――あーっと、そうだった。ここら辺も安全じゃないから、出来る限り早く帰ってね!」

「え?それ……って……行っちゃった」


少し気になる言葉を残した彼女はそれについて質問をする一瞬すら無いほど足取り軽く、ぐんぐんと加速していき、すぐにその後ろ姿は見えなくなった。

あまりにも早すぎるその速度は、明らかに一般人の能力を超越していた。恐らく、なんて言葉は必要ない。彼女は「異能力者」だろう。


現代において異能力者はそこまで珍しいものではない。かくいう私も異能力者で、街を探せば異能力持ちなど、小一時間で見つかるレベルで日常に溶け込んでいる。


何も変なことなどない。通りすがりに不審な行動をとっていた私に飲み物を奢ってくれた、心優しき女の子。

ただ……それで終わるには彼女が去り際に残した言葉だけがやけに気になって仕方がない。


「裏路地は女性一人だと危ないですよ、的な発言……? にしては含みがあったような……」


ぶつぶつと呟きながら、ひたすらに考察を重ねる。

ただの考えすぎだろう。そこまでおかしな発言ではなかったし、別に普段なら気にするほどの事ではない。と、頭に残った俯瞰した理性が呆れた顔でこちらを覗く。


ただ、少女の言動が小魚の骨のように思考にひっかかり、すとんと落ちてはくれない。

ひたすらに考え、確証のない仮定から、確証のない答えを導き出そうとする。

――そして、頭はいつものように、この状況におけるを想定してしまった。


……もしも、彼女が言った『安全じゃない』の意味が、勇者としての言葉だったとしたら……?


ぐるぐると考え込み、熱を持ち始めた頭が具体的な答えを弾き出した瞬間、背中からさーっと熱が引いていき、路地裏の薄暗い闇が今にも這い寄ってくるような、得も言えぬ恐怖が体を包み始める。


「いやいやいや……無い無い。」


想定した最悪ではないことを祈るように、ただただ彼女が私という一人の女性を心配してくれただけなのだと思考から目を逸らすように、自問自答の言葉を口にする。

流石にないよねと半笑いで、呆れていたはずの理性に問いかけるものの、理性は目を見開き、冷や汗をかきながら背中を見せるだけで返答はない。


こういう時の理性ほど役に立たない機能はなく、そしてこういう時ほど――


「近隣地区にて鵺の出没を確認。住民の方はすぐに勇者の指示に従って、避難を開始してください。繰り返します~」


――周囲の環境はいつも最悪に向かって進み始めるものである。

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