第2話


 手当てが済むと、とにかく数日ここで休むぞと馬超ばちょうが言った。

 うんと頷き掛けて、馬岱ばたいは思い出す。


「あのー……兄貴、俺もそうしたいのは山々なんだけど……多分……そうもゆっくりしてられなくて……」


「何故だ?」

「何故って聞かれると、答えにくいんだけども」

 きょとんとして返した馬超は、すぐに半眼になった。


「おまえ……なにをしでかしてきた?」

「いや、しでかしたわけじゃないんだけど。実は俺が馬岱だって何故かバレちゃって、魏軍がまだ俺をそういうので利用するかどうか決まってたわけじゃないんだけど、決まってからだと逃げにくくなるからって、その前に逃げ出して来ちゃって」


「追っ手が付いてるのか⁉」

「うん、多分……っていうか絶対……」


 馬超は直ぐにでも言わなければならないことを暢気にも言わずに小一時間過ごした従弟おとうとを殴ろうと腕を振り上げたが、重傷者であることを思い出して、自分のもう一本の手で殴ろうとした手を押しとどめた。


「お前という奴は……追っ手の規模はどのくらいだ?」


「どの程度かは分からないけど……でも俺、兄貴とも涼州騎馬隊とも久しく連絡取ってないってちゃんと言ったんだよ。本当のことだし。利用価値はないとそう思ってるはずなんだけど、追っ手の気配はした。日が落ちたら帰るといいよね」


 また暢気にそんなことを言った。馬超は額を抑えるようにして俯く。


「しかしそんな程度ならお前が逃げてくるはずがなかろう。何か危機感を感じることがあったんじゃないのか?」


「ん~~~。まあなんか魏軍に手当はしてもらったけど、いつの間にか部屋の前に、かなりの警備が付いたんだよね。元直げんちょくの友達が、捕虜になった龐徳ほうとく将軍を見るためのものだって言ってたけど。そうだ龐徳将軍が捕虜になってるの知ってた?」


「知らん。単独で魏軍に斬り込んだと聞いたが」


「そうらしいけど、一騎討ちに応じた張遼ちょうりょう将軍が助けたらしいよ」

「何故張遼が龐徳を助ける?」

「ああ、それはね……」


 馬超ばちょうは顔を顰めた。

「いい! 話は成都せいとについて、お前をきちんと医者に診せてからだ」

 馬超は立ち上がった。

 狩猟小屋の扉を開ける。

 しばらく辺りの気配を探ったようだ。

 近くに軍の小隊などはいないように思えた。

翡翠ひすい】も小屋の側でジッとしている。


 しかし包囲されたら突破は難しい。

 特に一人は重傷者だ。自分だけ大暴れすればいいというわけではない。

 馬岱ばたいは起き上がった。


「兄貴。心配しないで。一応の手当もしたし出発しよう。俺は平気だ」


「馬岱……」


「今回の遠征軍には涼州に詳しい賈文和かぶんかという軍師がいる。涼州出身で少年時代は涼州武芸を身につけて育ったらしい。かなりの切れ者だ。あいつは撒くのは面倒そうだから」

「お前がもっと小さければ、翡翠に一緒に乗せてやれるんだがな……」


「どんな文句なのよ」


 馬超ばちょうも鍛え上げられた見事な肉体で、長身なのだが、実のところ立ち上がると若干馬岱の方が単純な身長が高く、馬超はいささか釈然としない顔をした。


「図体だけはデカくなったな……お前は」

「図体だけ、は余計!」


「【定軍山ていぐんざん】を迂回しなければならん。成都への道のりは過酷だぞ」


 馬超は釘を刺したが、馬岱は明るく笑った。

「俺と兄貴なら大丈夫だよ」

「お前……戦は油断するなと俺はいつも…………。……いやいい」


 腹に穴が開いてるのに。

 暢気なものだと馬超は呆れたが、最後には小さく笑った。

 

 昔からこうなのだ。

 馬一族の気風は毅然としていて生真面目なのに、

 馬岱ばたいだけが何故か暢気な楽観主義なのだ。


 だがその生真面目な気風に疲れた時、馬岱の顔を見ると昔から妙に気持ちが晴れた。


「分かった。だが、いいか。無理は絶対するなよ。

 苦しくなったら言え。翡翠の背に括り付けてでも俺がお前を必ず成都に連れて行ってやるからな」


「うん。分かった」


 馬岱がそう、頷いた時だった。


 側で静かにしていた翡翠が、大きく首を動かしたのである。



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