#8 天才への想い
『つまらない人生だ』
そう、何度思ったことだろうか。俺の人生に特別な事は微塵もなく、これから起こる予定も、起こす器量も俺は持ち得なかった。
平凡に生まれ普通に育ち、そしてちょっとだけ不幸に死んでいくのだろう。
それを悔しいとは思わない。惜しいだなんて思わない。夢を見る暇があったら現実を見るべきだ。
それでも、時々怖いと思うんだ。このまま生きてこのまま死んでいく事がひどく恐ろしい事に思える。花が枯れて土に帰るように、何の爪痕も残せずに消えて、誰からも覚えてもらえないことが易々と想像できてしまうから。
だからこそ、憧れたんだ。
鮮烈に生きるこの女に。
——————
———
「おはよー。昨日はテスト勉強捗ったぁ?」
「おはよう。そこそこかな? 今日の英語苦手だし、自信ない」
朝の教室。期末考査二日目。教室はガヤガヤと騒がしく至る所でテストに関する声と悲鳴が聞こえる。俺も含め、皆が一様に緊張する中で目の前の女だけは呑気に欠伸をしていた。
「君は昔から英語ダメだもんねぇ。またボクが教えてあげよっか?」
「……別に、いいよ。テスト勉強くらい自分で何とかするよ。君にも悪いしね」
「そう? ボクはいつでも喜んで手伝うのになぁ」
手伝う、と聞いて鼻で笑いそうになる。
昔、中学の頃にコイツに勉強をして教えて貰っていた時期があった。頭の良いコイツは人にものを教えることが当たり前のように上手かった。他と同じように抜群に過ぎ、俺の成績は上がった。
恐ろしく感じる程、成績が上がった。
全ての教科で当たり前に満点を取った。テストを解く間、別人になったように頭が冴え渡る。別人に、作り変えられるように。返却された全ての回答用紙がコイツと同じ点数で、それを無邪気に喜ぶ笑顔が不気味で忘れられなくなった。
当時の餓鬼な脳みそでも、これはマズいことだと手を出してはいけないのだと理解した。それ以来、コイツに頼ることを極力避けている。
ひとまず都合の悪い話題は避ける事にする。
「……それにしても眠そうだね。君に限ってテスト勉強で徹夜、なんて事は無いだろうし、何かあったのかい?」
隈でも隠しているのだろう厚い化粧。腰まで伸ばした栗毛は乱れ絡まっている。美人と評判の顔がやつれていて、濃い香水の匂いがした。
いつもなにをしているのか分からない、いや、何をやっても俺の理解の範疇を超えた壮絶な結果をもたらすコイツが、ここまで疲労の色を見せているのは本当に珍しかった。
「昨日を目安に基準に届きそうだったんだ。ボクも流石に頑張ってしまおうと思ってね。無事、目標達成だよ」
何をしていたのか結局答えは無かったがとりあえず、おめでとうと返す。
「!!! うん!! ボク、頑張ったんだぁ。ねぇ、褒めてほめて」
頭をこっちに擦り付けてくる。珍しく本当に疲れているのだろう、体重を掛けしだれかかってくる。仕方なく仕草を受け入れる。
小さな体に小ぶりな頭。子犬のように俺に甘える表情。温もりを請う蕩けた蒼の瞳。
『天才少女』 『蒼の神童』 『万能の女傑』 『破壊者』 『麗しの才人』 『産まれながらの知者』 『不変機関』 『学会の非人』 『荒野の天使』 『調停者』 『ブロンドの終末』
どんな物々しい呼称も目の前のコイツには似合わない。
才人は不自由なものだ。才能はしがらみを作る。どれだけの才を持とうと、人の世の欲に飲み込まれていく。
にも関わらず、コイツは異常だった。
才人の中の才人。頭が一つも二つも飛び抜けた異常者。尽きる事なく溢れ出る才能がコイツの暴挙を押し通す。国にも社会にも横紙を破らせる。誰よりも自由な女だった。
「あぁそうだ。今日の放課後、ボクの家に来て」
「……うん。遠慮しておくよ」
二、三年前にコイツは、ここから四十分は掛かる山奥の屋敷に引っ越していた。何処かの小金持ちが管理しきれなくて売りに出したデカい屋敷を、無限に金なんて生み出せるコイツは何故か突然買い付け一人暮らしを始めたのだ。
シンプルに距離が離れている。面倒だ。
「うわーーん!!いけずってやつだぁ〜!! え゛ぇ〜〜ん!! ひ゛どい゛よ゛ぉ゛ぉ〜〜〜!!!」
びーびーと喚く。演技の才も持ち得ているのか、無駄に泣き真似が上手い。嘘だと分かっていても悪いことをした気持ちになる。
「やめてくれよ。でも、仕方がないだろう?僕にだって予定が 「予定なんてないよねぇ?」 ……」
涙はぴたりと止まり、蒼い目が俺を見詰める。
嘘を見破る方法も、嘘を確かめる方法も腐るほどあるだろうコイツに対する対応を間違えた。なんだ?嫌に気分が悪い、というより切羽詰まっている?コイツに限って?
「……分かった。いつ頃に向かえば良いかい?」
「そうだなぁ……。もうちょっとだけボクもやることがあるからぁ、まぁお空が暗くなったら来てよ」
本当はずっといっしょがいいんだけどね!と、肯定後、嘘のように機嫌の良くなったコイツが付け加えられる。
……コイツは、この女は、どうしてか俺のことを好いている。勘違いなんて馬鹿らしいほどに俺への好意を隠さず真っ直ぐにぶつけてくる。
俺というつまらない人間に訪れた、天使の皮を被った、悪魔より悪辣なナニカ。
気味が悪い存在だと思い込む。相容れない敵だと、妥当すべき目標だと強引に意識する。絆されてなんかいけない。
コイツは俺とまともな恋愛でもしたいのか、いつだって隣にくっついてくる。そうやって俺のそばで無邪気に笑い、そして常に格の違いを見せつけた。天才性をありありと目の前に突きつけ、無意識に俺の心を摘み取ろうとした。
俺が凡人だと、小さな体で押し潰す。
あぁそうだ。俺は凡人だ。ありふれた人間だ。つまりのない人間だ。今更それを否定なんてしないり
だから、だからこそだ。
俺は"天才"という言葉を嫌悪する。その言葉だけを否定する。
天から才能が与えられた、なんてバカらしくて俺の勝ち目が無いことを、易々と受け入れてたまろうか。
突出した所のない平坦な人間だろうと、特別になれると俺は信じている。才人だけが掴むキラキラとした世界に俺は踏み込んでみせる。
コイツは壁だ。最も高く、最も険しい、最初で最後の壁だ。
「…………ふふふ。じゃあ今日の夜ね。約束だよ?」
俺の顔を見て、喜色の滲んだ妖艶な笑みを浮かべる女が、網膜にこびりつきそうだった。
—————————
——————
———
「……相も変わらず、デケェ屋敷だな」
一人、再三の感想を口にする。声に出た薄っぺらいそれは屋敷が放つ荘厳な空気に溶け消えていった。
山奥に聳え立つあの女の牙城。空に浮かぶ月とよく映える。
買いたての頃は、手入れの行き届いていない何処かくたびれた印象を与える建物で、デカいことだけが取り柄だった。
億の値札に0を幾つか足したような大豪邸とその前に広がる庭園に足を踏み入れる。かつては花が咲き誇っていたであろうそこには、植物の一本たりとも芽吹くことを許されていなかった。白い石材が広大な敷地を埋め尽くし、外気の中であるのに病的なまでの無機質さを演出する。
花弁や落ち葉の一枚も、枝の一本も、虫の羽音も、鳥の囀りすら聞こえない。
ただ屋敷の入り口に向かって風が吹いている。誘うように。引き込むように。引き摺り込むように。
あの女の色に染まったこの無気味な屋敷に、進んで足を運ぼうとする奴などいない。山奥に隔離された異空間紛いのこの場所に、来たくなかった理由は距離の問題だけでは無いのだ。
扉の前に立ち、華美な装飾のそれに手を掛ける。
鍵穴も外付けの錠前も、庭のあちこちにあった最新鋭すら通り過ぎている警備システムおよび監視システムも俺を阻まない。屋敷の全てが無言で俺を歓迎しあの女の元へと導く。不気味さが行き過ぎ、最早不快ですらあった。
屋敷の中は潔癖を思わせる外装とは打って変わって、雑多に物が混在していた。
ミミズの這ったような文字がびっしり書かれた紙が壁一面に貼り付けられ、部屋の隅には四肢のかけた石材の彫刻が山のように積まれ、久しく手入れのされていないだろう水槽が廊下の一部を占領し、定期的に多くの光が点滅する用途不明の機械が部屋の中央に居座り、兎に角混沌を極める。
統一感のないそれらに共通するのは全てあの女が生み出したという事。
すると、土足で踏み込んでいた足に違和感がある。
「チッ、何かこぼしてやがる」
足を上げると足裏に粘つきを感じた。カーペットに粘性の液体が染み込んでいる。この時点でただの水である可能性は無く、有害な液体でない事を祈りながら、この靴の廃棄を頭の片隅に入れた。
「アイツは……どうせあの部屋か」
階段を登る。
2階には二つの部屋がある。デカい屋敷の二階には二つの部屋しか無い。
あの女は広い場所を好む。だから屋敷の壁を八割ほどブチ抜き、生活スペースをシンプルな構造に変貌させていた。手に入れた一軒家が横にいくつも入る部屋を不詳不詳と受け入れていたあの女。今ひとつのようであった。満足知らずが。ドームの中ででも暮らしていろ。
アイツが普段生活している部屋の前に立つ。
「おーーーい!!! 開けていいか!?」
この部屋にはいつも鍵が掛かっている。この部屋にだけ内側から鍵が掛けられるようになっている。入りたいなら声を掛けてね!!いつでも飛んでくるよ!!と、以前から言われていた。
十秒。
六十秒。
百二十秒。
百八十秒。
二百四十秒。
三百秒。
声が小さかったのだろうか。いや、どんな声量だろうとアイツが聞き漏らす筈がない。
異常事態に、思わずドアノブを握る。
そのまま、するりとドアが開く。
体重が崩れ、体が前のめりになる。
視界の端に、ドアの縁に誰かが、
「わっ!!」
身体は命令せずとも迅動する。
両の手で、敵を押し倒す
逆に、敵の両の腕に足裏を合わせ踏みつける。
尻を上半身に置き体重をかけ拘束を完了させる。
左手は敵の首を絞める。
右手はポケットから素早く取り出したスマホを握りしめる。
両眼は逸らさない。
動き一つあれば右手を振り下ろし撲殺する。
無意識の行動と、その覚悟が完了するその手前に
「ひどいなぁ。ちょっとイタズラしただけじゃないか」
相応の力を首に込め血管及び気道を圧迫している筈が、平然と敵は、この女は喋り出した。
苦悶の表情一つ浮かべない。命に手がかからない。不死身の女。
「…………ふぅ。びっくりさせないで下さい」
拘束を解除する。
多少、いや、かなり乱暴に捕らえたのにも関わらず、コイツの細身細腕には傷一つ痣一つついていなかった。手加減をしたわけではない。並大抵のものじゃあコイツが傷つけられないというだけの話なのだ。少なくとも人力じゃあまるで歯が立たない。
この女は自身を改造している。
不壊。不老。不死。それを始めとして数多の概念が付与されている。
屋敷の中では俺は気を張り過ぎてしまう。こんな化け物と同じ空間にいるのだから仕方のない事なのだが、やはり徒労感はある。
打つてのない相手への抵抗なんて徒労感しか湧いてこない。それになんだかんだとコイツは俺に直接的な危害は加えない。
それは、油断ではなかった。一息、呼吸をするようなわずかな安心感が理由の、休息。
緊張していた身体を再び締め上げるための、一拍。
「プスリっ!」
そこを突かれる。
「お注射のじか〜ん」
僅かな太ももへの痛みに、即座に距離を取ろうと判断した。
後方への逃走。
それは叶わない。
身体が崩れ落ちる。勢いのまま壁に激突する。
体に力が入らない。何だ?意識ははっきりとしている。やられた!ぶつけた体に痛みがない。動かない。動かない。動けない。動けない。まずい。不味い。拙い。まずいまずいまずい———
「ボク特製の筋弛緩剤だよっ! 運動機能の完全奪取。でもっ! 思考はクリアだし、喋ったりすることだけは出来るよ!便利でしょ〜」
薬?いや待て。こんな直接的な行動、今まで。
「君って丈夫だし人体操作はそこそこに出来るけど……、流石に、新しい配合のお薬の耐性なんてないでしょ?」
これまでの無害はこの瞬間のため。あぁ、クソッ。油断した。たった一度だろうと、それは必死のミスだと言うのに。
「今日は付き合って欲しいことがあるんだ〜。こっちこっち!」
片手で俺の足を持ち、ズルズルと引っ張っていく。
広い部屋の奥に奥にと。
唯一動く口を懸命に働かせ抵抗する。取り繕っていた綺麗な外面さえも脱ぎ捨てて、必死に停止を呼びかけた。汚い言葉を、罵声を浴びせる。
この女はそれを軽く受け流し、鼻歌を歌っていた。ひどく、ひどく上機嫌。
警鐘が最大の音量で打ち鳴らされる。
豪邸の中の豪奢な部屋にそぐわない簡素なベットの前に連れてこられた。
鉄パイプとマットレスだけで構成された、古い医療用のベット。
コイツは俺を両手で優しく慈母のように抱え上げ、そこに寝かせた。
「……何が目的だ」
「物腰柔らかな君も素敵だけど、粗野な態度のキミもクルものがあるなぁ!! こっちの本性の方が好みだよっ!!」
「質問にっ、答えろやぁ!!!!」
話が通じない。
完全に自分の世界に入っている。
「やっぱりキミだ。キミしか、ありえない」
恍惚の表情。
天使も、悪魔も、神も、仏も逃げ出すだろう絶美の笑み。
気圧される。圧倒される。唯一許された口答えすらも禁じられる。
「この三年間。ボクはある研究をしていたんだよ。ボクの体にある特性を埋め込もうとね」
「ボクの体は特別なんだ。自分で不死身の特性を埋め込む前から、特別でオンリーワンな肉体だった。この世の法則に、ルールに、当てはまることが無い、無二の身体」
「それはつまり自分以外の生命体に対して、特別な性質の直接の付与は許されなかったということさ。それこそ『不死』だったり、『不老』だったり、世界のことわりを乱す性質に対して随分と厳しい、みみっちくて、せせこましくて、しみったれた世界にボクたちは生きてるんだよ」
「だからボクは、発想を逆転させて!! 更に制限をかけた!!」
「他者の肉体では無くまず、自分の肉体にある性質を付与した。『他者を自分と同質にする』特性。ボクの研究の最高の成果!! 『同化』!!!!!!」
「万人にチューニングすることに意義はなくて時間の無駄でしか無かった。そこで、『一人だけ』を対象にする事で時短と、成功率を限りなく高めた」
声を絞り出す。
「…………何が、言いてぇ」
妖艶に目の前の女は微笑んだ。
そのまま、指一つ動かせない俺に馬乗りになる。
右手の白魚のような指を自身の口に運ぶ。
親指。
人差し指。
中指。
薬指。
小指。
全てを、自らの歯で齧りとった。
根本から、血が溢れ出る。
「あーん」
開きっぱなしの口に腕の先が滑り込まされる。
「っ、!!!!」
口内に鉄臭い匂いと、真っ赤な血が充満する。
溺れる。
おぼれる。
血に、狂気に溺れてしまう。
「ボクの肉体は今や、キミを昇華させる血肉なのさ。ボクというとっかかりを使って、世界を塗り替える。キミを、ボクと同等の存在にする」
溺れる。頭が真っ白になる。
酸素を求めるように、血を飲んだ。
現実から逃れるように、化け物の血を飲んだ。
たらふくの血を飲んだ後、肉体に変化を感じる。
体に力が入る。未知の毒が、薬が分解される。
「離っれろっっ!!」
気味の悪い女を押し除ける。剛腕。力が入り続ける腕で化け物を押し除けることに成功する。
運動能力の変化。次に、感覚が変化した。
膨大な情報が頭の中に流れ込む。
屋敷の、空気の、無機物の、有機物の、そして、何百倍も濃い情報を目の前の女が発していた。
その多すぎる情報を、またもや変化していく脳味噌は苦もなく処理している。
不味い。まずい。
不可逆の変化を感じる。
「結構、飲んだよね。あの量だと十分の一くらいかな?十分の一、 私と同質に変わっていく。まずは肉体への、不死身とかの系列の特性かな。アレが一番強烈な性質だからね」
ニヤニヤと微笑んでいる。
俺は苛つきを隠せない。
「テメェ、何がしてえんだ!? おれに何をした!? 何をさせてぇ!? 何が目的だってきいてんだよ!!!!」
「なーんにも。ただボクたちは世界で二人きりの存在になったってコト。超っ運命的じゃない?」
「ウルセェよ!! 何が目的だ!?何がっ、理由だ!!??」
「理由、か……」
ニヤニヤとした笑みを引っ込める。
「うーーん。まぁ、二つかな。そうだね。二つあるよ。理由」
「一つ目はキミしか考えらなかったから、かな。これからも永遠を生きるボクの連れ添いに選ぶとしたら、キミしかありえなかった」
「この十八年。ボクを最も長く観測したキミが最も相応しく、そして、ボクと別のベクトルで異常だったキミが良いと思ったんだ」
おれは異常なんかじゃなぇ、そう叫ぼうとして
「ボクはね、特別なんかじゃない」
「天才なんて言葉が、大嫌いだ」
静かな告白に打ち消される。
「ボクはボクに出来ることをやってるだけ。ボクがやりたいことをやってきただけ。ボクなりに人生を生きてるだけ」
「それなのに周りの人間は全てボクを拒絶した。天才なんて薄っぺらい言葉でボクを化け物扱いした」
「ずっと寂しかったんだ」
蒼い瞳が俺を射抜く。
「そうして、キミに出会った」
華が咲く。
「みんなと同じように、ボクを化け物のように見て、それどころか一番じゃないかな?ボクを人外のように扱ったのはキミが一番」
「酷いやつだと思ったさ。でも、キミは違った。異常だった」
「誰よりもボクとの差を直視していたのに、そこから一度たりとも眼を離さなかった」
「周りの人間がボクとの隔絶に耐えられずに壊れていく中で、キミだけが正気を保ってボクを敵視し続けた」
「その視線が、化け物を測り続ける目が、ずっと心地よかったんだ」
「一人の生き物として、ボクを自覚できた」
「この年まで生きていけてるのは、キミのおかげなんだ」
「ありがとうね」
敵対する存在からの、感謝。
それが俺を、化け物へと変化する思考を、停止させる。
「……後、一つは?」
俺は逃避した。疑問へと逃避した。
「あーー。もう一つ? ちょっと、恥ずかしいな〜〜なんて!」
両手を頬に当てて、もじもじと体を捻っている。
当たり前のように右手の指は生え揃っていた。
「うん。ちょっと待ってね! 心の準備!! うおーーー勇気出せボク!! ファイトだ!」
気の抜けた独り言共に葛藤していた。
先を急がせようと声をかける、その寸前。
「ん」
いつの間に距離を詰めたのか、目の前に整った顔がある。
遅れて、甘さが痺れる。
彼女の血で塗れた俺の唇に優しく触れられる。
唇と唇が触れ合っている。
優しく、若く、拙い
フレンチなキス。
「は?」
「えへへ」
俺は混乱していた。
薬を不意打ちで打たれたことより、
千切れた手から血を飲まされるより、
下手くそな口付けに、翻弄される。
「もう一つ理由はね?キミに一目惚れしたから、だよ」
「ずっと一緒に生きて生きて、生きて生きたいと思って、この研究を始めたの」
「えへへ、言っちゃった……」
思考も肉体も固まる。
そして、再び理解する。
あぁ、コイツは特別なんかじゃない。
天才なんかじゃない。
自分にできることを、やりたいことをやっているだけだ。
手段は異常。理由は単純。
寂しいから。
愛しいから。
真にコイツを、外れていると思った。
崇高な思惑も、狂気のロジックも無い。
あるがままに生きて、感情のままに世界を歪める。
幼稚で、寂しがり屋の
真性の化け物。
天才なんて、キレイなものじゃない。
「…………なーんか! 恥ずかしい!! 告白ってこんな感じなんだね!! 顔から火が出そう!! 出そうと思ったら出せるんだけど!!」
抵抗の余力は無かった。
したいとも思えなくなった。
疲労感の中に温もりを見つけてしまったから。
俺は、こんなにも彼女を化け物だと理解しようと、離れたいとは思えない。
真っ当な感性が死んでいる。
彼女に出会う、その前から、俺は異端の異常者であった。
目の前の不完全で純粋な心を鏡に、歪みが映し出される。
凡人。それ以下。人間未満。
ハズレの精神。
外れた心。
化け物へと変わっていく肉体に何処か安堵を覚える。
異常な精神に、健全な身体はそぐわない。
外れた身体に、不完全に留まる童心を添えた、目の前の女のように。
俺の、心と体が釣り合っていく。
ずっと憧れていた。
ずっと憧れの人だった。
追いかける背中だった。
その在り方に惚れ込んでいて、
羨んでいて、
敵意のそばに、いつだって愛があった。
「ボク、もっと欲張っちゃいます!! ほら、ぎゅーー」
背中に白い腕が回され、抱擁される。
互いが無理な姿勢の一方的で下手くそなハグ。
体のひしゃげる音がした。
力を込めすぎている。
それでも
それでも、構わない。
破壊に似た求愛を受け入れる。
俺たちは不死身なのだから。
不死身の化け物なのだから。
「ねぇ」
理外の生物が口を開く。
「ずうっーーと、一緒にいようね?」
誕生を祝福する二度目の口付けが落とされる。
下手くそで、繊細で、小さくて、
それを壊れないように受け止めた。
かくして
かくして、新たに化け物が産まれた。
計して、二体の怪物達。
一体は、生まれを選べず、過程を選べず、そして望んでいた終わりすらも選べなくなった
『人間未満』
一体は、孤独を嘆き、自身を見失いながらも、永遠のぬくもりに辿り着いた
『外の蒼』
孤独だった化け物が、同胞を得た。
誰も近づくことはない、山の奥の御屋敷。
そこは化け物達の城だ。
互いを喰らい合い、
舐めて温め合い、
隙間無く触れ合い、
永久を生き続ける
バケモノ達の愛の巣だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます