しんみり掌編集――即興文筆――

鐘町文華

風の音を聴く

 駅近には私の行きつけの古本屋がある。大規模チェーンではなくて、商店街に昔からあるお店。下校途中に立ち寄り、たまに古書を買って、家に帰ってから読む。それが私のルーティンだ。車内では読まない。酔ってしまうから。


 放課後。カラオケに行く話をしている同級生を尻目に、私は教室を出る。誰も声をかけてはこない。それが私の立ち位置だ。別になんとも思わない。それがふつうだから。

 きょうも店の前にやってきた。店先のワゴンから確認。ラインナップは……先週から変わってないか。中へと足を踏み入れる。ふわり、と古い紙の香りが鼻をくすぐる。それを思いっきり吸い込んでから、店内を進む。並ぶ棚には本がぎっしりと詰まっている。目当ては特にない。ただぷらぷらと歩いていた。けれど、一冊の本の前で、足が止まった。

 白い背表紙。私の目はそれに引き付けられた。純白ではない。少し黄ばんだ、年季を感じさせる白。流麗な字体で、黒々と記されているタイトルは「風の音を聴く私」。作者名は、かすれていて読めない。

 その背表紙に、指をかける。引き出す。少しの重み。表紙を見る。ただ、ただ白い装丁。なんの図柄も描かれていない。タイトルだけが、静かにそこにある。

 ページをめくる。一文が目に飛び込んでくる。

「古い本が好きだった。ここでないどこかに連れて行ってくれるような気がして。いまの私と、過去の誰かが、繋がるような気がして」

「いまの私と、いまの誰かとは、繋がっていない気がするから。せめて、この古い本を手にしていた過去の誰かと、繋がりたいと思ってしまうのだ」

 ――この人、私と同じだ。


 駅のホーム。手にはあの「風の音を聴く私」。レジを通して、一目散でここまで走った。家でまでなんて待っていられなかった。私は立ったまま本をめくった。

 やっぱり私と同じだ。私の気持ちをそのまま転写したみたいだ。

 読み進めて分かった。タイトルにある「風」。これは風潮のことだ。この作者も私といっしょで、時代に馴染めなかったのだ。ただ、その「音」を聴いているだけ。風の流れに乗ることはない。いや、乗れなかったのだ。臆病だったから。

 あるページで、手が止まった。しおりが挟まれていた。揺れる風鈴の絵柄。そして、それに書かれている一文。

 「風の音を聴く私とあなたへ」。

 胸が鳴った。繋がった気がした。この人は、私を――未来の、自分に似た誰かを、見てくれていたんだ。

 しおりに、そっと手を触れる。そして思う。私も、繋げたい。風の音を聴いているだけの誰かに。

 本をカバンにしまって、代わりにスマホを取り出す。メモアプリを開く。そして、最初の一文を書いた。

「古い本を読んだ。風の音を聴くだけの私が、初めて気づいた。本当は、繋がりたかったんだって」

「風に乗りたいわけじゃ、ない。でも、風の音を聞くだけの、私みたいな人と。繋がりたかったんだって気づいた」

 いつか誰かに届くといいな。そんなことを思いながら指を動かす。柔らかな風が吹く。どこかで、風鈴の音が鳴った気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る