第7話 春の祭典
黄色いタイマーの残り時間は
「7:32」
じっと見つめていた。綾野くんもそうしてる。
彼にも何か考えがあるんだ
でも……。
私は彼の手の中のセロファンに手を伸ばした。
「ねえ、裕介……これを使えば……もしかして、あの課題、できるかな……」
綾野くんがびっくりして、じっと私を見る。
「課題……って?」
「その……口で……」
本当に口にしてみて、初めて頬にチリチリと熱さを感じる。
多分、ううん本当の使い方は違うのかもしれない。彼にどう見られるかなんて、考えたこともなかった。
嫌いな訳がない。これまでの課題て、嬉しさがなかったといえば、きっと嘘になる。
いつも、教室の一番後ろの席で外ばかり見ている彼が、背景から浮き上がって見えたこともある。
こんな状況だから、仕方なくとは思われたくない。でも……。
「結衣……それは……」
彼はすごく困った顔を見せた。ちょっとだけ、上を見て私の目に焦点を合わせる。
「わかった……」
トーンに複雑な不協和音。
「大丈夫だよ……これを使えば、きっと……」
彼の手から「それ」を受け取る。
「わかった……」
でも、でもこれって私がつけるの?手慣れてるように見えたら……。
「これ……つけてくれる?」
彼の手に戻す。意識して見ないようにしてきたけど。
すごい腹筋。サークルをしてるようには見えなかったけど、鍛えてるのかな。
美容室で順番を待っているとき、隣の席のおばさまがファッション誌の後ろのほう、男性グラビアのページをめくっていた。
正面から見ることなんてできない。ちらっと目に入るだけで心臓が跳ね上がって、慌てて雑誌を自分の顔の前に持ち上げた。
(……あんなのを、堂々と見られるなんて。大人って、やっぱりすごいな)そう、思った。
今、私も少しだけ登れているのかな。
目の前にそそり立つ彼は、想像してたのと、全然違う。
唇を寄せようとするが、恐怖と戸惑いでどうしてもすべてを含みきることができない。代わりに、震える舌先をそっと先端に触れさせた。わずかに塩気のあるゴムの味が口に広がり、思わず目を閉じた。
彼が優しい声で囁いた。
「結衣……大丈夫。少しずつでいい」
彼の温かい声と、頬に添えた手のひらの感触が、私の心を解きほぐしていく。
(私も、裕介の支えにならなくちゃ)
勇気を振り絞り、唇を押し開き、ぎこちなく先端を口に含む。しかし、慣れない動きに力が入りすぎてしまい、思わず歯がかすかに触れてしまった。
「ごめんなさいっ……!」
すぐに顔を離し、彼を見上げる。痛いよね。
「大丈夫だよ。少し痛いけど、怖がらなくていい。俺は結衣を信じているから」
「じゃあ……教えて。どうしたらいいの?」
「歯は当てないように、唇と舌で……そう、優しく包んで。俺が気持ちよくなるように」
彼のアドバイス通りに、とにかくやるしかない。
だが、時間は刻一刻と迫っていた。
『残り時間、3分です』
冷たいアナウンスが響き、胸に焦りが走る。
「わたし、もっと頑張るから……!」
懸命に舌を動かし、唇を強く押し当てた。
彼もそうしてくれたように、私もできることをしなくちゃ。
舌で唇で伝わるかわからないけど、想いを乗せる。
よく分からないけど、わかってきた。
彼の反応から……。
目が合い、閉じる。きっと彼の頭の中もさまざま揺れてるんだろうな。でも、きっとそのルーレットの針が「喜び」で止まることは、無いんだ。
『残り時間、2分です』
口を離し、「裕介」を見上げる。
「裕介……どうすれば……? わたし、本当に……なんでもするから」
また、彼は困ったような顔をする。
「結衣……」
名前を呼びながら、私の体は彼に惹かれる。
「ここ……触ってもいいか?」
声が掠れる。視線は私の、胸だ。ちょっとだけ、みんなより大きくて、いいことなんてなかった。男子はみんな顔よりもそこばかり見ている気がして、すごく嫌だった。
でも、私は小さく頷いた。
手のひらが、双丘に沿って優しく滑り込む。
指先で形を確かめるように揉みしだき、硬くなりかけた突起に触れると、私の口から小さな吐息が漏れた。
タイマーは時を刻み続ける。
彼は頬に手を添え、私を導く。
『残り時間、30秒です』
モニターの文字は赤に転じている。
その瞬間、裕介の体が大きく痙攣する。
「――っ!」
熱い奔流がコンドームの奥へと激しく解き放たれた。
驚きに目を見開きながらも、必死に歯を立てないように唇で押さえ、彼の震えが収まるまで受け止め続けてくれた。
(大人になるって、こういうこと?)薄い、薄いゴム一枚に隔たれた距離、受け止めるはずだった想いが迷子になる。
彼は眉間に皺を寄せ。宙を視線が彷徨う。それは達成した喜びには見えなかった。苦しげに息を整えながら、目を閉じる。
何も言葉をくれない。よくやったと褒められたいのか、違う何かを期待しているのからそれすらも分からない。
とても、うまくできたとは思えない。時間もギリギリ。
でも少しは私のこと、見てほしいな。
冷たいアナウンスが部屋に響いた。
『課題達成。おめでとうございます。ボーナスとして15分を追加します』
もう、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
順番が全然違う。好きなの?好きでいてくれるの?
確認してる暇なんて、とても、無い。
モニターの数字が切り替わり、「15:26」を示した。
また、青に戻った。
私はその数字を、胸に刻むように見つめた。
なんだか訳のわからないものに、夢を踏みにじられて、それでも黙ってるなんて、とてもできない。
これは私の、私たちの抵抗の証だ。
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