第5話 一冊の書
一冊の書
両手の汗が止まらない。キス、しちゃった。いつかの夏休み明けに、友達の一人が自慢げにしゃべってた。悲しいのか嬉しいのかさえよくわからない。ただ、肩から手のひらに続く全部の力が私のいうことを、聞いてくれない。
「ごめん、桜坂さん……」
耳に言葉は届く。彼の顔を直視できない。今見たらきっと、唇を思い出してしまう。
少しだけ、わがままを聞いてくれた右手が、かろうじて彼の左手に触れる、
「大丈夫だよ、綾野くん。…わかってるから」
「俺は、タイマーが止まらなかったから、その……」
「わかってる。綾野くんが、私たち二人をこの部屋から出してくれようとしてくれていること、わかってるから」
これ以上口を開くと言葉がとめどなくこぼれ落ちそうで、触れた手のひらにギュッと力を込めた。
(伝わって)
整理しきれない思いを乗せた。
その時、モニターの画面が再び切り替わった。マスターが、先ほどと同じ感情のない笑顔で現れる。
『お二人、課題達成おめでとうございます。それでは、第二の課題を提示します』
『第二の課題は、こちらの選択肢からお選びください』
マスターの声とともに、モニターに文字が映し出される。
『選択肢1:女性の秘部を刺激し、愛液が親指と人差し指で糸を引く状態にする。成功で10分追加。』
『選択肢2:胸で男性器を刺激して充分に興奮度を高めたら成功で15分追加。』
知ってる。知っている。
モニターの下のカメラのレンズは、ゆったりと右と左を行き来する。ズームからワイドに。
その向こうに誰かを感じた瞬間、言葉が口をつく。
「そ、それは……いや……っ!」
頭に浮かんだ想像をかき消そうと、首を左右に振る。でもいったん居着いたそれは、容易に出て行ってはくれなかった。
『どうなさいますか? 選択は自由です』
どちらも、選べない。どちらも、拒めない。
「……そんなの、できるわけないだろ」
隣で彼が立ち上がる。
離れた手のひらが彼を追って、ポロシャツの裾を掴む。
その瞬間、マスターの声が新たに響いた。
『よろしいでしょう。では――救済ミッションを提示いたします』
救済、ここから出られるのだろうか?まだ課題はひとつしか……。それとも、何かこの二つをしなくて済む仕組みがあるのだろうか?
「大丈夫だ。君がこれ以上傷つけられるいわれはない」
「でも、時間がないよ……」と呟いた。モニターに表示された「10:00」という数字に彼らの本気が示されているようだった。ほんとに記録されていたら、ほんとにネットにアップされたら、その先のことは考えたくない。
その時、マスターの声が再び響いた。
『このゲームには、あなた方を助けるための「救済措置」が用意されています。ベッドの下をよく見てください』
彼が離れていく。こんなソファに一人残るのは嫌だ。自然、追いかけてベッドの下をのぞく。壁際と同じ箱が、ここにもあった。新しいカード?なにが入っているの?
マスターが「コスチューム」を着ればいいと言っている。バニーガールやチアリーダー、メイド服。浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
(でも、それなら着れないこともないかも。)この部屋に更衣室なんて無いから、それはちょっとつらいけど。
『でも、お困りなんでしょう?』
「救済ミッションに挑戦します!」私の方を見てもくれなかった。冷静そうな彼も、いつも余裕があるわけじゃないんだ。私もなにか、なにか。
モニターの画面が切り替わり、タイマーが「00:00」からカウントアップしていく。同時に、ベッドの下にあった箱の電子錠がカチリと音を立てて開いた。
箱の中には、ピンクの布が3点。
彼と私でひとつずつ手に取ってみる。綾野くんの手にはわずかに胸の先端が隠せそうな、でも彼の手のひらが透けている小さな小さな水着。私の手には同じ生地のみたこともないような、V字のもの。
「嫌……」
「これ……こんなの、着られないよ……」とても、立っていられない。膝に力がはいらない。
「救済ミッションを撤回します!」
ペナルティでタイマーがみるみる減っていく。
残り時間は、わずか4分。黄色く点滅する数字が、破滅までの残り時間。
「桜坂さん……もう、やるしかない。俺に任せてくれるか」
力強い彼の腕に支えられて、よろよろと立ち上がる。
(なにか)私は彼をまっすぐ見てうなずいた。
「……わかってる。だから、お願い……」
あのベッドの近くにはいたくない。彼が支えてくれるので、ソファに戻れた。
私の右に座る彼が、左手を私の背中に回す。
「……ごめん。ちょっとだけでいい、スカートを上に持ち上げて。絶対に見ないから」
もう、やるしかないんだわ。
少しだけ腰を浮かせて、言われた通り両手でスカートの裾を持ち上げる。
持ち上げたスカートが、柔らかに光を透過させるがその先は見えない。ちょつとだけ、怖さが遠のく。
彼の指先が布越しに秘められた突起を探る。
体が暴れそうになる、声が零れる。
綾野くんが、私に触れている。でも、そこでは無い。そうか、彼は知らないんだ。
「ちがう……もう少し……上」
ギリギリ出せた声を彼が掬い上げる。
突起に触れられた瞬間、ついに声があふれだす。
自分でもよく知っているわけではない。試みに触れたときは、表現できない感覚に襲われた。だから、してはいけないことなんだと、思っていた。
「やっ……あ、ああっ……!」耳に届く声は誰の声なんだろう。
『残り時間、2分です』
スカートの向こうで、脚が開かれる。力は入らない。
「これなら……」
「結衣、ちょっと我慢してくれ!」
(あれ?名前、呼ばれた。こんなところで)
次の瞬間、湿ったなにかが私の中心に触れる。
腰が浮き上がりそうになるけど、彼の腕が優しく包み、動きがままならない。
『残り時間、1分30秒です』
涙が目尻から溢れる。嬉しくは無い。でも、ただ悲しいわけでも無い。そして、胸の中から湧き上がる反応が私の頭に否定を許さない。
「いや……だめ……っ、でも……きもち……っ」
「だめぇっ……あっ、あああっ……!」
ああ、私の声なんだ。
『残り時間、30秒です』
数字が赤に染まり、点滅を速める。
彼の指が私を慎重に撫でる。
その指を掲げた刹那。
電子音が鳴り、タイマーが止まった。
指の間にはガラスの糸。照明にキラリと光っている。
『課題達成。おめでとうございます。ボーナスとして10分を追加します』
私は声も出せず、ソファに崩れ落ちる。ただ、空気を求めて胸を上下させる。
「……大丈夫。終わったよ」
彼の腕が私の頭をその胸に引き寄せる。
ぶぅんという音とともに壁際の箱が解錠される。中には「中」と記されたカードが収まっていた。
2枚目のカードが手に入った。
「し」と「中」。よくわからない。
それよりも。
「ねえ、綾野くん……さっき、私を『結衣』って呼んだ?」
「え……ああ、ごめん。その、つい……」
やっぱり視線を泳がせる。
「ううん、いいの。なんだか、すごく……嬉しかったから」
そう言って彼のをぎゅっと握りしめる。その温もりが胸をじんわりと温めた。
「頼む。結衣、ちょっと聞かせてくれ」
「うん」
「どうしてここに来たんだ」
「え、事務所からオーディションって言われて、だから電車で……」
「そういうことって、よくあるのか」
「私は今回がはじめて、いつもはレッスンばっかり」
「あ、でも仲のよかった先輩がときどき受けてたかな。ある時期から急に忙しくなって、全然遊んでくれなくて、そしたら突然やめちゃった」
「事務所、オーディション、流出動画……待てよ――」
彼のことばをマスターが遮る。先ほどと同じ感情のない笑顔で現れる。
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