第4話 天の声 地の声

天の声 地の声


「キス 5分」

「下着で全身愛撫 10分」

書かれていることはわかる、わかるけれど……。


綾野くんは、ほんとに経験者なのかな。思い切って聞いてみよう。

「違ったら、ごめんなさい。これ、オーディション、じゃないよね?」

思い切ったつもりが、驚くほど小さな声になってしまった。でも、おかげて、彼はこっちを見てくれた。


「ごめん、桜坂さん……」

彼は諭すように言った。まだ、何もわからない。

彼の顔を下から見上げる。短めに刈られた脇の髪と、時々目を隠しそうになる前髪。

 

「オーディションなんかじゃない。俺は、ネットで見つけた怪しい広告に釣られてここに来たんだ。報酬の百万円が欲しくて……」


「やっぱり……そうだよね。私も、何か変だなって思ってた。でも……なんで?」


一瞬、瞳を上にあげ

「どうしてもお金が必要だったんだ」とだけ答え、言葉に詰まる。

タイマーは進んでいる。

 

明るく甲高い声『残り時間、9分です!』と告げる。


私は選択肢をじっと見た。裕介は課題は4つあると言った。なら、できるだけ時間があった方がいいのかしら?

でも、下着って……。最後に男の子に下着を見られたのって、幼稚園のとき?想像しただけで、耳の先がツンと熱くなる。


綾野くんはどう思ってるんだろう。お金、必要なんだよね?事情はよくわからないけど、毎月のレッスン料は結構かかってる。夢……。現実には強く願っても叶わないよね。お金も、いるよね。

もし、脱いでくれって言われたら、私、どうしよう


彼は、しばらく拳を握りしめて、モニターを見つめていた。

 

「……キスにしよう」彼が、押し出すように、つぶやく。語尾の音階が少しだけ上がる。彼もこの状況に余裕なんてないのかも。


下着にならなくていいんだ、と思う間もなく

「……うん」

と返したことに、自分でも戸惑う。でも、初めてがこんな、こんな形でなんて。


『残り時間、7分です!』


綾野くんの顔が近づく。


ギュッと目を閉じる。


触れ合った唇は、全然想像してたのとは、違った。

ごつりと硬くて、まるで衝突したみたい。綾野くんも初めてなのかな?そしたら、私のことが記憶にきざまれちゃうのかな?

青リンゴの味なんてしなかった。ただ彼の首元から立ち上るシトラスの匂いがかすかに私の鼻をほんのり暖かくした。


『残り時間、6分30秒です!』


唇をかすかに離し彼がつぶやく。

「なんで……っ」彼の瞳は、大きくモニターのある方に向いてる。

思わず開いた目の前を彼の顔が覆う。怖い?ううん、そうでもない。また、ギュッと目を閉じる。


彼の唇が乱暴に私の唇を押し開く。

にゅっと何かが入ってきて、私の歯をなぞる。

思わずペンダントをギュッと握る。


喉の方に引っ込めた私の舌が、彼の舌と触れる。

とたんに優しくなった彼の動きが私を捉える。


「んっ」


思わず、体を後ろに離そうとするけど、彼の腕がガッチリと私の背中にまわされている。

たまらずまぶたを開き、彼を見つめる。


やがて、タイマーが止まった。


モニターの数字が高速で目まぐるしく変化し、新たな時間が加算されていく。まるで動画を高速再生しているかのようなその動きに、私は息をのんだ。やがて数字は「10:00」で止まり、静寂が戻る。


『――判定、成功といたしましょう』


不意にマスターの声が響いた。抑揚はないが、確かに裁定を下す口調だった。

『充分に要件を満たしました。お見事です』


唇を離した刹那。朝露に濡れた一本の蜘蛛の糸のような名残が空中に消えた。


カチリと電子音が響いた。


音のした方向を見ると、壁際に置かれた箱の蓋がゆっくりと開いた。

彼は警戒しながらも、ゆっくりと箱に近づく。私もその後に続き、二人は並んで箱の中を覗き込んだ。


箱の中には、黒々と「し」と記された一枚のカードが入っていた。

これって、何?脱出と何か関係あるの?でも「し」だけじゃ何もわからない。混乱だけが深まった。

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