魔法使いの構成式 - Case. 仮面の航海

早蕨足穂

Case. 02: The Masquerade Cruise

Chapter. 000: Introduction

Intro: The Door into the Cruise - 01

 このクソ忙しい時期に、と悪態をつきながら、駅からファトラ館へ続く道を歩いている。


 学期末に向けて学習内容の整理をしていたところ、師匠でありビジネスパートナーでもある教授——クロフォードから、呼び出しがかかったのだった。


 学術院に属する職員用の独自ドメインではあったが、アドレスは意味のないアルファベットの羅列だった。それがクロフォードのものであるとはすぐに想像がついた。


 彼がメールアドレスを『Crawford』で登録しているところなんて、想像できない。代わりに、最初は詐欺かと思ったけれど。


 メールはごく簡潔だった。堅苦しい挨拶はなし。宛名もなし。署名はイニシャルだけ。「14 June, 11:00 pm, 192 Nero St. CNS」——以上。


 そんなわけで、レイは一歩一歩に怒りを込め、ネロ・ストリートに足を踏み入れていた。


 六月は夏学期の学期末にあたる。各科目で最終課題として出されている論文、エッセイの課題、実技の予習などで、授業がないときでも早く起きて忙しくしていることが多い。だというのに、クロフォードはそんなことなど意にも介さない。


 立場上、レイは執行者補佐ということになっている。リリーがスチューデント・アシスタントとして教授を補助していたように、レイも執行者——つまり、クロフォードを補助する役職についているのである。ただし名ばかりのポストで、実権は何一つない。


 事務局に書類を提出すれば、この立場を考慮し、講義の評価を少しだけ甘くしてくれる、とのことだった。クロフォードの助手を『給料の出る立派な仕事』であると認識しているレイにとっては、ありがたい配慮だ。


 前年九月に入学して半年が経ったころ——四月の下旬、ウェールズで起こっていた連続吸血鬼殺人事件の捜査に、レイは駆り出された。魔術師を取り締まる部署に主席執行者として身を置くクロフォードが、レイを弟子に選んだことを知らされたからだ。


 そこで彼の弟子として、助手として、事件を解決するためにウェールズまで随伴した。正確に言えば随伴させられていたし、彼の助手として働いたのも、正確に言えば働かされていた、だが。


 とにかくレイは春の事件以降、クロフォードのバディとして扱われるようになっていた。


 しかし、大掛かりな事件の捜査に引きずり出されることはなく、彼の自宅であるファトラ館に呼ばれることもなかった。


 だから今回こうして呼ばれたということは、そういうことなのだろう。レイは頭が悪いほうではないから、そうした見当くらいはつく。


 石畳を踏み行く。日差しは強いが、半袖から伸びる腕を撫でる風は乾いていて、不快には感じない。そのせいか、足音も軽やかに感じられた。


 クロフォードの住まいはメールに書かれていた通り、ネロ・ストリート一九二番地である。主に使われているのは二階で、応接室、キッチン、書斎、浴室などが設置されている。


 書斎は何度か、クロフォードの蔵書を借りるために入らせてもらったことがあった。学術院の図書館は広く豊富な魔導書を取り揃えているが、クロフォードの書斎はもっと狭い、マニアックな分野の論文や古文書がしまわれている。


 レイは初学者であるため本来ならば図書館の魔導書が推奨される——ただ、それはあくまでも推奨なので、専門書を読むことも容認はされる。レイが知りたいのは魔法であったから、図書館では禁書庫に収蔵されているものが多かったのだ。


 故に魔法使いであるクロフォードを頼った。予想通り、館には魔術の指南書たる魔導書ではなく、魔法について書かれた魔道書が多く収められていた。


 金獅子が輪を咥えた意匠のノッカーを使う。ドアの横にはハンギングプランターが吊り下がっており、植えられた植物も季節のせいか、どこか生き生きとしていた。


『こんにちは、カレン様。ファトラ館へようこそ。どうぞ、よき時間をお過ごしください』


 ノッカーから無機質な挨拶が流れてきて、それに生返事をする。彼はアダムという名のメイド・オブ・オール・ワークみたいなもので、こうやって来客に対応したり、あらゆる家事をこなしたりしている。クロフォードをだめにしている原因の一つである。


 開くドアをくぐり、赤い絨毯の敷かれた階段を上がる。入り口のウォールフックには、クロフォードの黒いロングコートが掛かっていた。不在、というわけではないらしい。


 二階の白い扉が近づいてくるにつれて、応接室の中の音が階段まで漏れてくる。


「……ああ……わかっている」


 アダムの制御によってひとりでに、音もなく扉が開けられた。中へ入り、背後で閉まったドアの前で立ち尽くす。クロフォードは今や博物館でしか見かけない古いハンドセット型の受話器を持って、暖炉のそば、右側に配された一人掛けのソファに寝転がっていた。


 肘掛けに頭を置き、長い脚を反対の肘掛けから投げ出している。本体は窓辺の机に置かれているが、電話線にはまだ余裕がありそうだった。


「問題ない。しかし……交霊派となると、ジュードは反対していないのか?」


 クロフォードはこちらを認めると、しい、と口元に人差し指を宛てがった。一人掛けのソファに腰かけるよう指で示される。暖炉のそばには一人掛けのソファが二つと、三人掛けが一つ、三角形になるよう向かい合わせで置かれている。


 三人掛けのほうには訪問者や依頼人が座り、彼らから見て右のソファにクロフォード、左のソファにレイが座ることが多かった。


 この部屋にはとにかく椅子と机が多く、三つのソファのほかに、入り口すぐのところにもカウチソファがある。そこはもっぱらクロフォードがベッド代わりに使っていて、彼以外が座っているところを見たことはない。


 彼が電話口で呆れ気味に話を続けているところを、ソファで眺めている。気を利かせたアダムが天井で回るファンの向こうからマニピュレーターを伸ばし、透明な飲み物を持ってきてくれた。


 氷のたっぷり入ったグラスは徐々に結露ができ、レイの手を濡らす。外の気温は盛夏に向けて上がりつつある。レイは乾いた喉にジュースを流し込み、しみわたる清涼感に息をついた。


 エルダーフラワーのシロップ漬けの、炭酸割りだった。エルダーフラワープレッセとも呼ばれるもので、夏になるとスーパーに並ぶドリンクだ。売り切れていることもよくあるくらい、イギリスでは馴染みある飲み物である。


「……わかった。では、それで」


 レイが半分ほど飲んだところで、議論は決着したようだった。クロフォードはアダムに受話器を渡し、ソファから立ち上がる。ベストにシャツの袖を腕捲りしている出で立ちは、妙に新鮮で目についた。


 夏になっても、クロフォードは三つ揃えのブラックスーツで教壇に立ち続けていたからだ。レイからすれば、感覚が死んでいるとしか思えなかった。


 受話器を本体に置き、電話を切ったアダムは、代わりに蓄音機でかけているクラシック音楽のボリュームを上げた。田園風景を想起させる穏やかな旋律が、レイの耳朶を打つ。


 アダムはタイミングを見計らったかのように、キッチンから黒無地のマグを持ってきた。クロフォードがそれを受け取り、疲れきった様相で口をつけ、一気に飲み干す。


 そうして自らキッチンへ向かった。なんでもアダムに任せる普段の彼からすれば、珍しいことだと言えた。カップ一杯に一つ使うタイプのティーバッグをマグに入れ、戻ってくる。


「見苦しいところを見せた」


「はあ……で、用件は? あのメールじゃ何もわからなかったんだけど」


 腕を組み、眉をひそめるレイに、クロフォードは微笑みを浮かべた。それで、確信に変わる。また何かの事件の依頼がきていて、それの解決を手伝ってほしい、と言うのだ。

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