第17話 これが、大罪



 783回の半殺しが終わったのは深夜だった。


 魔界の暗い半月が、血塗れの闘技場と倒れ伏して動かないジジイを照らす。傷はアイファの回復魔法で治っていたが、回復させすぎて鼻や口がおかしな方向にひん曲がっている。浅い呼吸をこぼしながら「おたからがいっぱい……」と繰り返すようになった辺り、精神が壊れてしまったようだ。


 俺は、胸ぐらを掴み上げる。


 魔眼が、虹色に輝いた。


 精神が壊れようが関係ない。こいつにはまだ利用価値があるし、操り人形として動かす分には精神状態は問題にならない。


『――俺に従え』


 ジジイの身体がびくんと震え、すぐに恍惚とした表情で「……はい」と返事をしてきた。手を離してやると、その場にひざまずき恭順を示してくる。


「……」


「終わったね」


 アイファの言葉に、首を横に振る。


「いや……まだ終わってない」


 まだやつがいる。


 ライラ。父様を殺した裏切り者。あいつを殺さないかぎり、俺の復讐は終わりではない。


「……あの女?」


 アイファが、不機嫌そうに頬を膨らませて訊いてきた。


「あの女のことでしょ? あいつのことなんか考えないでほしい」


「……そう言われてもな」


 そんなことは無理だ。


 あいつのことを考えないときなんかなかった。忘れようとしたって忘れられる存在でもない。俺の人生を狂わせた元凶。悪魔のような女。


 俺が、最も殺してやりたい憎悪の対象なんだ。


「……ふぅん」


 アイファが眉根を寄せて、光の消えた黒い眼差しで睨めつけてくる。感情の起伏が読みづらい普段の彼女では考えられないくらいに、憤りにあふれた表情だった。


 俺は、笑いかけてやる。


 こいつのこういうところは嫌ではない。むしろ好ましくすら思う。彼女も魔族として己の欲に忠実なだけなんだ。


 アイファの頭に手を置いてやろうとしたら、拍手が鳴った。


「いやはや、素晴らしいものを見させてもらいましたよリヒト様」


 噂をしたらなんとやらだ。


 俺は、隻眼を血走らせて現れたクソ女を睨みつけてやった。血肉に汚れた観客席の一番上。黒いドレスの黒い死神が、半月を背負いながら俺を見下ろしていた。


 闇の中に浮かぶ黄色い猫目は、陰気な月よりもはるかに輝いて美しい。


 唇が、勝手に吊り上がっていく。


「よぉ、ライラァ。現れると思っていたぜ」


「あははは、嬉しいことを言ってくれますねえ! 私が現れるのをそんなに楽しみにしてくれていたなんて」


 ライラはニヤニヤと口元を歪め、観客席の階段をゆっくりと降りてきた。ピチャピチャと、闇の中に響く血溜まりを踏みしめる不気味な響き。


 やつが近づくたびに、鼓動が激しさを増していく。あのジジイに向けた感情よりも重く、熱い、憎悪の念。


 ああ、こんなにも血が巡るほど……俺はこいつを殺したいんだな。


「リヒト様の力、見せてもらいました。いやはや、その魔眼――反則的なくらいに強いですね。並の魔族ならなす術もなく操られて終わりでしょう。うふふ……とんでもない存在に成長してくれて、世話係としては涙を禁じ得ませんよ」


「……」


 ライラの戯言を無視して、隻眼で観察する。


 ……やはり駄目か。


 こいつには、普通のやり方では〈アスモデウスの魅了〉をかけることができないようだ。上級魔族ともなると精神系魔法に対抗できる防御魔法や、強大な耐性を持っていることがしばしばあるが、ライラもその例に漏れないのだろう。魔法を使用している形跡がないからおそらくは後者だ。


 〈アスモデウスの魅了〉の弱点は――というよりほとんどの精神系魔法に共通することだが――格上に効きづらい点にある。


 対策されやすいのもあるし、魔力量が自身より多いものには効力が発揮されにくいことがほとんどだからだ。まだこの魔法については目覚めたばかりで完全に把握しきれていないが、その点だけは間違いない。


 だが――。


 まったく効かないというわけでもない。


 やつの耐性を突破する方法が一つだけある。それは単純だ。弱らせればいい。やつが対抗できるほどの高い魔力を維持できなくなるほどに痛めつけて、その上で魅了をかける。一対一なら難しいが、こちらには同じ〈大罪〉のアイファだっているんだ。条件は少なくとも五分五分。


 一度でもかけられれば、こちらの勝ち。逃げる理由なんかない。


「……」


 俺はゆっくりと腰を下ろした。


 ライラが口元を緩めて、手をかざす。何もない空間に黒いモヤが生じ、そこから禍々しい黒剣が出現した。


「やる気満々ですね、ふふ」


「……ああ」


 殺してやる。


 お前の内臓をこの血の池地獄にぶち撒けて、その上で俺にひざまずかせてやる。


 隣のアイファに目配せをした瞬間だった。


 アイファの姿が消えた。


「――え」


 いない。なぜ?


 頭に混乱が生じる刹那、肉を抉るような音が闘技場に響いた。


「――」


 ライラの後ろ。やつの背中から胸を貫く白い腕。細長い手が、白い指が、露出した心臓を鷲掴みにしていた。目を見開くライラ。口から大量の血が吐き出され、血の池に混ざりゆく。


「……アイファ」


 ライラの後ろにいるアイファは血に汚れきっていた。あの一瞬でライラの後ろに回った? どうやって? なにが起こった?


「……おい」


「……ごふっ……」


 冷然と、アイファは言った。真っ赤に染め上げられた瞳をぎょろりと横に走らせて、睨めつけながら。


「私のリヒトと気安く喋るな」


「……は。まじ……か。まさか……血の中、を……」


「死ね、雌豚」


 心臓をぐしゃりとつぶした。鮮血を噴き上げながら肉片が飛び散る。呻きながら吐血したライラ。氷のように冷めた表情のアイファ。


 ぐらり、とライラの身体が傾いた。


 その瞬間。


 ライラがアイファに斬り掛かった。


 甲高い金属音が鳴り響く。目にも止まらぬ速さで動いた黒い刀身は、浮かび上がった赤い障壁に阻まれている。あれは、血だ。アイファの魔法で血を固めているのか。


「――あはっ」


 ライラは、血を垂れ流しながら笑った。


「あはは、血を操るその能力……キミ、吸血鬼なのか! 面白くなってきたねえ!」


「……ちっ、なぜ死なない」


「私、心臓が3つあるんだっ。魔王の血筋だからさあ! ね、すごいでしょ?」


「そう。興味ない。なら頭潰す」


「やれるものならやってごらんよ!」


 ライラはゲラゲラ笑いながら横薙ぎに一閃する。黒い閃光が走り抜け、障壁が真っ二つに引き裂かれた。紙一重でかわしたアイファが、手を前にかざした。


 観客席の血が、生き物のごとく蠢いた。


 その様を観ながら俺は走った。大きく後退し、アイファから間合いを取るライラを追いかける。ライラの目がこちらを見た。とろりと歪む目尻。


 信じがたい。心臓を潰されたのに、大して弱っていない。化け物が。どうして動けんだよ。


「やっほ」


 ライラの顔。


 目と鼻の先。バカな。はやすぎる。翻る刀身。防御。魔力障壁。――間に合わない。


 瞬間、血の壁が俺を覆った。


 凄まじい金属音。


 血の壁の一部が形を変えて、剣となる。思考が追いつかないまま、俺はそれを手にとった。アイファが。俺のために。


 壁が、砕けた。 


 斬り掛かるライラの鬼の形相。


「――っ」


 俺は反射的に剣を動かした。左の袈裟斬りに合わせて、剣をぶつける。火花が散る。凄まじく重い一撃。衝撃が奥まで響き、骨が軋みをあげた。


 顔をゆがませる俺に、ライラは嗤う。


「――あはっ」


 ――剣戟の応酬。


 無数の斬撃が莫大な火花を生んだ。黒い閃光が、赤い閃光が、雷のごとき轟音を伴いながら幾重にも幾重にも空に軌跡を描き出す。砕ける破片。腕に蓄積する痺れ。皮膚を擦過する痛み。膨れ上がる恐怖。


 一撃一撃が重すぎる。ついていくのがやっと。父様よりはるかに速い。瞬き一回でも頭を割られて死ぬ。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ――。


 これが〈大罪〉。


 最強の魔族の力か。


 ――剣に亀裂が走った。


「あはははははははっ」


 ライラが踏み込んできた瞬間、黒剣が頭を割ろうとした刹那、俺は視た。ライラの後ろからアイファが躍りかかった。高速詠唱。短縮詠唱よりも高度な詠唱。


 ライラの身体が翻る。反撃の一閃がアイファを引き裂く。だが、真っ二つに引き裂かれた彼女は、血の塊となって落ちていった。


 分身。


 本物は観客席。


 アイファが、唱えた。


血の刃ブルートザオガー


 無数の刃が、ライラを襲った。


 ライラの足元から。


「――」 


 だが――当たらない。


 ライラはあの一瞬で、観客席の方まで後退した。


「……ふふふ、やりますね二人とも」


 口から漏れ出る血を、親指で拭い舐め取った。戦闘狂としか言いようがない愉悦に歪んだ表情で、ライラは手を広げる。


「ちょっとだけ摘み食いをするつもりでしたが、ああ、いけませんね。あまりにもお二人が魅力的すぎて、つい本気になってしまいそうでした。うふふ、ダメダメ。まだ、あなたたちは青い果実。刈り取るのは美味しく熟してからではないと――」


「……イカれ女が」


 俺の悪態に、ライラは肩をすくめた。


「イカれているのはお互い様でしょう? まあ、あなたを壊したのは私なんですけどねえ」


「……てめえ」


「あははは、楽しかったですよリヒト様。これはさらに楽しみになってきました。あなたが〈煉獄の王冠プルガトリオ〉を手に入れたらどうなってしまうんでしょう……ああ……」


「逃さない」


 アイファが、ライラの背後にある血溜まりに瞬間移動する。襲いかかろうとした瞬間、ライラが振り返った。

 

「芸がないよ」


 後ろ回し蹴り。アイファの顔面に斧のようなかかとが突きささった。肉を打つ音。まともにくらった彼女は、観客席をバラバラに吹き飛ばしながら転がり落ちていった。


「――アイファ!」


「……はは、まったくもう。同じ手は二度も三度も通用しないってば」


「……貴様」


「大丈夫ですよ。あの程度で〈大罪〉が死ぬわけないでしょ」


 ヘラヘラと笑いながら、ライラは手を挙げた。黒いモヤがライラの背後から立ち昇る。


「それじゃあリヒト様。私はそろそろ帰りますね。次会うのがいつになるかはわかりませんが、そうですね……あなたが今よりももっと大きくなったら会いに行きますから」


「待て! まだ勝負はついてねえだろ!」


「そうですね。だからこの勝負は次回に預けておくとしましょう。ふふ、楽しみにしています。すべてを手に入れたあなたから奪う瞬間を」


 ライラはそう言って、闇の中へと消えていく。


 最後に言葉を残して。


「愛してますよ、リヒト様。また会いましょうね」  


 

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魔王様、どうか瞳を抉らせて?―最強魔法〈魅了〉を駆使して、ヤンデレヒロインたちとともに成り上がります― 浜風ざくろ @zakuro2439

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