正しすぎた僕の追放——正しかった彼の追放

ヤシさ

第一部:三つの呪い

第一章:追放と救い

第一話:正しすぎた僕の追放

 雨が降っていた。


 酒場に充満する、湿った木材とかびの匂いがやけに鼻につく。ランプの心もとない光が、テーブルを挟んで向かいに座る三人の顔を不気味に照らし出していた。


 リーダーである剣士のケイン、魔術師のリリア、そして聖女のセレス。二年間、家族同然に過ごしてきたはずの彼らの表情は、見たこともないほどに険しく、冷たい。


「……話があるって、一体どうしたんだい? 次の討伐依頼の作戦会議なら、もっと明るい場所の方がいいと思うけど」


 僕が努めて明るくそう言うと、ケインは一度固く目を閉じ、何かを決意するように、ゆっくりと口を開いた。


「……アイン。お前を、このパーティから追放する」


 え。


 空気が凍った。

 酒場の視線が一斉に僕に集まる。

 

 追放? 僕を? なぜ?


 思考が、冷たい水に浸されたように鈍く痺れていく。意味が分からない。

 僕たちは最高の仲間じゃなかったのか。


 オークの群れに囲まれた時も、迷宮の最下層で食料が尽きた時も、いつも僕の機転とスキル『魔法付与エンチャント』が突破口を開いてきたはずだ。


 このパーティ「暁の翼」が、わずか二年でBランクにまで上り詰めたのは、僕の功績が大きいはずなのに。


「待ってくれ、ケイン。何かの間違いだろう? 僕が、何をしたって言うんだ。冗談なら、笑えないぞ」


 僕の問いに、今まで黙り込んでいたリリアが、憎々しげにテーブルを叩いた。

「とぼけないで! 私の杖よ! 師匠から受け継いだ、私にとって命よりも大事な『星詠みの杖』を、あなたが許可もなくへし折ったんじゃない!あれは師匠の形見だったのよ!」


 ああ、そのこと。

 僕は心底ほっとした。そんなことだったのか。だとしたら、話は簡単だ。


「なんだ、リリア。そんなことかい? 心配しなくてもいい。あれは君のため、ううん、僕たちパーティのためにやったことなんだ」


「……は?」


「最近、君の杖は魔力の伝導率が明らかに落ちていた。僕の計算では、詠唱完了までに0.2秒のロスが生まれていたんだ。だから、僕が一度きちんと根本から破壊して、その内部構造を解析し、もっと効率の良い杖を僕のスキルで再構築してあげようと思ったんだ。君が感傷に浸って旧式の杖を使い続けるのは、パーティ全体の不利益だからね。これは僕なりの『善意』で、極めて『合理的な判断』だったんだよ。完成したら、きっと感謝してくれるはずさ」


「合理的な、判断……?」

 リリアは信じられないものを見るような目で僕を見つめ、わなわなと唇を震わせた。違うのか? 仲間がより強くなることを願うのは、間違っていることなのか?


「それに、杖のことを言うならリリア、君だって一方的に僕を責められる立場じゃないだろう。あのゴーレム遺跡の時、君たちは僕をわざと見捨てていったじゃないか。 罠が作動して通路が崩れ始めた時、事前に打ち合わせたっていう撤退経路、僕だけが聞かされていなかった。おかげで僕は、三体ものアイアンゴーレムをたった一人で相手にする羽目になったんだ。あれは一体どういう――」


「打ち合わせにはあなたもいたわ! みんなで地図を囲んで、緊急時の集合地点まで決めたでしょう! あなたがいつものように上の空で聞いていなかっただけじゃない!」

 リリアは顔を真っ赤にして僕の言葉を遮る。ひどい言い草だ。まるで僕の集中力が足りなかったみたいじゃないか。重要なことは、もっと分かりやすく伝えるべきだろう。実際、あの時彼女は早口で計画を捲し立て、ケインとセレスもよく話を聞き取れていないように見えた。


「……アインさん」

 今まで俯いていた聖女のセレスが、か細い声で僕を呼んだ。顔は真っ赤で、涙で潤んだ瞳が僕をまっすぐに見ている。


「私の……私の、下着を盗んだのは、どうして、ですか……?」


「だから、あれは盗んだんじゃない。一時的に『お借りした』だけだよ、セレス」

 僕はできるだけ優しく、無知な子供を諭すように言った。


「君はいつも、僕たちのために聖なる祈りを捧げてくれている。その力の源泉、聖性の係数はどうすれば定量化できるのか。僕は純粋な探究心から知りたくなったんだ。君が毎日身に着けているものには、その聖性が最も色濃く宿っているはずだ。だから、その聖性のサンプルとして、聖遺物(下着)をお借りして、僕のスキル『魔法付与エンチャント』でその構造を解析しようと思っただけなんだ。これは僕の君への深い敬意の現れだし、信仰心の発露だよ。やましい気持ちなんて、少しもない」


「ひっ……!」

 セレスは短い悲鳴を上げて、両手で顔を覆ってしまった。


「それにセレス、君こそ、あのブレットバードとの戦いで僕に意図的にデバフの祝福をかけたじゃないか! あのせいで僕は右腕に大火傷を負ったんだぞ! 一歩間違えれば死んでいた! これが聖女のやることか!」


「そ、それはアインさんが自分の混沌属性を偽って申告したから……! 私の祝福は、間違った混沌属性には毒として反転してしまうんです! 何度聞いても、あなたは『光』だって……!」

 セレスは涙声で反論する。嘘だ。僕は確かにセレスに自分の属性を伝えていた。それまで祝福が僕に付与されていたのがその確固たる証拠。つまり、彼女は意図的か、無意識か、自分の致命的なミスを、僕のせいにしているんだ。聖職者にあるまじき行為だ。


「もうやめろ、アイン!」

 ケインがテーブルを拳で叩いた。その衝撃で、ランプの光が大きく揺れる。


「どれもこれも、お前の思い込みか、自分勝手な理屈ばかりだ! 俺がお前の大事な本を燃やしてしまった時だって、ちゃんと頭を下げて、弁償するって言って謝っただろう!」


「謝罪? ああ、そうだったな!」

 今度は僕が声を荒らげる番だった。


「ケイン、君はあの本を、市場で売っているただの『魔導書集成』だと思っていたんだろう!? あの本には、僕がこの二年、寝る間も惜しんで書き溜めてきた独自のエンチャント理論や、魔物の弱点属性に関する未公開データが、びっしりと書き込まれていたんだぞ! その情報としての付加価値を考えたら、君の謝罪なんて、僕が被った損失に対して圧倒的にマイナスなんだよ! 君はまだ、僕に大きな借りを残しているんだぞ!」


「なっ……!」

 ケインは言葉に詰まる。


 そうだ。みんな、そうだ。僕がどれだけパーティに貢献し、そして僕がどれだけ君たちから不当な扱いを受けてきたか、全く分かっていないんだ。


 僕が杖を折ったのも、下着を借りたのも、全部パーティのため。

 なのに、君たちは僕に何をした? 僕の貴重な研究成果を燃やし、僕をダンジョンに置き去りにし、あまつさえデバフまでかけてきた。


 これのどこが対等な仲間だというんだ。


「……もう、いい」

 ケインが、疲れ果てた声で言った。彼の目には、怒りとも諦めともつかない、まるで理解不能な現象を前にした時のような、深い疲労の色が浮かんでいた。


「お前とは、もう話にならない」


 彼は革袋をテーブルに滑らせた。チャリン、と重い金属音がする。

「これまでの働き分だ。……頼むから、もう二度と俺たちの前に現れないでくれ」


 ああ、そうか。

 そうだったのか。


 僕は、ゆっくりと理解した。

 彼らは、自分たちの罪から目を逸らすために、僕を追放するんだ。

 僕という「正論」が、自分たちの「過ち」を突き付けてくるのが、ただ怖いんだ。


 なんて、惨めで、弱くて、哀れな人たちなんだろう。


「……分かりました。出ていきますよ」

 僕は静かに立ち上がると、扉に向かって歩き出した。

 三人が、戸惑ったような、少しだけ安堵したような顔で僕を見ている。


「でも、その前に」

 僕は振り返り、そっと右手を掲げた。


「貸し借りは、きっちり精算しないと、フェアじゃないですよね?」


 スキル「魔法付与エンチャント」が、僕のまっすぐな正義感に応える。

 指先から、ほとんど目に見えない黒いマナの糸が三本、すっと伸びていった。それはまるで帳尻を合わせるかのように、三人の胸元にすっと吸い込まれて消えた。



「これは、皆さんへの『贈り物』です。僕がこれまで、皆さんから受けた不利益を、きっちりお返しします」


「まずはケイン。僕の研究成果の価値を理解せず、努力を灰にした君には、努力が成果に結びつかない苦しみを。君に**『経験値1000分の1』**を付与します。せいぜい無駄な努力を続けるといい」


「次にリリア。僕を孤独なダンジョンに置き去りにした君には、才能という道を失う絶望が相応しい。君に**『魔力消失』**を付与します。もう二度と、魔法という近道は使えませんよ」


「そして、セレス。僕を騙し、聖職者にあるまじき嘘をついた君には、その聖なる身体に相応しい罰を。君に**『感度3000倍』**を付与します。これからは、世界のあらゆる刺激が、君の罪を責め続けるでしょう」


 三人は、僕が何を言っているのか理解できないという顔で、ただ呆然と立ち尽くしている。


 僕は満足して、にっこりと微笑んだ。

 テーブルの上の革袋には目もくれず、彼らの横を通り抜け、扉を開ける。


「じゃあ、さようなら。これでお互い様、ですね」


 雨はまだ、降り続いていた。

 でも、僕の心は、まるで雲一つない快晴だった。

 颯爽と、僕は雨の中に一歩を踏み出す。背後で、誰かの短い悲鳴が上がったような気がしたが、僕の耳には届かなかった。


 僕の物語は、今日、ここから始まるんだ。

 間違った世界を、僕の力で正してあげる。

 希望に満ちた、キラキラした物語が。



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