第2話 現状把握
境界を抜けた「方舟」から降下すると、そこは鉄と煤の匂いが支配する都市だった。空は濃い灰、街路は歪んだレールと配管で継ぎ接ぎされ、人影は機械装具に縛られてぎしぎしと歩く。
アレンは腰の剣型マギウスガジェットに指を添え、低く息を吐く。薄く展開されたマナジャケットが衣のように身体を覆い、エーテルの膜が空気のざらつきを弾いた。
「外から観測できた“資源流の歪み”は、やっぱりここに集まってるな」
カイルが杖を軽く回し、空気の粒立ちを読む。風が微細な振動で街の輪郭をなぞり、情報を咀嚼していく。
「広域感知、開始。
「リオの言ってた“不自然な流れ”の核か」
アレンは剣を少しだけ鞘から押し出す。刃が小さく唸り、雷の気配が走った。彼のエーテルは常時、雷へと変換されている――雷撃変換モジュールを噛ませた運用が彼の基礎だ。
路地の影から、若い女性が顔を覗かせた。外套の下、装具は最小限。まだ目に生気がある。
「あなたたち、外から来た人? お願い、ここじゃ目立つ。こっちへ」
廃屋に案内されると、数人がうずくまっていた。皆、最小限の補助装具をつけ、息を潜めている。
「……塔が人を“延命”する装置に繋いでいくの。近づいたら最後、意志を奪われて、機械の中で“生かされる”だけに」
カイルが唇をかむ。
「自然な終わりを、拒むために?」
アレンは短く頷く。
「選べない延命は、尊厳の剝奪だ。――塔の防衛は?」
「“番人”が巡回してる。人だったもの。装甲で固められて、塔に逆らう者を狩るの」
低い振動が地面を這った。重い足音が連なり、赤い光点が路地の端に浮かぶ。
「来た」カイルが囁く。
アレンは一歩前に出て、刃を持ち上げた。
「正面は俺が取る。カイル、制御軸を見極めて」
番人が鉄塊のような拳を振りかぶって突進した瞬間、アレンの足元に雷が走る。
「
エーテルが筋肉の駆動を押し上げ、視界が伸びる。刃先に雷を収束させ、一直線の刺突。
「
金属と雷の悲鳴。装甲が泡のように弾け、しかし芯は揺らがない。
「硬い。炉心が深い」
「膝、甘いよ!」カイルが風を叩きつける。
「
関節のわずかな隙に空気圧が噛み、番人の体勢が沈む。
アレンはさらに踏み込んだ。加速の反動で膝が軋むのを、雷が上書きする。
「もう一段。
飛び石のように空気を踏み、番人の胸甲へ。
「貫通――
刃元から放った雷弾がピンホールを穿ち、即座に斬撃を重ねる。
「
装甲内部で火花が散り、赤い光が瞬いた。番人が咆哮し、逆腕が横殴りに薙ぐ。
「まずい、受ける!」アレンは半歩、足を殺して左手を突き出す。
「
薄い六角面が幾重にも重なり、衝撃を減衰する。刃が震え、シールドにひびが走った。
(ここで張り続ければ、込めたエーテルごと砕ける)
「落とす」彼は即座にシールドを解除する。
砕けた余波は、薄く張ったマナジャケットが受け流した。軽い痺れが腕に残る。
(真正面から受け止め続ける魔法じゃない。避けきれない瞬間にだけ使う――最後の手段で、いい)
「固定いくよ!」カイルの声。杖の先に幾何学の輪が咲き、無属性の拘束式が展開される。
「
透明な檻が番人の関節を絡め取り、動きを鈍らせる。
「今!」
「取る」
アレンは地を蹴った。
雷が足から背へ、背から刃へ。
「一点穿孔――
幾重にも同一点へ叩き込む稲光。胸部の芯が露出し、脈動がむき出しになる。
「終いだ。
細く絞った雷弾が炉心を穿つ。赤い光がふっと萎み、番人は膝をつき、そのまま沈黙した。
静寂。廃屋の陰で息を殺していた人々が、震える声で囁く。
「……倒した……」
カイルは肩を回し、深く息を吐いた。
「力任せじゃない。『延命』の軸を刺す戦い方、って感じだね」
アレンは頷き、刃を拭う。
「数は多い。塔そのものをどうにかしない限り、焼け石に水だ。――あの“繋ぎ止め”を、解除できるのか」
女性が唇を噛んだ。
「わからない。ただ、塔に近づいた人は戻ってこない。繋がれて、意志を失って……でも、体は動いてる。生きることを、奪われて」
カイルは眼を伏せる。
「延命の定義、間違ってるよ。これじゃ“死なない”じゃなくて“終われない”だ」
アレンはしばし空を仰いだ。灰色の雲の流れは遅く、時間が濁って見えた。
(終われない、か。俺たちも――似ている)
「塔の配置図はある?」
「古い図なら。動力区画の下層に管制中枢があるはず」
「助かる。感謝する」
アレンは礼を言い、カイルへ視線を送る。
「接近ルートは高所。地上は番人の密度が高い」
「了解。飛ぶ方が安全だね。……風路、作る」
二人は路地の天窓から夜気に跳ね上がる。
「
「上空は感知が薄い。広域、継続する」
「頼む」
滑るように屋根を渡り、塔の輪郭が大きくなるにつれて、耳鳴りのような振動が強まった。
アレンは柄を握り直す。雷が刃の中で微かに鳴り、エーテルが不快にざわめく。
「……吸われている。世界から、まるで底の抜けた桶みたいに」
「塔が“補う”ために、周囲からかき集めてる。魔法が枯れて機械で延命――その機械の燃料も、結局は世界から吸ってる」
「延命のために、世界を削る。――この終わり方は、嫌いだな」
塔の基部。巨大な吸気孔が口を開け、低い唸りを上げている。
カイルが指を立てた。
「動力のリズム、把握。巡回の目が内側に向く“呼吸”がある。そこを抜ければ、下層まで降りられる」
「よし。だが介入はまだ決めない。中身を見てからだ」
「うん。俺たちは“世界を救う”ためじゃなく、正しく終われるかどうかを見るために来た」
アレンはうなずく。
「小火力はマナジャケットで捌く。不可避の一撃にだけ、
「了解。俺は固定と遮断を優先。必要なら再拘束で『間』を作る」
「頼りにしてる」
二人は目を合わせ、短く笑った。
終われない者と、終わりに向かう世界。
その交差点で、刃と風はただ静かに役割を確認する。
「行こう、カイル」
「了解、アレン」
灰の空の下、二つの影が塔の喉奥へと消えていった。
その先にあるのが、介入か、静観か。いずれにせよ、選ぶときに迷わないために――彼らはまず“見に行く”。
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