第17話 市場で噂される“モブ勇者”

勇者でも魔王でもない。

僕は皿洗いで、荷物運びで、ただの背景。

そう自分に言い聞かせてきた。


……なのに。


市場で飛び交っていた噂は、僕の耳を疑わせるものだった。


◇ ◇ ◇


「なあ、聞いたか?」

「雷撃を逸らした謎の男がいたらしい」

「賢者の弟子の暴走を止めたって……」


八百屋のおじさんと魚屋の兄ちゃんが、朝っぱらから興奮気味に喋っていた。


「へえ、そんな勇者気取りがいたのか」

「いや、“勇者”じゃなく“モブ勇者”だってよ」


……ちょっと待て。


僕は隣のパン屋の荷を降ろしながら、耳を疑った。

モブ勇者? 誰それ?

……って、僕のことじゃないか!?


◇ ◇ ◇


噂は瞬く間に広がった。

「モブ勇者が群衆を救った」

「黒焦げの木箱で雷を防いだ」

「勇者不在の間、代わりに立った」


話がどんどん盛られていく。

木箱が“神木の盾”になり、

僕が“雷鳴を操る隠れ勇者”になり、

果ては“二周目の救世主”とまで言われた。


……誰がそんな脚色を。


◇ ◇ ◇


「おやおや、立派に勇者ですね」


声をかけてきたのは魔導書少女だった。

はい、毎度おなじみです。


「やめてくれ。僕は勇者じゃない」

「でも市場はそう観測していますよ」

「観測って……」


少女は本にさらさらと書き込んだ。

“モブ勇者、流言により成立”


「だから書くなって!」


◇ ◇ ◇


夕方。

酒場金獅子亭に行くと、客が寄ってきた。


「お前がモブ勇者か!」

「一杯奢らせろ!」

「盾を見せてくれ!」


僕は慌てて手を振った。

「違う! 僕はただの皿洗いだ!」


だが否定すればするほど、客たちは「謙虚だ!」と喜ぶ。

英雄神話は、否定の言葉すら燃料にして膨らんでいくらしい。


◇ ◇ ◇


カウンターの奥。

ヴァルドが苦笑して酒を煽っていた。


「いいじゃねえか。お前も勇者になっちまえよ」


「いやだよ!」


「まあ、勇者ギルドが嗅ぎつけるのも時間の問題だろうな」


僕は頭を抱えた。

勇者ギルドに目をつけられたら最後、今度こそ歴史に名前が刻まれてしまう。

モブのままではいられなくなる。


◇ ◇ ◇


夜。

一人、桶の泡を見つめながら呟いた。


「勇者にもなりたくないし、モブ勇者にもなりたくない。

ただのモブでいたいんだけどな……」


泡はぱちんと弾け、何も答えなかった。


◇ ◇ ◇


次回、「勇者ギルドの使者がやって来る」


お楽しみに。

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