第6話 勇者ギルドに登録しない男
勇者ギルド――。
この世界で「勇者」と名乗るには、まずここに登録しなければならない。
冒険の依頼、討伐の報酬、名声の管理。
要は“勇者という職業のハローワーク”である。
ただし、噂では勇者ギルドの登録窓口は、常に大混雑。
昨日の愚痴大会でも、列の長さと事務処理の遅さについて散々ぼやかれていた。
そんな勇者ギルドに、今日も新しい勇者志望が殺到している。
けれど――。
僕が市場帰りに目撃したのは、その喧噪から距離を置く一人の男だった。
◇ ◇ ◇
「おい、兄ちゃん。登録しなくていいのか?」
ギルド前の露店の親父が声をかける。
列から離れ、壁際に立っていたその男は、肩をすくめて答えた。
「俺は登録しねえ。勇者ギルドは窮屈だ」
――登録しない勇者。
いや、勇者志望ですらない。
男はそう名乗った。
◇ ◇ ◇
近くで様子をうかがっていた僕は、興味を抑えきれず声をかけた。
「……あの、登録しないと依頼も受けられないんじゃ?」
「依頼なんか要らねえ」
男は短く言い捨てた。
三十代前半くらいだろうか。
髪はぼさぼさ、鎧は古びて、背中には傷だらけの剣。
勇者っぽさはゼロだが、妙な迫力があった。
「じゃあ、どうやって食ってくんです?」
「農家の手伝いでもしてりゃ、飯くらい食える」
「……それ、勇者じゃなくて農夫では」
「それでいい」
男はにやりと笑った。
その目の奥には、どこか吹っ切れた諦めと、妙な自由さが同居していた。
◇ ◇ ◇
勇者ギルドの列は相変わらず長い。
中には「俺は未来の救世主だ!」と豪語する若者や、コスプレじみた衣装に身を包んだ転生者もいる。
彼らの目は皆、世界の中心に立つことを夢見ていた。
対して、この“登録しない男”は、まるで世界の端っこに腰を下ろしているようだった。
僕は妙に親近感を覚えた。
だって、僕自身「モブになる」と決めたんだから。
「名前は?」
「別に隠すほどじゃねえ。ヴァルドだ」
「僕は……まあ、カレー肉まんです」
「……変な名前だな」
「知ってます」
ふたりで笑う。
不思議なことに、肩の力が抜けた笑いだった。
◇ ◇ ◇
「なあ、ヴァルドさん」
僕は勇気を出して尋ねた。
「なんで登録しないんです? 勇者になれば名誉も富も手に入るのに」
「名誉や富は、結局“誰かの期待”だ。
俺はもう、誰の期待にも応えたくねえ」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
「……昔、勇者やってたんですか?」
「まあな」
ヴァルドは苦笑した。
「勇者として戦って、仲間を失って……残ったのは称号だけだった」
彼の瞳には、血の匂いと後悔が宿っていた。
人々が持ち上げる“勇者”という看板の裏に、どれだけの犠牲があるのか。
モブの僕には想像もつかない。
けれど、その痛みだけは確かに伝わった。
◇ ◇ ◇
夕暮れ。
ヴァルドは列の賑わいを背に、ひとり歩き出した。
「これからどこへ?」
「畑だよ。明日から土を耕す。
勇者って肩書きより、汗流して食う飯のほうがうめえからな」
彼の背中は、勇者よりも強く見えた。
少なくとも、僕にはそう映った。
◇ ◇ ◇
夜。
酒場で皿を洗っていると、魔導書少女が近づいてきた。
「……あなた、また妙な人物と関わりましたね」
「登録しない勇者、ヴァルドって男だ」
「彼は記録に残らない。
ギルドに名を刻まなければ、後世の物語から消える。
それでも彼は、きっと生きるでしょう」
少女は静かに言った。
それは淡々としていたが、どこか羨望の響きも混じっていた。
「あなたも同じです。
モブを名乗り、物語の外に立ちながら、それでも世界を見続けている」
僕は黙って皿を洗った。
泡が弾ける音だけが、答えのように響いていた。
◇ ◇ ◇
次回、「賢者の研究が呼ぶ事故」
お楽しみに。
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