第5話 転生者たちの愚痴大会

転生者はよく喋る。

この世界に来てまだ数日、ある者はトラックと衝突し、ある者は風呂場で転んで、ある者は気づけば寝落ちしていただけだと言う。

そして全員、例外なく「話したいこと」が山ほどある。


――だから、やることにした。

転生者たちの愚痴大会。


場所はもちろん酒場金獅子亭

勇者の凱旋パーティーがない夜は、ここも静かになる。

皿洗い係の僕が主人に頼み込み、片隅の長卓をひとつ借りた。椅子を円形に並べ、真ん中に空のジョッキを置いて“話棒”代わりにする。ジョッキを持っている間だけ、発言権がある。ルールはシンプルだ。


ひとりの持ち時間は二分。


人の話に「でも」と言わない(「そして」を使う)。


最後に一言、明日へつながる言葉を残す。


これが、モブによる、モブのための、ささやかな場づくりである。


◇ ◇ ◇


「司会の“カレー肉まん”です。もちろん本名じゃありません」


自己紹介をすると、笑いが起きた。

円の中には、見慣れた“日本顔”が十数人。制服姿、作業着、スーツの人もいる。膝には異世界で手に入れた寄せ集めの防具。

魔導書少女は壁際に座り、例の分厚い本を膝に置いて、静かにこちらを観察している。彼女はこういう場が嫌いじゃないらしい。


「ではトップバッター。ジョッキをどうぞ」


手を挙げたのは、額に絆創膏を貼った青年だった。

ジャージ姿で、足元はサンダル――どうやら、割とカジュアルな死因で来たらしい。


「えっと……俺、スキル“水やり”しか持ってない。チュートリアル終わったら“上位スキルに進化します!”ってウィンドウに出たのに、四日ずっとジョウロ振ってる。腕が上がらない。進化する気配もない」


場がどっと笑いに包まれる。

笑いは、孤独の反対側にある。彼の肩の力が少し抜けたのが分かった。


「そして――」と彼はルール通りに続けた。

「そして、昨日、芽が出た。小さいやつ。俺、あれ見て泣いた。明日も水やる」


「ナイス“そして”」

僕が拍手すると、周りもつられて手を叩いた。


◇ ◇ ◇


次は、スーツ姿の女性。

髪をきっちり結び、眉間には皺。たぶん管理職だ。


「ギルド登録の行列、長すぎ。番号札もなく、並び直し三回。窓口一つに勇者十七人は無理。この世界、BPR(業務プロセス再構築)が必要」


みな頷く。

異世界でも行列は世界の敵らしい。


「そして、私は列を整理した。声をかけ、役割を分け、勇者は“特別窓口”を作って別誘導。処理速度、体感三倍」


「それは勇者ギルドがやる仕事では」

魔導書少女がぼそりと突っ込む。


「そして――」彼女は微かに笑って締めた。

「私、明日も並ぶ。コンサル料は銀貨でいい」


◇ ◇ ◇


三人目は、ねじり鉢巻きの中年。

顔つきは頑固、手は大きい。トラック運転手だったと自己紹介した。


「愚痴? あるに決まってる。なんで“トラックくん”なのに、軽トラは異世界召喚トリガーに入らねえんだ。俺は四トンだ。四トンの魂を返せ」


笑いが起きる。

彼はジョッキを握り直した。


「そして――ギルドが輸送依頼を出してる。馬車の車輪は脆い。荷重計算も甘い。俺が直す。道を拓く。明日から、俺は“荷運びギルド”を勝手に名乗る」


「勝手に名乗るのか」

僕が思わず漏らせば、彼は胸を張る。


「この世界、許認可が緩い。やったもん勝ちだ」


魔導書少女が肩を竦め、笑いを堪えるように本を閉じた。


◇ ◇ ◇


四人目は、セーラー服の少女。

膝の上の猫を撫でている。猫はこの世界の生き物ではなさそうだ。目がやけに金色だ。


「愚痴……“固有スキル”って、みんなカッコいいのもらってるけど、私のは“落としものが見つかる”です。地味すぎる。友達のは“雷帝”なのに」


「あー、あるあるだね」

僕は頷いた。

地味な能力は、一見役に立たない。


「そして――」彼女は猫の耳を撫でた。

「昨日、子どもが泣いてた。お父さんの形見の指輪、なくしたって。私、見つけた。お父さんは帰らないけど、指輪は帰った。雷帝じゃできない仕事だった」


円の空気が少しだけ温まるのが分かる。

誰かが鼻をすする音がした。


◇ ◇ ◇


五人目、大学生らしき青年。

メガネを押し上げ、青ざめた顔でジョッキを持つ。


「愚痴……ステータスウィンドウのUI/UX、悪すぎ。前に戻るボタン、左上に統一して。スクロールの加速度が不安定。あと、履歴機能が死んでる」


「死んでるは言いすぎでは」

またもや魔導書少女の小声のツッコミが入る。


「そして――僕は紙のノートを作った。自分用の“履歴”。気付いたこと、全部書く。いつか、初心者向け“転生者スタートガイド”を作る」


「それ、酒場に置こう」

僕は即答した。

モブの営みは、次のモブを助けるマニュアルから生まれる。


◇ ◇ ◇


輪はぐるりと一周し、やがて沈黙が訪れた。

みんなの体から力が抜け、笑いが残り、安心が溜まっていく。

愚痴は毒出しじゃない。

“まだやれる”の形を探すための作業だ。


「……じゃあ、最後に一人」


僕はジョッキを手に取った。

司会も愚痴る権利があるはずだ。


「愚痴。僕の名前が“カレー肉まん”なの、永遠につらい。初対面で九割笑われる。二割は本当にお腹が空いているから笑う」


場が崩れる。

笑いはもう、最初のそれとは違う。

同じ円の中の呼吸になっている。


「そして――」


言葉を探し、一拍置く。

胸のなかで、第三話の雑兵の横顔、第四話の聖女の震える手首が、じわりと重なる。


「そして、僕は、モブでいる。

皿を洗って、列を整えて、荷を運んで、落としものを見つけて、メモを残して。

勇者や魔王の物語の外側で、明日のための“同じこと”をやり続ける。

それが、今のところの僕の答えだ」


誰かが手を叩き、次いで全員が拍手した。

魔導書少女は拍手しなかったが、代わりに本の端で机を二度、軽く叩いた。

それが彼女の拍手なのだと、僕は勝手に受け取った。


◇ ◇ ◇


「いい場でしたね」


片付けがひと段落した頃、魔導書少女が近づいてきた。

いつもの無表情に、かすかな熱が差している。


「あなた、こういうの、慣れてますか」


「いや、人の話を聞くのは好きだけど、慣れてはない」


「ふうん」


彼女は椅子に腰掛け、机の円を指でなぞる。


「この世界に来る転生者は、多くの場合、物語の“主役”を自認します。

それ自体は悪くない。主役は前に進む義務があるから。

ただ、義務はときに、息を止めます。

今日の円は、少し息を吐く時間だった」


「それは、褒めてる?」


「観測報告です」


つれない。

けれど、その声色は、どこか柔らかかった。


◇ ◇ ◇


「ところでさ」


僕は机の端を拭きながら切り出した。


「君、ずっと“魔導書少女”って呼ばれてるけど、名前は」


彼女はほんの刹那、視線を泳がせ、それから首を振った。


「名前はまだいいでしょう。

名がつくと、役割が寄ってくる。

あなたが“モブ”を名乗ったみたいに」


「僕のは成り行きだよ」


「どのみち、名乗りは呪いです。

でも、今日みたいに呪いが軽くなる夜は、悪くない」


魔導書がぱちんと閉じられる。

彼女の目は、ひどく遠くを見ていた。

世界の外側、紙の白い余白を見ているように。


◇ ◇ ◇


片付けを終え、表へ出る。

夜風が皿洗いで荒れた指先を撫で、油の匂いをさらっていく。

路地の先には、昨日までと同じ灯り。誰かが笑い、誰かが泣き、誰かが寝て、誰かが起きる。

この世界は、そうやって回っている。


「なあ、カレー肉まん」


背中から声がした。

振り向くと、愚痴大会トップバッターの“水やり”青年が立っていた。

両腕に抱えた木箱の中には、小さな芽が並んでいる。


「これ、分けてもいい?」


彼は照れくさそうに笑った。


「明日から市場の片隅で売る。

この芽、すぐ食べられる。ちょっと辛いけど、体が温まる。

俺のスキル、役に立つかもしれない」


僕は箱の中の芽を一つ手に取った。

指でつまむと、確かな生命の硬さがあった。


「最高の“そして”だ」


青年は何度も頷き、走り去っていく。

遠くで猫が鳴き、どこかで荷車の軋む音がする。

空は深く、星は静かだ。


――物語は、誰かの勇敢な決断で進む。

でも、明日はたいてい、誰かの小さな“そして”で繋がる。


僕は夜空に息を吐き、胸の中の何かが静かにほどけていくのを感じた。


◇ ◇ ◇


「一つだけ忠告」


隣に立った魔導書少女が、ふいに言った。


「今日の円が広まれば、あなたに“役割”が寄ってくる。

“まとめ役”“相談役”“指導者”――呼び方はいろいろ。

モブは、肩書に弱い」


「なら、看板を出そうか」


「看板?」


「“皿洗い相談所”。困ったら皿洗いのところに来てください、って。

洗い物は溜まるし、愚痴も溜まる。どっちも泡で流せる」


彼女は吹き出した。

珍しく、声に出して笑った。


「……本当に、おかしい人」


「褒め言葉として受け取っておく」


「どうぞ」


ふたりの笑い声が、夜の路地で小さく弾けた。


◇ ◇ ◇


翌朝、酒場の扉の横に、粗末な板切れを釘で打ち付けた。

煤けた炭で、雑な字を大きく。


皿洗い相談所

愚痴 二分

最後に“そして”を


主人は「あほか」と言って笑い、

通りすがりの人々が二度見して、やがて覚えたように頷いた。


役所の許可も、ギルドの印章もいらない。

モブは、勝手に始めればいいのだ。

僕は桶に水を張り、最初の皿を沈めた。

ぬるい水が手を包み、泡が白くひろがる。

今日もまた、舞台袖の一日が始まる。


――そして、物語はつづく。


次回、「勇者ギルドに登録しない男」


お楽しみに。

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